1-5)改稿.2014/10/22...20090710...
> 心応相(しんおうそう)とは‥
活字のままの意味からすれば、
心(思惟・意思・意識・精神・存在)の作用に応じた様を指すだろうか。
転じて、コミュニケーション、ネットーワーク、精神的かつ抽象的な現象世界像・・・
‥と言ったところであろうか。
その当時の昨日、寝起きの間際に、電撃的に文字の羅列が浮かんだそうだ。
今となっては、どんな状況だったかなんて忘れているのだが、
妙にいつまでも覚えていて、如何にも学術用語な感じが気に入っている。
学術用語として用いるなら、
原子心応相‥物質心応相‥鉱物心応相‥細胞心応相‥生物間心応相‥
まぁいろいろと使えそうな雰囲気がまた新鮮でバッチ・グーなのではないだろうか。
‥では本題に入るとしよう。
1-5)1
脳の働きを以て、未だに脳と思考をごった煮にしている者も居よう。
しかし、実際、脳が考えることは無い。
その証拠に、CPUを考えてみれば良い。
考えているのは、どうしたってソフトウェアの方であって
どんなに一歩譲ろうとも、ハードウェアではないのだ。
> では、反射神経とはなんだろうか?
肉体だって学習しているかのようである。
カラダで覚えるという奴だな。
著生なんかも、キーポジションを覚えずとも、
勝手に体が覚えて日本語ぐらいはキーボードを見ないで打てるようになった。(ローマ字打ち)
(‥それぐらいに打ち込んだからな。それぐらいの習得に恵まれないようでは面白くない)
それにしたって、脳は反応しているだけだ。
細胞だって反応しているだけであろう。
誰がいちいち考えて折り返していると言えるだろうか。
インスピレーションにしたって、降りてくるだけだ。
自分で考えたって覚えはまったくない。
脳には確かに通信機能がある。それに反応しているだけだ。
強いて言えば、本能が植え付けられていて、その性に従っているだけだ。
‥まさにソフトウェアな感じである。
1-5)2
> では、ソフトウェア自体が私と言えるだろうか?
答えは”NO”だ。
誰しもは、蓄積されたデータの方を自分だと考えるだろう。
しかしどうか、「それは本当に自分と言えるだろうか?」
そこにあるのは足跡でしかない、もはや‥しがらみでしかないだけだ。
自分と言えるのは、その上に立って尚存在する今これからの躍動と可能性だけである。
その自分にしたとて、エネルギーが循環していないと動くことすらできない代物だ。
コンピュータにしてもそうだ。電気が来ないことには動くことができない。
> ならば、エネルギーは神だろうか?
そうだな‥確かになんらかの力が作用しないことには、成り立つものではない。
そこに生じ来たる力は、どう考えても私が導き出しているとは到底思えない神秘に満ちている。
私以外の何かが在ることは否定できない状況だ。
それにしたって、エネルギーが考えているのかと言うと‥どうだろうか?
エネルギーは来たるだけで、私を生かしめているだけに過ぎない。
‥あくまで、生きる行為は、私に預けられているのだ。
では、思考はどこから来るのか、確かに、私も考えている。
そこに疑う余地など無い。
それが例え通信だとしても、操作だったとしても、節目となる最後の判断は自分だ。
そこに疑う余地など無い。そこの手順を覆すことはできないのだ。
‥ただし、その思考を肉体の外から見ただけでは判断できない要素が絡むのもまた事実。
1-5)3
通信システムである以上、乗っ取られるという出来事が絡むのだ。
何のために肉体または生活観を乗っ取るのかはさておき、
> 乗っ取られるという事象は‥
肉体の外にも、様々なソフトウェアとデータが存在しているとの構造を想起せざるを得ない。
そこに敵と味方が潜むのだ。そのように感じられると言うことだ。
なぜそうなのかは、
ハードウェアにしても、ソフトウェアにしても、
崩壊と再生のプロセスを得ざるを得ないからであろうか‥
崩壊にしろ、再生にしろ、それはエネルギーの作用に過ぎない。
‥エネルギー反応とは、何も操縦者にばかり及ぶ現象ではないのである。
私たちは、そのような地場に存在し、どこまで行っても、その中でしか関われないのである。
> ‥つまり
崩壊が必要な部分に対して敵意を感じ、
再生が求められる部分に対して好意を感じるようなものだろうか。
当然、誰しもが、逐次そこに自覚が有るわけではない。
例えて言うなら、
エネルギーの流れが在るばかりだろう。来たるばかりとも言える。
だからといって、流されるままなのかというとそうでもない。
それが思考であり、判断と選択の関わる部分と言える。
(人に求められるのは、すべてを残すことなのだから‥)
1-5)4
さて‥私たちは何事に於いても、蓄積を参照せずには居られない本能を持つ。
それが人間と本能本位に支配されんばかりにある生物との違いなのであろう。
> 経験の蓄積は、一体どこに蓄えられて来たるのだろうか?
脳はもはや道具でしかない。装置の類いでしかあれないのだ。
道具が考えることはない。
なぜなら、道具を使っているのは私でしかないからだ。
では蓄積しているのは、私だろうか?、道具だろうか?
言うまでもない、両方無いと成り立たないのが実の所である。
そうだ。私と言える何かなど無いかのようだ。形としてどこに存在しているのかすら朧気である。
‥でも、幻では無い。
> 確かに私は、私を感じて在るのだ。
その私と言える大いなる本流があればこそ、
私は、私の蓄積を超えて思考や力が降り来たる‥秘体験を積むことができるのだ。
(それにしたって、通信のチャンネルが正しくないと繋がることはない)
(正すには、まず私の中に我を見いだす必要がある、自分を知ることだ)
では、このような不思議なネットワーク性質をひっくるめて、「心相応」と呼ぶとしよう。
1-5)5
学問として、
「魂」とか「霊」とか‥そんな文字の羅列ばかりの学文書なんて読みたくなんかないだろう。
「精神」なる響きはどうしたって、主観が先行するものだ。主観‥つまり信仰だ。
学問はあくまで客観性が肝心なのだから、そう感性の保てる表現が求められるのだ。
知りたきことは、それらが在るか無いかの証明ではない。
私と心の働きや繋がり様が、一体全体どうなっているのかである。
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