↓4)記稿.2024/11/05
> 「お友達をホイホイつくれる才覚」vs「民衆に支持されちゃう何か持ち」
> どうもこれらはイコールに成らず、対立するらしい
‥日本の場合、其は、絶対的にイコールには成らんらしい
お友達を作るにせよ、家庭環境は外せず‥
裕福な家庭で育つか否かとした要素も外せず‥
そげな意味で問うと、「自民」vs「旧民主」とした中身が
「中間層以上(上流意識)」vs「中間層意識」とした内訳にも見えり(実際の平均など知らん)
‥なので、上流願望(ステータス願望)とした内訳で競争が展開されるばかりだろう
そこでは自由などと語っておきながら、下から吸い上げる自惚れ機構があるばかり
其処にある自由にしても、価格設定の自由であり、マージンの自由とした内訳のみ草
(勿論、雇用も含めてな)
(更に、低価格攻勢としたそれ自体が、派閥のバックの発行権云々とした差だとしたらどう思う?)
(問答無用で、金融を牛耳っている‥もとい、発行権つながり派閥側に有利だ)
(独占禁止とて、派閥の云々まで唱えちゃいねぇザル禁さ‥発行権同士で談合してたら無意味)
(国民主権なのに、借り手でしかねぇ国民にある人権とは、命を担保にする代わりの方便なのら)
その上で更に、中間層意識の側には一定のバイアスが掛かるのだ(今やさらに下層が大半に‥)
それは、「勝てば良い」とした勝ち方への戸惑いゆえの脆弱性である
(弱い立場のくせに「切り捨てても良い」だなんて、言う奴は糞)
(上層でさえ、都落ちが嫌なくせに、其処の同質を‥弱者の側の弱さ‥にすり替えては)
(誰も責任なんか取らねぇよ=其は暗黙の談合‥同然なり)
> 「民主政治が数で決まるなら、数を集めれば良い」
> この一般的な理解がそもそもの罠で‥そこの解釈の仕方の誤差が、未来への脆弱性と禍す
‥まずは、数対象をどう捉えるかよりも
結局の所‥予算を引っ張ってこれないと結果は付いて来ない‥
それはつまり、お金を持っている側との交渉力(駆け引き)であって
国民からの支持の多さとは余り関係が無い
(ぶっちゃけ、お金を持っている側からして派閥だ)
(そこの実際を習わないからとして、公平に貸し出されるなんてあるわけねぇ)
(貸すも貸さないも経営の自由だ、貸し出すに相応しい駆け引きがされてくる)
> 国民主権ゆえに、国家が民間一つ一つの経営に口を挟まないにせよ
> てこ入れするのが国家の権限であるかのように振る舞っている
> 結果的に、競争とした内訳として、てこ入れ依怙贔屓が発生し、競争も糞もねぇ状況を醸す
‥資本の投入からして派閥対立なのだから
部外の人気が有りすぎたり、衰えを見せぬなら、脅威を感じて叩きださん
(この叩きたくなる都合が、都合と言うよりは、単に嫉妬からだったりするのだが)
(嫉妬上等とばかりに麻痺しており、今や表現の自由を装いつつ反射的に叩き出す)
(叩くことで本物か否かを見定めようなんて考えは、どちらかというと皆無だ)
(叩きたくなる本質こそが嫉妬だからだ、憤りとはまた異なっている)
(ほぼ賛成案にあろうとも、先手を取られては遺憾とばかりの剣幕をも絡む)
> 嫉妬ありきの世界では、論の正義や理想よりも、現場の都合と人間関係の都合を重視する
> そこにある民主主義とは、大きな合議制より、小さな合議制なのだ
> それにしたってそもそもが、合議制よりも「私の成果」「俺の取り分」なのら
それでなくても
お金を持っている側が、お金を持ってている状態の保持を賭けて来るのだからクソッタレ含みだ
お金を持っておらぬ側が、其に擬えば、同じく、存在感としたクソッタレを賭けるのだ
それはどう見たって同じ臭いがしていて、クソッタレである
つまり、お金の代わりに、プライド(椅子)を持ち上げるのだ
それは実績と言うオチなのだが、それこそが何回当選した‥みたいな(所謂、先輩風である)
(当選回数を以て実績とか‥それ自体の中身の空っぽさに対する自覚が無い‥)
(それこそ、どこそこの大学を出たを自慢げに、死ぬまで繰り返すタイプそのものだ)
(結果、どうなってんだよ?)
> 斯様なクソッタレ群を支持するしかねぇのが、多数決の実情では
> 始めから人権論も民主化も戯れ言で、遠き道のりだった
(どいつもこいつもステータス重視なんだから糞)
(そもそもの幸福の創造とした方向性が、てめえ好みのステータスのゲットなんだからな)
(てめえの生き様にステータスを持ち込むのは勝手だが、人選に持ち込む意味なんてねぇ)
(そんなこんなで、派閥で組んでりゃ、三権分立に意味なんてねぇ)
(それはつまり、人権論なんざ只の空想どえす‥‥なのに信じる様は只のどえむなり‥)
> ステータス自慢したいばかりの幸福の創造をやらかすために選ぶのか?(格差上等)
> それとも、公平たる番人を求めて選ぶのか?‥‥おめぇらいい加減にどっちなんだよッ!!
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