↓2)記稿.2024/04/29
> 戦術の正攻法とは
> 敵の数の少ない所もしくは弱い所から、味方の強い部隊を宛がいつつも、挟撃を絡めるとした
> 敵戦力の摩耗を狙った段取りを指す
‥だが、その逆の場合、まともにやっては勝ち目は無いのだから
敵の弱点を炙りだすなり、揺さぶり出すなりの駆け引きやら心理戦とした手順が欠かせなくなる
(大将クビ狙い、兵糧狙い、人質や敵の弱みに付け込んだ和睦狙い)
だが、敵に油断なき場合や、数の桁が違ってくるとお話にならない
そこで、カエダマ×カクシダマの備えを論じる所になる
(但し、どうしたって‥脱出やらの時間稼ぎ程度だった‥)
> ところが、技術が極まってくると、核戦術とした威嚇ありきになってくる
> するとなぜか、正攻法の価値にバイアスが乗ってグッとしりぞくのだ
‥それはまず、人口増加の必要性から圧し下がるような話になっている
‥代わりに台頭するのが、技術力を担保にした国家体制なのだが
核戦術とした脅威ありきの二極化冷戦が頓挫した結果
権益とした角度が、領土上等から生産技術への特化へと進み、多極なグローバル派閥に様変わった
ゆえに、独占禁止法とは、これの都合のためにあるよう情勢に変貌せり
(新しい技術の独占は隠れた脅威にしかならないのだから、一般にその存在を公開して)
(製造するにも、一国や一社で独占するのは宜しくない‥とかなんとか)
(さらに、公開をメリットあるモノとして扱えるように在るのが特許諸々だ)
(だが其は、権益から見た場合の脅威技術の排除×独占狙いに成り下がっても来た‥)
> ではそれらの流れを、経済活動とした努力論(正攻法)で観察するとどう見えるだろうか?
‥凡凡とした一般論(正攻法)は、頑張れば道は必ずしや開くはず
だがそれの大抵にせよ、自分の得意を伸ばして苦手をかえりみない‥誰かに丸投げっぱなし戦術だ
(どうしたって、ただのクズ論どえす)
(どうしたって、ただのクズ論どえす)
(同意からして自由だと、ほとんど多くがそんな法律あったの?‥だったりをやらかすのら‥)
‥これぞ負け犬の遠吠えどえむ‥
> 時代はどうしたって、機械化戦術もといAI戦術の時代に成り代わりつつあり
> それは、もはや、大量生産×大量消費とした時代色でも無いのら
‥強みを活かしてという論戦だけでは、まかり通らない摩訶不思議に包まれて来ている
諸々検索とした市場調査からもそれは明らかになっているような話だが
庶民にまでその手のノウハウが下りてくるなんてのは、なかなかキビシイ
(とはいえ、「AIvs直感」とした角度に変わり無し)
(自分を信じられなくなったら、人間終わりよッ‥みたいな)
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