向宜詠吟.2024/08/19
|傅けば人臣上等民上等 神なら吐かぬ「なんで私が」
|誰がためのやり甲斐なんぞ豚の餌「なんで私が」其は格差上等
|頼られて「なんで私が」天高し しがらみを授かりて半人前
|やり甲斐を引き寄せたくば「なんで私が」改善のみ其はゑにしなり
‥世の中には、聡い者と疎い者とが居る
世の中が能力主義だからと言っても
聡い者が疎い者の上に立っているかというと、必ずしもそうに非ず、不思議と違うておる
其は、どこそこかしこにて、受け継がれてきた流れが在り
後輩な者から見て、先代の其れを必ずしも優れているようには見えぬ悪習慣もチラホラと混じる
‥一方で、聡い者だからとて疎い者の面倒を見るかというと
頼まれてもいないのにそんな世話を焼く者は珍しい
ほとんど多くが放任するのだ、疎い者は疎い者同士でつるめと言わんばかりに‥‥
‥だが、疎い者は疎い者らで
自分・自分らの呑み込みが悪く、応用に鈍く、怠惰に流れやすい部分で
不運がもたらされ続けるとは考えず
なぜか改善する気もねぇのに、神頼みとばかりに安易に頼ろうとする
その上で、偉そうにも、自分好みに神を選んでいたりする(糞どうしようもねぇ何様だよ)
人間同士でさえ、そういうアンバランスな部分で放逐されちまっているのに
其を呑気に朧気にバイアスに「運のせい」にして、辛抱を決め込むのだ
その辛抱にしたとて、理解しての成り行きに非ず、仕方がないとした無知なままの成り行きだ
> どう考えたってそこは、「運のせい」=「神のせい」なのだy
> (心の奥底で神に悪態を付いている様なのに、すがろうとする様は矛盾どえむ)
> (矛盾したままの其を上から見下ろしたなら、どうしたって、感謝なんて1ミリも有りはしねぇ)
> (そんな輩を手助けしてやっても騙される流れに落ちるのは、どうしたって神の方なのだ)
‥聡い者からしたら、疎い者のそういう学習能力の低さ、観察力の緩慢さに腹が立つ所だが
わざわざ腹を立てても仕方が無いとばかりに、放逐する流れを用意してあるかのように
なぜか、景気には変動がやって来る(はい、サヨナラ)
‥だがしかし、物事の其処がとても鏡似性だ
疎い者から学ばずに、学べずに、只垂れ流してしまうだけの聡さなど未熟も未熟で糞なのだ
そこのどんぐりの背比べを俯瞰できないのだから、全体で進歩など見せるわけもなし
> どこが聡いんだよ、何に聡いんだよ、よすがもねぇ
其処を行くと、神とも成れば、投げ出すことができない
是が非とも、しおれているように見えていようとて、立派になるように育てるしかねぇ
ならば、そこの巡り合わせに幸福論なんか有るわけもなし
神にできるとしたら、そこはもう‥聡い者と疎い者との組み合わせのゑにしづくり‥一択である
人間同士だと、どうしたって損得感情が先走って、そんなことは微塵足りと眼中にねぇ
せいぜいが、お気に入りを侍らせたいだけのちんけな貪欲さだ
聡い者同士で組めば最強としか妄想していない(そもそもどこを目指すのさ?、意味有るの?)
都合だけの思考に、成功も、その先の展望もありゃしねぇ(せいぜい好くて格差社会だy)
マンガにしたら、新たな悪意がやって来て、鎬を削るワンパターンだy
そこには平和主義なんか1ミリもねぇ(オレオレ正義の押売なだけだろうがッ)
‥多少なりとまともにあろうとも
聡い者は聡い者同士で、流儀の違いですぐに喧嘩を押っ始める
其を競争原理の燃料棒にして、分離することにお熱だったりするのだ
(社員やら世間をどんなに格付けしても一体感なんてやって来ねぇのになっ)
‥すると、どうしたって保痴な性格の方が上に抜擢されやすい
(争いを好まない=上から見たら扱いやすいに違いねぇ‥とかなんとか)
(とくに育てる気概に非ずとも、見映えが好ければ下が付いてくる‥みたいなあざとさ期待感だ)
(それが競争社会に漂う‥澱(カルマ)という奴だ)
> 残念な事に、人類の誰しもは、そげな澱からのスタートだ
> 生まれと育ちから多少なりともショートカットの立場を得ていようと
> そげな土俵に立てて漸くにして半人前なのだ
> 改善を起こせて、形にして、達せて、五〇年は維持して見せて
> 漸くに一人前と見なされる流れにある
‥そげな道中に幸福感を欲しいと思ったら
それこそしがらみが「ゑにし」に見えるように、てめえを改善する所からやらざるを得ず
それはそれで、捨てる所などどこにも無いとした、別の意味での貪欲さの用有りなのだよ
それで外から仏に見られるようになろうと、そこにあるのも、どうしたっててめえの都合だ
(貪欲さの方向性と質が違うというそれだけのことだ)
> うた詠み終わります、ありがとうございました。