↓4)記稿.2025/01/25
> 自由主義を、多くは「個人の自由」に当てはめがちだが
> 「団体での自由」もあるのだから、それとどう違うのか?
> とした尺度を持つべきである‥‥だがそれとて、個人の性格パターンとさほどの差が無いらしい
‥例えば、不良がつるむ場合
マンガなんかだと、喧嘩したらダチだ‥などというよく解らない論理がまかり通っている
其は、力比べをした結果の阿吽みたいな奴なんだろうけど
逆恨みにも何度も決闘を繰り返すのが目的というわけでもなく
日々の憂さ晴らしとばかりに、程々の所での上下関係の決着を趣旨にして、そうあるのだろう‥
(だが、マンガのように、気の利いたその次の展開なんざ臨めるわけも無し)
(ならば、マンガと同じ要領で、同じ思いを抱くかのようにつるむ‥中二病な不良は皆無だろう)
(そもそも、不良同士の束なりに、整然たる方針の合致など有るわけも無し)
(あるとすればそれこそ下克上であり、故に、上下関係の阿吽には容赦が無い)
(下とかカモとか思われたが最後、向こうは、馬鹿の一つ覚えで吸い上げることしか眼中にねぇ)
(知らねぇ幹より、知ってる幹なのら)
> まぁ、納得し兼ねる下には付きたくないとした原点みたいなものが、互いに動機ではあるな
> (偏見・贔屓に陥りやすい論理×感性とは違って、腕っ節の力比べの方が判りやすい‥みたいな)
‥斯様にも、特定のプライドを翳し、格付けを持ち込む集群やら団体は、往々にして見られる
その手の性格を有した者をリーダーに担ぐからそうなるというよりは
そこを根城に、似たような輩が引きつけ合って集まっている
でもなぜか、下とかカモとかにされがちな残念症候群な弱輩も引き寄せられて来る
まさに自由主義とは、彼の者らのような、勝手気ままを指すが如くなり
そこには、方針という方針が存在しないのだ(あるとすれば、まんま弱肉強食なのら)
つまり、方針という方針を持たずに、おいしい思いがしたいと思っていると
カモとして招聘されるかのような因縁を引き寄せる具合になっている草
(過当競争の果ての増税国家・属国ポチ国家も同じ引き寄せなのら)
(結果惨敗ゆえに、方針を持てずままにて、おいしい思いがしたい症候群オチどえむ)
(負け組の方が多数派なんだし、まぁ当然の成り行きであるな)
> そのような成り行きを「不良」若しくは「いじめ」と呼ぶのだろう
‥一方で、不良から遠ざかれば遠ざかるほどに
目的意識が高くなり、高くなりがちな組織ほど、所謂、効率人間・仕事人間と化していく
すると、世間を俯瞰しつつ、対等に見ることを怠りがちになる(神さえ見てれば良いみたいな)
‥そんなことは無いと自負していようと
世間への細かな好奇心の低迷はあるあるで、ゆえに失敗を自覚できずに、閉鎖的だったりする
そのような組織が失敗を挽回しようとしても、無駄にネームバリュー依存なのだから
ネームバリューに胡坐を掻くような御仁との付き合いに、益々邁進するばかりだろう
(行き着く所は、所詮、方針を持たずに突き進む格下と変わらないのら)
(イジメから遠ざかろうとして、ぼっち化してしまう個人にしたって然したる違いなし)
(復讐沙汰やら毛嫌いを方針にしたとて、人生の足しになんか成りもせず)
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