2024年06月01日

【ボケて痛っ】「人生に意味なんて無い」と掛けまして「何をしても自由」と説くその心は?

↓5)記稿.2024/06/01

> 「何も叶えられないなら」「何をやっても同じ」「何をやっても無駄」
> ゆえに「人生に意味なんて無い」ならば「せめて自由に生きよう」


 ‥まぁそういう風に、思考がはかどるらしい
 ‥もとい、防衛的×反射的×本能的な帰結とも言えるだろう

 だがしかし、「何も叶えられない」と‥自覚してあるのなら
 「自由」からして、それすらも、何ら叶えられるわけが無い

 そもそもにして、てめえに「自由」を許しちゃいないのだ

 ‥「許していない」と言うよりは、「自由な生き様」を選択できかねているどえむ
 「自由な生き様を選択できかねている」のだから、ゆえに「人生に意味なんて無い」


> ‥そこで、それの窒息感をやけっぱちに解き放たんとして「何をしても自由」と説く‥
> だがしかし、大抵の多くは、「何をしても自由」とだけ取り上げて、暴走しだすどえす


 ‥まず、「詰まらないのは嫌だ」とばかりに、楽しいことをやらかそうとして勝手をやり出さん
 勝手すぎるのも迷惑だとして反省を伴えば、お行儀×マナーについて学ぼうとする御仁ありきだが
 基本はどうしたって、そのまんま楽しいを「脳報酬ポチい」として堕ちている

 ‥そして、ずるずると‥

 「飛んで火に入る夏の虫」と化しており、「鴨葱いらっしゃい」大会と禍しており
 {何をするのも自由}={他者の人生を奪うのも都合勝手}に堕ちている

 ‥負け組に定着しようものなら、「愉しい人生を歩めないのは理不尽だ」として
 ワラワラと蠢くしかねぇ集群に出来上がろう(生存権の保障をしろ!‥とかなんとか)


> だがしかし、本来の意味はかなり違う


 ‥創造曰く
 「すべての価値は全部同じ、そういう意味では人生に価値なんて特になし
  でも、なんでも自由にやってご覧、見ていてあげるから
  君らしく生きてみると好いよ」


> そこに善悪是非など無いのだが、善行vs悪行とした価値分裂に飼いならされており
> そこに善悪是非など無いのだが、善行vs悪行とした価値分裂に飼いならされており
> ‥人類の多くが、そこの間の単純な見落としに気が付かない‥


 ‥頑張っても頑張らなくても価値は同質だ(とも言う)
 ならば、生きていけそうなゲームか‥自分には無理なゲームか‥との違いが迫るのみ
 ならば、手を取り合って生きていくべきか‥否か‥の探り合いにならん

 (ところが、よくよく俯瞰してみると)

  其に誘導したくとも、上からして、腹を括った劇場くささが欠かせなかったくせぇ
  (人類のその気性能なんて‥どうにもそんなもん???)
  (上の及び腰とした姿勢と相絡まった其を‥フラクタル構造とも言う)

 (善悪是非なんか本来無しなのに、立場上の裁き基準として順位を設けざるを得ず‥みたいな)
 (上の世界で其をやらかしだすと、下の世界にも模倣せんとして降りてくる‥なんだかな)
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 12:57 | Comment(0) | 日記/2024 | 更新情報をチェックする