↓3)記稿.2025/01/10
> 常識的にも、私たちの夢見や空想は、全て妄想扱いである
> 貴方が、バリバリの唯物主義者なら異論を唱える余地などなかろう
> では、それが入れ子式だとしたら‥‥物理的な物質としての本質はなんだろうか?‥
‥宇宙の存在性からして誰かの妄想だとしよう
其を創造と呼ぶにせよ、偶然の産物と思い込むにせよ
妄想は全て幻想であり、実験的であり、不確実な要素の塊であり
それ以上でもそれ以下にも成らん(そういう類の産物なり)
‥で、バリバリの唯物論者なら「だから死んだらお終いなのら」と叫ぶのだろうけれど
「宇宙の死とは何だろうか?」‥とした問いをスルーしたまま答えを得ちゃいまい
宇宙自体の死の定義を問わずして、死んだらお終いなどとはコレも又妄想の類なり
どの科学者もソコを端折って、ブラックホールに飲み込まれる想定を死と思い込んでいる
だが、銀河にしたって何だかんだの再生の繰り返しの産物に見えるし
ブラックホールに飲み込まれる規模にしたって、宇宙の大きさからすれば高が知れている
観測不能なほどの規模の宇宙を相手に、勝手に、規模の制限を想定するには気が早すぎる
> とどのつまり、宇宙の死とした現象を誰も知らん(想定不能)
‥そこで、宇宙が不死なら
生命の根本からして不死と考えるべきが入れ子式・フラクタルとした見方なり
そこからの想定で、不死なら不死で、何者かが創造を繰り返しているとの定義をせざるを得ず
されど、それとて妄想の域を脱してはいまい
ならば、実験の域を突破してもいないのだ
だが、私たちからすると、すべてが保全されているかの様に見えり
だが、未来が変われば過去も変わると語り出されては、それとて怪しけれ
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