↓4)記稿.2024/05/19
> 法の精神の軽くなった時代である
> 大衆もまた自由とばかりに軽くなった時代である
> コスパコスパと商品の中身も質も軽くなった時代である
‥軽くなって飛べる時代に成るのかと思いきや、エア・モビリティはなかなかやって来ない
代わりに、地を這う程に生きるのが重くなった格差の時代である
(時代が変わらんとするその端境には、都落ちしたくない同士の隠れた争いがある)
(それは陰謀論でも無いし、貴族社会構造でも無いけれど、似たような状勢を醸し出す)
> ‥支配者一派の追われしが都落ち、其は悪政だったから嫌われた
> 嫌われるほどだったから敗れたのだ‥という風に思うのが「お子様脳」なわけだが
> 更に権力者が独裁だったからとか何とかという是非解釈に変わるのが「お年頃脳」なわけだが
> では、基本的人権とした社会において、それの形と流れと解釈のされ方はどう違うのか?
> とした中身がまるで空っぽにあるのが「お花畑脳」だ
‥「あなた方は古くなりました撤退すべきです、多数決で決めましょう」
民主選挙の意味する中身を問うなら、まぁぶっちゃけ、そんなもんだ
シェア争いにしたってそんなもんだ
‥だが、左遷向きな案件で肩を叩かれて
素直に‥「はい了かりました」と二つ返事する奴は、昔も今もそんなには居ねえ
それは恋人から「分かれましょう」と切り出されて、二つ返事する「てへぺろ」でしかない
「ぼくってやっぱり駄目だったんだ、今までどうもありがとうね」‥みたいな
そんなこんなで、無意識のうちに
「斯様に見られたくも無し‥」との心理も手伝って、ゴチャゴチャと懇願してしまう次第でもある
‥生活にゆとりがあろうと無かろうと、昨日までの日常を剥がされる一言に素直な奴の方が少ない
だが、まわりから見て‥アレじゃしょうがないよねとか‥自業自得だよねとか‥
お膳立てとした見方がセットになって揃っていると、ぐうの音も出ない
‥ぐうの音の出なくなるまで、軽く生きている程に‥読まない×読めない輩だけは
担ぎたくないとか、お付き合いしたくないとか‥とまぁ、誰しもはそう思っているわけだが
「まさか自分がその対象だったとは‥」という風にはなかなか考えない
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