2024年04月30日

【ネタ文学】農耕面積vs放牧面積

記稿.2024/04/30

> 農耕面積vs放牧面積
> 穀物蓄えvs肉の保存食


 ‥異世界貴族&商人の経営に理解すべき数値とは?


> まずは豚から見てみよう


 豚を上品質として集荷するには、105〜120キログラムが目安だそうです
 但し可食部となると、そこから精肉47キロ、内臓9キロ程度に‥(体重109sの例)

 (‥頭、豚骨、豚足‥その他脂等は、含まないっぽい)
 (‥冬の保存食換算としては一般的な可食部で十分どえす)

 ここまで育つのになんと6ヶ月を要し
 肉豚の体重が1kg増加するために必要な量は約2.6〜2.7kg‥とかなんとか
 ザックリ、110×2.7=297→(300sの餌が必要)

 一石は2.5俵で、150kg程度‥なので、コメ換算なら豚一頭に二石必要(但し‥現代の一石?)

 さらに、ヒト一人辺りの冬の保存食として一日に500g(種族平均?)の肉を食べるとすると
 半年分想定は、360×0.5=180→(豚の精肉換算で四頭?)

 耕作面積の必要量が一人辺り8石の追加となり、年間を通すと16石を要求する
 つまり、一人辺り17石が異世界での耕作必要面積になる


> これが鶏になると、品種でかなりバラツキを見せるのが現代なのだが


 ‥豚と同じ可食部比較すると
 大体の可食部が1.4sなので → 257羽(可食部の年間分比較)
 但し、こちらの餌は、一羽当たりは16.5s程度でも、数換算すると四トン超に及び
 コメ石高に換算すると28石を要求する‥(あれ?)


> 単純に、豚を生産する方がお得に見えるz‥(昨今の鶏の餌が‥高級すぎる??)


 ‥羊に換算すると
 一日に草を10キロ食べるとすると
 10アール(1000u)=ほぼ一石‥辺り、3300sの草を確保(昨今の日本の平均土壌?)

 なので、一年を通じた十分な草を得るには、一頭当たり一石超と言いたいが
 放牧では、食みながらの面積を要求する‥その一日面積を8uとすると
 草が生え直すのに、二週間平均なら‥一頭当たり100uを要求することになる

 それに加えて、冬場の草確保にまとまった面積を要求するのだから
 一頭当たり‥1.5石と見て良い(ちなみに山羊になるとその半分‥とかなんとか)

 300頭規模を飼育するとなると、450石

 一頭辺りの肉の量は、豚よりやや少ないが
 乳は採れるし、毛も採れるので、総合力としてはコスパに優れて映るz
 重要資材となる羊皮紙ありきとしても外せない
 (但し、寒い地方での放牧に適する)


> なので、異世界で、自由に放牧できるなら、羊もありなんだろうけど
> 豚舎に鶏舎に囲っておけば、取りあえずのモンスター被害から隔離できるという意味では
> 多少なり穀物に要する面積が広くあろうと、人の分と兼用できるのだから
> 西洋風の田園風景のそれにしても「お肉向け」上等だった‥草


 ‥つまり、江戸の人口100万人のそれが、西洋より圧倒せりしは
 肉食に進展しなかったから‥として扱うべきになるどえす(&魚文化だし)

 さらに、紙を漉く技術も有って、鼻紙用も扱ってた程なんだから
 羊皮紙分の面積すら必要なし‥まったく以て土地利用解釈に異なにゅう‥

 (歴史学者のツッコミ不足が判明す‥‥)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:19 | Comment(0) | ネタ文学 | 更新情報をチェックする

【創造原理】完全性と永遠性の獲得は、自覚せる意思表示の積み重ねこそが産み落とす

記稿.2024/04/30

> 真理に入っていくには、まず純粋な観照状態を自覚しなければならない。
> 条件づけに気づくことが、あなたを無条件な状態に連れていくのだ。
> (by「I am that」No.39‥p.193‥だそうです)


 ‥自覚だそうです
 理解や認識止まりでは駄目という御説どえす

 つまり、てめえを無条件に導くには、自覚して正しく生きるしかねぇという御説どえす
 (てめえの行動×想念がすべて鍵‥みたいな)


 ‥観照状態を用意する云々を含めて、てめえで準備しろって御説どえす
 誰も手を貸さないぞという御説どえす

 (ここでの「純粋」とは、シンプルにそういう解釈になるかと‥)

  ‥今日はたまたま調子が良かったというようなあるある程度では不合格ッ
   そのような日常あるあるとの差に非ず
   たまたまを超えて自覚できるとしたその都度その都度の違いを俯瞰せるなり
  ‥手順やら道筋やら組み立てやら有効タイミングが、スッと解っちゃう状態の
   さらに我なき段階みたいな


> この宇宙におけるひとつの大原則をお教えしておきましょう。
> それは、「存在するものはすべて完全ではない」というものです。
> わかりやすくいいますと
> 「宇宙には不完全なもの・部分的なものしか存在できない」という理(ことわり)があります。
> (こちらは、宇宙全史??‥まぁどっちでもいいか‥)


 ‥存在するものはすべて完全ではない
 ‥認識できうる何かはすべて不完全??

 「じゃなにを信じて生きれば善いんだよ!?」


> あ、違った‥何を信じてラブ囁けば好いんだよ!?(要らねぇ‥無駄‥言ってる話だz)


 ‥まぁ本のタイトルが、「私は在る」なんだから、すでに答えを示してあるわけだが

 「何が在るの?」「何が私なの?」「完全性の側の私が在るって事なの?」
 「そいつって‥無口上等なんだけど、まさにそのままのそれっきりなの?」

 ‥とまぁそんなツッコミになるどえす
 「真我とした私は在るとは言っているけれど、私は知らないどうして?」

 「だってそいつ、いつも無口だし‥」


> ふむふむ、私としたアイデンティティーですら不完全くせぇのだから
> 私としたアイデンティティーを創造せしめる為の積み重ねをし続ける姿こそが完全性みたいな


 ‥まぁ確かに、そのように正しい生活をして生きれば、「私は在る」に近づける!?
 其を逆から見ると

 斯様なる善処せぬ世界‥もとい、意欲脆弱なてめえなんか偽物ですからと言いたげどえす

 まぁそうですよね、真我とはまさしく、積み重ねて行く姿勢に宿るべきどえす
 (依存でしかアイデンティティーを主張できないなんてダサいだけどえす)


> だがしかし、人間は個として生きているわけでは無い
> 存在する何かはすべて不完全‥つまり、どんなお付き合いも不完全‥
> 不完全燃焼せる情勢を完全燃焼やらかすには、貫かなきゃならんどえす
> (さらに、たまには‥善意としての褒美やら囁きが欠かせないとか何とか‥超面倒、無駄ッ)


 ‥それはその都度
 ‥それは依存なのか?、アイデンティティーなのか?を思い悩む所でも在るので、とても意味不明
 ‥それには裏があるのか?、ナチュラルなのか?‥とても謎

 (正しく歩けているのか?、踏み外しているのか?、人生塞翁が馬とはいえ‥誰にも解んねぇ)
 (それが自覚の積み重ね次第で、スッと解っちゃう段階が在る‥という話だな)


> つまりは、創造たる心得になるどえす
> つまりは、創造たる意図が解る‥もとい、我こそが創造なり‥みたいな


 ‥いやいやいや、どんだけの視界想定からそれ述べてんの?
 平行宇宙とか、ねじりんぼう宇宙とか‥(ほんとマジ‥その辺に需要なんか誰も気にしてねぇ)
 だがしかし、真我に至るには、知らずに素通りなんてあり得ないみたいな‥orz



posted by 木田舎滝ゆる里 at 00:22 | Comment(0) | 黙示録 | 更新情報をチェックする