2025年01月12日

【痔日記】通院十回目

記稿.2025/01/12

> 新年の挨拶代わりのつもりなのか、手術前の確認なのか「どうですか?」と訊かれたので
> 下剤についてあれこれ言いだしたら
> 「量は自分で調節して下さい」と丸投げされたz(始めに言ってくれ)


 ‥一日三錠を愚直に飲み飽きて一錠にしていますの流れを伝えたら
  二錠に減ったのだが、色々と試した結果、俺には一日に一錠で十分とハッキリしたのだった

  (冬だから食っちゃうし、それで三錠も飲み続けると、糊ぎれの悪い便になるz)


 ‥そりゃまぁ途切れも悪いし、腫れもぶり返すわな
  まだちょっと腫れていると言われて、明細見たら、いつもの鎮痛剤を注入してあった‥‥

  (半脱肛してしまう理由に、腫れの残り加減が加わったように思えたが‥)
  (それって、下剤での通じ加減の諸々失敗ありきだからなぁ‥結局は腸内のガス圧加減だy)
 (通院するのに朝便は面倒なので夜に回していたのだが、これがどうにも大失敗だった)

 (手術は午後からで、浣腸するとかしないとか)
 (なら、朝もしくは午前中に切り替えた方が都合が良さそうなので、切り替たらスゲー楽になった)


> 半脱肛状態だとさすがに筋トレが無理なので
> 筋トレをするには、尻の締まっている朝起きてから直ぐにやるしかねぇ(そんな感じ)


 ‥スクワットの回数も100を越えるとめちゃ腹が減る
  すると消化も促されて、尚のこと一錠で足りるのら
  (足りすぎるようなので、逆に筋トレ後の空腹加減との調整がまだ判らん)


 ‥年末年始は三錠飲んでて、半脱肛に悩んで筋トレできず、良い結果にならなかった
  だが、お陰で下剤(マグミット錠)との相性の悪い食い合わせを理解した
  (お茶類がだめで、乳製品がだめで、さつま芋系の食い過ぎにも難を示す)


> そんなこんなで、戦時下戦後の芋暮らしで芋嫌いになる人のそもそもが便絡みなのではと思った
> そんなこんなで、「もっと米食いてぇ」と思うのだった


 ‥だがしかし、体質的に炭水化物を摂りすぎると眠くなる
  同じ炭水化物系でも、米はてきめんなので悩ましい
  (若い頃はそうでも無かったのに、何が違ってきているのだろうか?‥謎)


 ‥一番に相性が良いのは蕎麦だな
  消化が良すぎるのと下剤との相性とで便の量が極端に少なくなるし、結果、腹が減りすぎる
  おかゆ(米)にするのも同じ効果を得る

  だが、米が良いからと、調子を放いて餅を一度に沢山頬張ると、これがハズレだ
  米と餅米が違うのか、餅の消化が遅いのか
  腹持ちが良い=消化が遅い=下剤でも同様とした傾向があるっぽ

  (通常は形をなして出てくる所の量が、軟便ずるずる化してしまうわけでとても悩ましい)
  (甘い物を食って下剤を飲むと、そりゃまぁガスの出が多くなる‥とても悩ましい)


 ‥卵の食べ過ぎやら、食べ方によっては便秘を誘うわけだけど
  どうせ下剤を飲むんだから、そんなの関係ねぇ事に今更に気が付いたz

  (肉より卵の方が消化としては軽いのだからな)
 (だがしかし、寒い時節になると、冷や飯×冷蔵卵での「たまご御飯」みたいなのはアウトだ)

  (なので、冷え冷えたまごご飯×熱々の味噌汁をぶっかけて食うという発想にも及ぶのら)
  (まぁ言ってしまえば、炒めていないスープ炒飯みたいな印象になるのら)
  (ご飯を卵でコーティングする所が同じと言うことである‥‥工夫の余地は十分にある‥)



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2025年01月11日

【短歌・二次創作】アルプスのおんじ歌集「No Heidi,No Life」‥百四十八射

↓14)向宜詠吟.2025/01/11


|アルプスと山羊とチーズと鷹の空 唯それだけの我が孤高かな


|他人とのつき合い拒みアルム小屋 だがな樅の木儂こそ人さ
|あいつらは「おんじ」と嗤いすれ違う 気高き意志に恥ずかしげもなく
|「ああ、独り」くじけるものか雪しまき 絶やさず燃やせ儂の炎

|頼らずに黙して削る冬細工 されど交換せざるを得ぬや

|営みの要のチーズおらが自慢 こだわればこそアルム山小屋
|山羊チーズ背負い下りては ごく普通 やり切れぬとてパンと交換

|何もかもおためごかしや里づき合い 気にくわんとて他に有るまじ
|山羊飼いやふもと付き合い春の鈴「山羊の大将」これにも世話に
|世話になる己に不満 山羊絡み ずっと冬が好いなどとあるまじ


|ヨーゼフは寡黙な儂の折り合わせ 山羊飼いなぞに頼らぬ示し
|いつの間にこやつも寡黙ぞ山羊の犬 賢い奴よ相棒ヨーゼフ

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2025年01月10日

【フラクタル】{創造}={幻想}なのだから‥

↓3)記稿.2025/01/10

> 常識的にも、私たちの夢見や空想は、全て妄想扱いである
> 貴方が、バリバリの唯物主義者なら異論を唱える余地などなかろう
> では、それが入れ子式だとしたら‥‥物理的な物質としての本質はなんだろうか?‥


 ‥宇宙の存在性からして誰かの妄想だとしよう
  其を創造と呼ぶにせよ、偶然の産物と思い込むにせよ
  妄想は全て幻想であり、実験的であり、不確実な要素の塊であり
  それ以上でもそれ以下にも成らん(そういう類の産物なり)


 ‥で、バリバリの唯物論者なら「だから死んだらお終いなのら」と叫ぶのだろうけれど
  「宇宙の死とは何だろうか?」‥とした問いをスルーしたまま答えを得ちゃいまい

  宇宙自体の死の定義を問わずして、死んだらお終いなどとはコレも又妄想の類なり
  どの科学者もソコを端折って、ブラックホールに飲み込まれる想定を死と思い込んでいる

  だが、銀河にしたって何だかんだの再生の繰り返しの産物に見えるし
  ブラックホールに飲み込まれる規模にしたって、宇宙の大きさからすれば高が知れている
  観測不能なほどの規模の宇宙を相手に、勝手に、規模の制限を想定するには気が早すぎる


> とどのつまり、宇宙の死とした現象を誰も知らん(想定不能)


 ‥そこで、宇宙が不死なら
  生命の根本からして不死と考えるべきが入れ子式・フラクタルとした見方なり

  そこからの想定で、不死なら不死で、何者かが創造を繰り返しているとの定義をせざるを得ず

  されど、それとて妄想の域を脱してはいまい
  ならば、実験の域を突破してもいないのだ

  だが、私たちからすると、すべてが保全されているかの様に見えり
  だが、未来が変われば過去も変わると語り出されては、それとて怪しけれ
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2025年01月09日

【フラクタル】多様性とは何か?

↓4)記稿.2025/01/09

> 記事1:「僕には生活費すらない」地方公立校から塾ナシで東大合格→仕送りナシで“貧困生活”…地方出身の東大生が、入学後に突きつけられた“厳しい現実”
> 記事2:“エリート育ち”の東大出身者は「普通の日本人」を知らない…両親高卒・地方出身の“苦労人”東大生が、大学入学後に抱いた違和感の正体



 ‥↑の記事を読むに
  エリート層の考える多様性とすそ野庶民の考える多様性には、隔たりが存在せり‥‥
  ということで、その違いとやらをお題にしてみた‥


 ‥例えば、マンガ・アニメでは、ツンデレ富裕層と庶民主人公との接触とて、普通に演じられる
  すそ野庶民からすれば、もとい、制作群やらオタク群からすれば
  これこそが多様性だ‥とかなんとかバイアスが掛かるわけだが

  現実ではなかなかそうに非ず、それはなぜだろうか?


  ‥単純にエリート側の考える多様性が、技術の融合・応用・複合とした方向にしかないなら
   そこにあるべきは、合理性×有用性×有益性であり
   結果的に、真新しさは誕生すれど、活用段階での理解を得られるかは経費都合に左右されり

   そして、それがエリート側の椅子取り競争を兼ねた最もらしい多様性・変化性方向だとすると
   お互いに鎬を削れば削るほどに、不思議なお約束の如き閉塞方向へと向かうのだ

   なぜなら、それこそが
   需要の先食いよろしくな、合理性×有用性×有益性としたやり口の流れだからだ
   (儲けてこそ、カネを動かせてこそ、エリートの椅子に座れる‥みたいな)


  ‥結果、新しく便利な何かが登場すると
   「ローカルな技術なんて要らないよね」とした勢いとともに、そぞろに廃棄提案にも及ぼう
   エリートのやらかす多様性には、なぜかその手の供給手段の選別までを含むのだ


> 著名人でさえスマホ一つで十分だとかなんとかの片手間で‥多様性をドヤ顔で主張する程だ‥


   ‥其は、どう考えたって多様性とした見方を履き違えている

    それの呟きは、スマホを介した多様の可能性なだけであって
    現実的にはまだまだ未成熟×不整備な状態のそれでしかない

    発展途上×理解度不足とした全体像がまるまる抜けているにもかかわらず
    誰しもが器用に扱えるとは限らないのに

    呟いたエリートの使いこなしレベルを基準にして
    ある程度の成功例が挙がろうなら、ローカルな技術の不要にまで繋がっていく有り様だ

  「これからの時代はこれです、皆さんのお仕事も便利に様変わりするでしょう」‥みたいな

  ‥性急すぎる其れは、どうしたって多様性に理解があるとは言い難い
   &てめえがエリートだからこそ、それだけ使いこなせているとした自覚もねぇ
   &新しき利便性を全ての者が扱いきれるとは限らない

   「古いと思ったら他の全てを捨てるのもあり」なのは、あくまで個人の自由の範囲であり
   「社会全体としての必要性がゼロに成るとは限らない」とした前提を無視している


  ‥とはいえ、社会現象として、過半数が同意しようものなら
   スマホの様に影響力が強い事象ほど、其れとした流れを醸し
   「右に習え」になって行くのだから、どうしようもねぇ

   結果、エリートだろうとローカルな技術を忘れていくのだ
  (其は、被災した際に、天秤棒を使って運ぶのもありとした意見が出て来ないのに等しい)


  ‥エリートだろうと誰だろうと、社会現象として片寄りすぎた後のことを誰も知らん
   一世代前の技術で言えば
   誰の目にも使い勝手の明白だったポリ袋やらプラスチックとした変化でさえ
   最終的にはマイクロプラスチック問題を招くに至った

  かつて空き缶のプルタブ問題にしても、そもそもは、人類のポイ捨て癖から来ている
  今やエリート層が、技術のポイ捨てをやらかすほどなのだから相当なのら

  (3Dプリンター技術さえ有れば良いなどと抜かす科学者もいる程だz‥)
  (宇宙対応とした意見らしいが、汗を掻きたくない人の発想すぎて糞)


> 結論としては、こう問える


  {掃除&整理整頓を疎かにする様なマヌケ}
 ={古き価値観を保全できかねる脆弱性}={環境を含む全体に及ぼす調和意識の低さ}

  ‥どうにもエリート層にはその怪が強いらしい(坊っちゃん嬢ちゃん育ちなら尚更草)
   &利権混じりにも、コスパから、古きを新しきに置き換えることに夢中で
    其を多様性とした方向だと思い込み、モチベーションとしている節がある

  結果的に、人付き合いにおいても、目的やら目標に適った人材との交流を好むのが流れで
  其も又‥すその庶民の思う公平×尊重なお付き合いからの多様性とした見方やら要求とは異なり
  それこそ、自分たちの目指す方向性から外れた人達は置き去りなのだ


> どうしたって斯様な流れを多様性とは呼ばん
> だが富裕層にはローテク好きも登場するのだから、技術的には保存性を示すっちゃ示すわけだが
> そこに騙されている節もあるのが、多様性とした言葉の一人歩きなり
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2025年01月08日

【フラクタル】衛星軌道に捉まる隕石群と捉まらない隕石群との差

↓2)記稿.2025/01/08

> 太陽系の公転軌道に位置する惑星は、元から太陽との繋がりを持つと言う
> 親子のような関係やら状態を派閥として扱うと
> 惑星の衛星軌道に捉まる隕石群と捉まらない隕石群との違いとは何だろうか?


 ‥衛星軌道に捉えられるには
  想定内の角度とスピードを保って、浮遊して来る必要がある
  条件に合致すると、衛星軌道に静止した様になる

  (其は、組織や派閥に入るための条件やら適正に見えてくる)
  (但し、加速力が残ってると離脱あり‥それはそれで人工物な可能性あり‥みたいな)


 ‥とはいえ、その手の隕石やら岩石群が、惑星派閥、太陽系派閥に属さない様に見えても
  銀河系を経由する際に、銀河系の影響を帯びるに代わりがない
  だが、それを銀河系派閥に属しているとは言い難い
  とはいえ、銀河系を抜けられずに、吸収されてしまえば、属したとの解釈も成り立とう

  そもそもその手の隕石群の旅とは、何なのだろうか?
  地上にも渡り鳥の様な概要があるが、其れのフラクタルなのだろうか?


 ‥私たちの暮らしにしたって、そういう役回りみたいな暮らし向きの差がある
  派閥に属していれば、それだけレールに乗り続ける事に成らん
  派閥に属さぬ・せぬならば、隕石群のような旅を余儀なくせん・されん

  其を自由とした概要で問うと

  惑星派閥に属した方が安定的に見えはするも、隕石群の様な気ままな移動は無理である
  どちらがしょうに合うかとした見方があるのみで
  私たちが考える職業選択の自由諸々からして、惑星軌道云々に置き換えるとその程度らしい


> では、そのどちらがしょうに合うか?‥としたそのさがは、どこから来たのだろうか?


 ‥銀河系同士の衝突にしたとて、それは合意だろうか?、それとも不本意だろうか?
  片方を「和合」と呼び、片方を「葛藤」と呼ぶにせよ

  しょうに合うか合わないかとした中身でしかない(そこには道理も理性もねぇ)


> もとい、宇宙からして、始めから己に従うことを道理(本能)とするのだろう
> だが、お互いに意思疎通を求めるならば、それはその時点で破綻せり
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:44 | Comment(0) | 日記/2025 | 更新情報をチェックする

2025年01月02日

【ボケて痛っ】問いが生くる生物なら、答えも生くる生物なり

↓3)記稿.2025/01/02

 人生の中で同じ問いを何度も繰り返す
 これで十分満足とした解を得る場合もあれば、そうで無い場合もある
 どちらかというとそうで無い場合の方が多い

 その場合、解は、保留・先送りとならん

 同じ問いにしたとて、解はほぼ同じでも
 加齢と共に見方が違っていたりする、其は、解き方・説き方が変わる様な話だ


> 何度も何度も、馬鹿みたいに、同じ問いを繰り返す(其はとても不思議な事象である)
> 其は誰しもの中に、教師と生徒の役回りが存在するかの様な悩ましさだろう


 ‥私が先生の立場なら、生徒が入れ替わっている様な中身だ
  私が生徒の立場なら、先生が入れ替わっている様な中身だ

  先生の立場なら、理解させたい・してもらいたいと思うだろう
  生徒の立場なら、こちらが納得するまでやり込めたいと思うだろう

  (其は、善と悪とした対峙にも見えり)


 ‥だが、これを職業に置き換えてみると、請負と依頼の関係にも見えてくる
  そこにあるのは、課題と対応だ

  それはそれで、同じ様な課題が続くのも不思議なバランスだが
  時には、難題が降ってくる場合もある
  時には、同じと思って同じ対応なり処置をしたとて結果が違っていたりとせん


> まさに、問いが生きているなら、答えも生きているかの如しである


 ‥この世の全てが斯様にも
  入れ子式・フラクタルな形状として、生命側の思慮を刺激し続けるとするならば
  生命の存在性とは、事象の繰り返しを余儀なくし、仕向けている何かなり


 ‥己に限界を感じて無理として投げ出していると
  入れ子式・フラクタルな形状として、同じ馬鹿・あきらめを繰り返すのが定めとなり

  限界を突破せんとして、どのような選択をするかもまた
  入れ子式・フラクタルな形状として、同じく繰り返すのが定めにならん


> ならば


  その区切りなり端境を選べるとした認識を抱くか抱かないかの差と
  抱いた後に、何らかの創意工夫なり行動をするかしないかの差が大きくもあるのだろう

  だとしても

  工夫をすればするほどに、その必要に追われるとした怪しい構造とも言えようか
  行動をし続けるにしても同じ事なのだから
  前に進むことしか頭に無いとしたパターンも又あきらめ同様に、自らの首を絞め出すのだ

 多様性を己の中に持ち込めない者から尽きやすい(厭きやすい)とも言えそうであるな


 ‥世界が、構造的且つフラクタル色な化け物として
  生命側の活動を取り込もう・折り込もう・擬えようとするならば
  どうしたって
  「yesとno」「onとoff」「アクセルとブレーキ」を細やかに使い分けるべし


> 其を怠る者に幸福などやってこない、来たるは降伏(依存)のみとした次第らしい
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:53 | Comment(0) | 日記/2025 | 更新情報をチェックする

2025年01月01日

【お知らせ】初声や響き改めペンネーム「ゆるり」と座せば「よきさと」を問う

↓^)記稿.2025/01/01

 旧:木田舎滝 ゆる里(きながる ゆるり)
 ↓
 新:木田舎瀧 布麓(きながる よきさと)


> いやぁますます‥パッと見で読めねぇz‥
> でも、桃源郷っぽい心象風景を思い起こすだろうから、その点で良しとしよう
> (しかも、見あげていた風景が、見下ろす風景へと拡がるのら)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 09:02 | Comment(0) | お知らせ | 更新情報をチェックする