2024年03月29日

【国語】アレは「翻訳訛」と揶揄すべきもの、アレは「墨簾訛」と揶揄すべきもの

↓3)記稿.2024/03/29

> 日本語とは、教科書で習う形式こそが正しいのだろうか?
> それとも、生まれ育ち、気が付いたら身に付けしフラットな私仕様こそだろうか?
> それとも、公文表記とした小難しい用語ありきだろうか?
> それとも、昔からの雅な敬語ありきこそが上等だろうか?
> それとも、今や翻訳し易い形体に塗り替えられつつある「翻訳訛」表記こそを推すべきだろうか?


 ‥諸々と言語を習おうとする時、誰に教わるかでもその後の身に付き方は変わってくる
 ならば、家庭毎の言語感覚やら遺伝的な訛ともなれば尚のことだろう

 料理に正解無し、人生に正解無し
 ならば、国語にも究極的に正解を設けようなどとは驕りなり

 歴史を見ても、土地土地で使われ方が違うだけでなく、時代ごとにも異なる
 ならば、古文書こそが正解などと考えてしまっては無理がでる
 それはそれで、「古文書訛」として扱うべき代物だ


> 古文のそれとて、すでに時代のイントネーションなど判らずじまいだ
> 無理に、最適解だとして思い込もうと、思い込ませようとて‥説得力に欠こう


 ‥そもそも、鎌倉と江戸ではまったく違うのに、誰もツッコまず、いつの間にやら
 使い勝手の好い方が時代に残り、取捨にて、更に
 誤用ありきとて、なんとなく‥現代にまで踏ん張っていたりする

 それとて、そこから更に取捨が進み、それも横文字からの横やりありきとあっては
 かつての原型など欠片も無くなり兼ねぬのだ‥其を嘆いていても始まらぬ‥


> 日本語への往き来には、「翻訳訛」とした許容を以て挑まざるを得ず
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 12:07 | Comment(0) | 日記/2024 | 更新情報をチェックする