↓1)記稿.2024/12/03
> この世界は実験場である
> その実験とは、意識体が織りなす文明群の観察である
> その手の実験では、実験者側の予想と方針と経過観察が繰り返される
> その時、最も重視されるのは、「持続可能か?否か?」とした可能性と失敗原因の選り分けだ
> あと、退屈しのぎがてらの注目にたるユニーク個体の発見である
‥以上のような様相を呈すると
その中身は学校教育のそれと然したる差なき状況を醸すらしい
つまり、合格には合格域とした許容が付き纏うのだから
その許容の範囲ながらの自由が確約されるなら、誰もそれ以上に挑戦しようなどとは考えない
何をしようとも生かされている場面の方が多いのなら
そりゃまぁ神なんか居ないとした悪事のやらかしだって、お互いの間にバレなきゃ好い
という具合に隠蔽工作ありきとした割合が生ずる所にもならん
お互いの間に秩序を保つ気概が生じ得ぬなら尚更で、割れ窓理論の如しだ
(もっともそれとて、実験側のトライアンドエラーの果ての調合たる結果かも知れん)
> 実験側が如何様なる正しさを意識しているのかなど、実験対象側には理解不能だ
> というよりは、実験側とて
> 持続可能を為すに値する意識群の図面を知らんからこそ実験を繰り返すのだ
(まぁつまりは、初期の予想が失敗だったので、延々と繰り返していたらこうなった‥みたいな)
‥ゆえに、予想と方針を超えてくれないのでは、すべては失敗の連続だ
自らに矜持を抱き、その信念に従って行動をする様に成るのか成らないのか‥
それが所謂、悪事ありきとて重要な兆しだった事に成る
有り体のモブよりは、ずっと気が利いているとして注目したであろう
それらを解析して、遺伝子を弄る繰り返しだっただろう想像に難くないところだが
それはそれで、とくに優秀な意識群をより集めた文明実験もあったであろう
> しかしそれとて‥‥「上」を目指すことはあっても「正しさ」を目指す傾向は低かった‥
> 実験側とて、「正しき」を目指す傾向を高めるにはどうすれば良いのかを再認識したことだろう
‥簡単に述べると、実験側が取り扱う
予想と方針の間には、必ずや、合格と不合格に許容が生ずるものである
その許容を「寛容」「自由」として、勘違いしたままに甘えやらかすのが人類だった
そして、それら上に立つエリート群にしたとて、お互いに凌ぎ合う程度には頑張るけど
自らに矜持を抱き、その道に向かうとした傾向には疎かった
というかその程度の意識群のやらかしの多くが、格差と環境破壊だった
つまり、「持続不可能」=「悪」が蔓延るばかりだった
> 正しさ(全体的な持続可能)を求め抱いて、立ち進まぬ限り、正しさなど身に付かぬなり
> (科学万能主義程度では、永遠に辿り着くこと叶わず)
‥其を各々が自ら求めるようにと実験側が遺伝子改造したとて
それはそれで‥協力し合うという流れには至らんかった草
其れの状況を一言に語れば、「自由主義」「競争主義」「実力主義」「成果社会」となり
‥集団教育として取り扱おうなら、途端に「全体主義」などと罵り合う様を見せるらしい
(まぁそれもこれも、実験側とて派閥ありきだからだろう)
(それな傾向の入れ子式みたいな状況に陥るのも又、宇宙の性らしい)
‥もっとハッキリとした物言いをするなら
実験側の「無知」含み故の経過こそ、実験地上の失敗に次ぐ失敗なり
(そもそもの上からして「無知」=「悪」を抱えているのら)
(そして、無理に躾けんが故に、多少なりの悪が欠かせない‥‥というオチを呈するらしい)
(実験を進める上での個体に対する好奇心の%植え付け‥みたいな)
(其の手の調整はやってみなけりゃ分からない=無知でしたオチどえす)
> それの状況を裏返して正当化しようとすりゃ
> 人類が学んで立ち進まないからこそ、悪巧みこそが、持続継続可能状態を見せている‥どえす
> (まぁバレたらバレたで滅するし、再起するのも悪意の類似やらかしなんだけどさ)
> (それにしたって、人類のエリート群とした注目がそちらに偏っているからなり)
‥それに依存しているのが「下」の労働群にございどえむ
てめえの出来損ないさに甘えて、いつまでもてめえを「下」に戴いていたらまず無理どえす
(正しさに歩み出すのに、上も下もニャ、しんどさが付き纏うか否かだけだったりするニャ)
(それにしたって単純に、グレーゾーンなエリート群にこき使われるのと差なんてニャ)
(今日と明日とその後のパンとサーカスが欲しいばかりだったりするだけニャん)
> とはいえ、ニャンと素晴らしい‥
> 依存だけは継続意欲ありなのに、其を自らでひっくり返すことだけが不能とか
> 実験側としては、あともう一息とした見立てなのだろう‥‥
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