2024年06月15日

【袴田事件】そもそもの血痕の付着には「赤み」以前とした科学的な未検証が山積みな件

記稿.2024/06/15

> 証拠とした衣類には既に味噌に漬かっていたとする当時の臭いも無し
> そうでなければ、腐敗が進んで保存もできない(外野からはそう見える)


 ‥まず味噌に漬かって、血染めとした血痕のDNAはどれ程に保つのだろうか?

  味噌に分解されてしまっていては、DNA鑑定も糞も無い
  結構な時間を掛けた結果、より分解が進んでしまうなら、赤みもクソもねぇ
  DNA鑑定とした証拠として不十分なら、それは証拠には満たないものだった草


 ‥次に、証拠を保管するために洗浄した際に
 DNAとした付着の残りは、%でどのぐらいにまで落ちるのだろうか?

 (それはそれで、検察側の不手際であり、自らで証拠を破棄したと言わざるを得ず)


> この二点のリスクについて、科学的論点がまるで欠落しているではないか!


 ‥何やら、DNA鑑定としての信頼性が低そうな案件に堕ちている

 其をそれでも証拠として挙げるとなると、もはや現場検証頼みとした前時代的な解釈しか残らない
 ならば、容疑者の動機とした論点が欠かせない話になる

 その論点に突破口が無いもんだから、「赤み」とした主張を企てているとも言えるだろう


 ‥赤みが残るとすればそれは何か?

 DNA(タンパク質)とした観点からはとても怪しい
 血痕が証拠になるに非ず、今や、そこからのDNA判定ができるとしての証拠扱いなり
 DNAがDNAとして覚束ないなら、それは証拠不十分でしかない
 「血に非ず」とした見方をせざるを得まい

 (それこそ、現場に血痕が残っていたまんまを採取し経て証拠になるぐらいの話だ)


 ‥そもそも、洗い流して血の痕が色として残ったにせよ
 その血の痕の色が、何かを、我々は詳しくは知らんのだ

 科学的な成分としては、タンパク質ではなさそうである
 それでなくても味噌に漬かっていては、タンパク質としては変位していたはずなのだ

 そこの論点を蔑ろにして「赤み」騒動この上なしの論理誘導は怪しすぎる


> 偽証として赤みを誘導に使えるとした策謀にだって見えるのだ
> つまりは、映画等での血糊とした見せかけ成分のなれの果てかも知れないではないか‥??
> 偽造であれば尚のこと、鉄分の比率を血に寄せているのかも知れない‥なんて考えすぎか‥



 それでも検察側が偽造などしていないともなると
 文学的な論点としては
 真犯人が警察と内通していて‥証拠不十分なので何か欲しいと言われて、
 味噌タンクに仕込みやらかしましたん‥とかなんとか???

 もしくは

 真犯人が先読みすぎてて、始めから作業員の身なりで犯行に及び
 味噌タンクに証拠隠滅を図った‥とかなんとか???
 そうすれば、作業員の範囲で捜査が及ぶだろう‥とかなんとか???

 (どちらかというと後者くせぇz)
 (すると、どうしたって疑うべき範囲が、当時の経営側にも及ぶだろう)
 (だって、その手の作業着を用意せなならんでよぅ)
 (大ざっぱにやからして違っているなんて、それは部外者のオチにならん)


 ‥当時の検察は、発見されるまでの味噌タンクの取り扱いについて調べただろうか?
 1ミリも話を聞かんでよぅ(ここがとても謎)

 (俺が犯人だったら、そこのタンクに近づけたくねぇってもんだz)
 (味噌の仕込みの時期との関連を詳しく!‥と思うべきが検察のはずなんだけど‥)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 12:00 | Comment(0) | 日記/2024 | 更新情報をチェックする

【詩】獣と屑の二択だけの脳

↓3)向宜詠吟.2024/06/15


まだ若くして、自らの才×体躯を駆使できて、何かを成し遂げんとしてレールの上にある内は
そこそこの環境育ちにある内なら‥まだまだ無理ゲーでは無いのだからと
イキがっていられる(??)イキがってこそである(??)

まだまだ足掻くことのできるチャンスの札にある内は‥ザコやモブよりは格上だ(??)

そして、敗れたり、結論を見出したりとした結果‥すべてに期待できなくなるから絶望する(??)
誰にも期待できないのなら、すべてを破壊してしまってもかまわない‥かも知れない(??)

そんなこんなの抜け出したいとした足掻きからも
成り行き知らぬが内に、周りの破壊行為に勤しんでみたりとか‥なんとか(??)


ああなんと、獣と屑の二択のみ脳みそ構造なのだろう‥
ああなんと、腐っさ甘ったれた脳みそ構造なのだろう‥
ああなんと、人たる寄る辺なき脳みそ構造なのだろう‥


血に飢えているにせよ‥力に飢えているにせよ‥希望にほだされていたいにせよ‥
結局は偏っている。自分か‥誰かか‥何か‥にお熱を上げていたいだけの酔っ払いだよ。

バランス良く生きようとは、なかなかに思わないらしい。

そもそもその手の絶望から逃れてバランスを発揮せる姿を誰も知らないのだ。
そうなのだろう。だから、そこでは目に見えている世界だけがすべてになる。
目に見えている価値だけをすべてとせざるを得ない渦中で‥溺れるばかりだ。

だからだろうか(??)
現に合間見る同士での優位を競い、勝り、驕ることこそが‥悦であり快楽たり得るのだろう‥
どうしてそのように思えるのかが不思議なくらいに、酔い、酔っ払ってしまうらしい。

そこでは「美酒(褒美)を寄こせ」とばかりに奪い合うだけだと言うのに‥
褒美に酔いつぶれたとて、誰もが、誰からも文句の付けようなき勝利を‥望み抱くのだ。

結果として、命を賭け遭うことになる‥
結果として、「太く短く」とした使い捨てに、誰しもが捺印せり。
結果として、抗うのもカッコイイとして、やらかしてもいる。


「それのどこがカッコイイのか?」‥とした疑うべき角度を知らないかのように‥


何はともあれ、それにしたって生き方の一つであり、感想であり、好みの差にすぎない。
その手の褒美に興味がそそらないのなら、違う生き方をしているはずだ。
でも、酔いしれている内は、誰しも別の草鞋を履こうとは思わない。

それ程に、不思議なぐらいに、酔いつぶれているのだ。
それは、どうしてそうなっているのだろうか?‥とても奇妙だ。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 10:49 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする