3)記稿.2024/06/18
> 死んだらそれまで‥ならば、この世のすべては幻も同然であろう
> 死後があろうとも、この世界から離れてしまうばかりなら、幻も同然にならん
> ‥などとお堅く考えずに、ザックリこう考えよう
‥この世界はゲーム世界のように幻そのものなのだから、何をやらかしても自由として良し
そうであれば、そこには、私とした世界のプレイの仕方の問題性・課題性があるのみにならん
罪の意識に苛む必要も無いし、自己満でも十分にあろう
汝のすべての不満足に対しては、トライアンドエラーで事に当たれば良し
とした基本理念(創造性)に基づいた方針があったとしよう
貴方の世界に居る諸々の者らが、モブ然として同時多数的に存在するにせよ、そちらも全部幻
もとい、幻覚魔法のような術のなれの果ての如きで成り立つヘンテコな世界としても筋違いに無し
「私、死んだはずなのに生きている‥」なんてオチなら‥どうしたってそれに近い‥
(但し、お互いに死んだはず同士がまんま隣り合っていたら、そりゃまぁ解釈も変わるどえす)
とはいえ、その世界にはその世界のテーマがあるのだから
そのスタート開始からどのように位置づけてプレイするかは、それこそプレイヤー次第どえす
> 誰だってゲーム世界をプレイしてみたくなる動機としてはそんな感じだし
> そう思ってみた段階程度で、罪に問われることもなし
‥そのような思考の選択×自由を謳歌して好いなら
それこそそこには、貴方の趣向、貴方の望みを叶えるためのし甲斐があるに違いない
そしてそれは、貴方の創造性とした反影であり、貴方自身の望んだ人格の為し得る所とならん
ならばつまり、貴方が貴方と思い込んでいるそのアイデンティティーやら至福感にした所で
人格製造器としたゲームに参加しているだけなのだ
> 最終的に私なる者が欲すべきは、創造せしめるべきは、これぞ私なりとした「人格」どえす
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