2009年12月08日

腐るお金指南2…使われていない回数編

 使われていない回数をカウントするには、すべてのお金を電子弊化するしか管理のしようがありません。紙幣に正の字を書いたりして辻褄を合わせるような発想は通用しないからです。
 ゆえに指南1記事に引き続き、生存権通貨を織り込んで考えます。

 仮に、銀行預金や電子レジ、電子財布に刻まれている壱円壱円が毎月月頭の0時ちょうどに1カウントを刻むとします。そのカウントが6年目の61を指すと特別なフラグが刻まれ、それ以降はどんなに消費に使われても2年間しか有効期限が伸びないとします。
つまり85を刻むと消える仕組みです。お金としての効力を失い、月頭になると減額現象が生じるのです。
 ちなみに1回の消費で戻るカウントは6とします。
ただし一度も61を刻んでいない壱円群にカウント減の効力はないとします。

 特別な感覚として、個人の銀行口座や、電子財布・電子レジの中でカウントを整理できる操作が成り立つとします。
 操作と言っても、所持金に刻まれているカウントを全額からカウントを総計して、希望する額(壱円群)を一律なカウントに置き直す機能です。所持金のカウント総計が同じにあれば同じ事です。そうすることで、カウントが60を越えているお金とそうでないお金との均一化を図り、管理をしやすくできる仕組みです。
※管理されていない場合はカウントの大きな壱円から自動的に支払いがなされます。

 裏を返せば、収入(寿命のあるお金)があれば、整理することですべての所持金の寿命が延期できるという裏付けです。
もしくは、自ら消去清算してしまう機能として見立てる事も可能です。ネット購入での振り込み払いであれば、誰しもが試みると思われます。
 ただし、一度カウント61を刻んだ壱円は59以下に整理できず、カウント61を経ていない壱円は61以上に整理できません。
 つまり、カウント61を経ていない壱円同士とカウント61を刻んだ壱円同士との仕分けは区別され、カウント61を経た壱円同士とカウント61を経ていない壱円同士とで、カウント60を境に整理付けるという具合になる感覚です。
 当然、整理の仕方によっては、寿命が残りカウント0に縮まり、すぐに使う必要に迫られる壱円群が生じる事になります。また逆に寿命が残り60カウントにリセットされる壱円群も生じます。
 ‥という一例を前提にした腐るお金アイデアの概要です。


 さて、そんな仕組みにあるとき、人間はどんな行動を促されるのでしょうか?

 まず会社の内部留保を考えてみます。
使われていない回数をカウントすれば、放っておくと内部留保とて腐って無くなってしまいます。そういうお金の都合上でのルールです。
 一番都合のよさそうな手段に自社株買いがあります。
しかし、これはお金をやり繰りしたい個人投資家たちからしてみれば、自社株を買うのも良いが発行もせよというなんともトンチンカンな流れを意図させます。
 また、そのような売買におけるお金の塩漬けカウントを維持させるには、買った株式の一つ一つにも使われたお金の追跡が成り立つように約束事を設けておかなければ用を為しません。資本金に塩漬けカウントが発生しないのであれば、企業も投資家も貯め込む一方になるからです。
 そこで都合上、上場から五年経つ企業であれば、毎月月頭に、株式資本の60分の1を強制的に損失させるさせないの騒ぎになりそうです。
※後記事に続く…

 ポイント還元している企業であれば、こんなアイデアも考えられます。
内部留保の貯蓄をカウント整理して、有効期限2年に整理した資金を寄付とばかりにポイント会員に配るのです。ついでとばかりに会員のポイント分留保もそっくり調整して、配布したその日からすべてのポイント期限を2年としてしまうサービスが考えられるでしょう。
 経営側のお金の有効期限も延長でき、顧客サービスも成り立ち、無駄にせずに売上に繋がる‥そんな流れが生じます。
 もちろんその時、残りカウント0となる壱円群が生ずることになるわけです。
活かすには当然、現物買いが一番に顔を覗かせます。
二番はさらに寄付でしょか‥第三者へのお金での寄付が不能にあれば、やっぱり現物です。
三番は社内活用でしょうか‥どちらにしても即消費利用が求められる話です。
ボランティア活動であれば、交通費の当日支給などの裏付け予算にもできます。

 詰まる処、個人も企業もあれやこれやで現物買いやコレクションに価値観を移す流れを見せる段階から、しだいに、どこもかしこも寄付やボランティア活動への投資に移行すると思われます。
 すると、嫌でも一次産業への価値観は底上げされるでしょうし、介護の在り方もまったく異なる可能性を見いだせるでしょう。
 エネルギーこそ輸入に頼らずに地元で賄えるならば、海洋大国ほど有利です。
なぜなら、海水から鉱物資源を抽出するための大前提がエネルギー確保だからです。

 その結果、石油と国債の時代とはまた違った方向でモノが溢れ、とんと活用用途が見いだされなくなった果てに通貨バブルは一気に弾けるかも知れません。
ただし、そのとき人々は思うはずです。
「じゃ、物々交換で‥」
「それ、持って行って良いよ(笑)」
なぜならその時、生存権通貨を使わずに多くの人が貯め込んでいたのであれば、それで十分に足りるからです。貯め込んでいなくても、大多数がそうであれば同じ事です。生存権通貨に有効期限はありません。あるとすれば本人の寿命です。

 それにしても、お金が完全電子化されないとそれが為されない理解にあるのは、とても不可解な見解です。全世界がお金を手段から目的にしまっているのですから、そういう下りです。
 目的は生きること、活かすこと。お金は物々交換の手段の一つです。
それを理解するために、すべてを正確にデジタル化してまで秩序立ててやらないと賄えないのが人間であるとは、夢も希望もありませんね。
 そして、そうだけと考える考えないは人それぞれです。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:30 | Comment(0) | 腐るお金 | 更新情報をチェックする
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