↓2)記稿.2024/06/06
> 何かを成し遂げんと欲するなら、それに対して貪欲にならざるを得ない
> 但し、その手の貪欲さと、物欲のそれとはかなり違う
「己を磨かずんば志を掴めず」なり、その為にも先立つものの用を厭わずに手にすべきにならん
(ぶっちゃけた所の、競争ありき‥派閥ありき‥時代によっては戦争も‥)
(そんなこんなで、偏りすぎたり脱線がすぎると、まんま腹黒×物欲の塊にしか見えないものさ)
> 仏陀は貪欲さの必要を説かずに、しれっと噛み砕いてこう語った(要約)
> 「正しい生活をするべし」
‥だがしかし、仏陀は生・老・病・死は苦しみだと提示している
「正しい生活も糞もねぇだろうがッ」
‥何が正しいのかなんて、さっぱりどえす‥
(仏陀は、冷めた見方をするので、情熱とか熱意とかその手の表現を用いません)
そんなこんなで、苦しみからの解脱に向けた生活観みたいな捉えられ方なのも仏教なり
そんなこんなで、それはこうにも聞こえてくる
「この世は、苦しいけれども頑張ろう」‥‥抹香くさっ‥
> そして仏陀は、続けざまにこうも説く
> 「欲は好ましくない、欲は取り除くべきだ」
‥いやいやいや、苦しいからこそささやかながらの楽しみが必要なんだろうがッ
それを無しにして、何をどう頑張れ言うんやッ!?
それに対して仏陀はこんな風に説く
「あなた方はすぐに苦しみからそっぽを向こうとして自分をごまかすばかりだ」
「其を『欲』と呼ぶのだよ、『欲』に負けてしまう性根を『煩悩』と呼ぶのだよ」
‥まぁ仏典翻訳の都合もあるので、『欲』=『エゴ』=『無知の知』として良いと思います
とはいえ、「欲」とした翻訳からの勘違いが横行しているようでして
「僕は『欲』の少ない口です」とかなんとか‥平気で使っていたりするどえす
> では問おう、「無欲」とは何か?
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