2009年12月11日

腐るお金と株式改め粒式…その1

 これは、腐るお金指南1と2で述べた内容(行政に通貨発行権がある&生存権通貨並びにお金のデジタル化がなされている事を織り込んだ、使われていない月数をカウントすることで腐るお金)を土台にしています。
腐るお金指南では株式への対応意識が曖昧だったので改めて刮目です。


 闇商人の立場から見たとき、株式や資本金ってなんでしょう?
恥ずかしながら執筆している本人はその辺りがまるで理解できておりませんでした。
ゆえに、以前からお金の電子化と株式への影響に対する理解に曖昧さがあったように感じております。誠に申し訳ありません。
 資本金なり総株式の時価を前提として、それを担保に銀行が上場企業にお金を貸し出すのであれば、そこに生ずる信用創造とはこのようなものだと考えます。

「上場企業は俺のもの、しない企業は俺のものじゃないから勝手にすればいい。
その見せしめとして政府からの民間融通は常に後回しにさせてやるし、俺の持ち分への食い物として存在してくれればそれでいい‥」

 もともと大手企業の方に分があり、競争は収束します。政府資金が優先的に大手寄りに融通されたとしても、それは最終的に銀行への支払いに回ります。
 また、その上で銀行側が優先的に基幹産業に貸付けていたとすれば、それはそっくりそのまま、税金→公債→政府からの優遇策&補助金→大手企業社員の給与→家や車のローン払い→銀行の売上を意味します。
 当然ながら、株式会社とは名ばかりの中小企業にしてみれば、借入れ→金利払い→元金先送り(借換え)→不渡り発生→企業再生→資本家の利益です。
 その支援を上から順で取り付けるためにも、銀行は基幹産業の上場企業から貸付をすすめ、基幹産業は国際競争力そのものだから、最優先で政府は救済せねばならないという理屈立てが成り立つわけです。トカゲのしっぽ切りと同じです。
 と言っても、日本の企業には無借金体質な所も多いので、一概には言い切れません。
言い切れないからこそ、闇の存在を認知しない方も多いように思えます。
それでも金融が利益を求めるばかりにあるお金の流れは到ってそんな所なのです。


 資本金はどう考えても、自己資金もしくは他人から借り受けた他人資本で成り立つ中身です。そのお金を元手として裏付けるために株式に転換しておく‥起業したばかりにあれば、それそのものが手持ち資金だと理解します。
個人資産と区別する上でも、名義上の資金を区分しておくことは欠かせません。

 とは言え、株式の場合は資本金と株式総額とが別々に解釈されています。
素人目には、資本金とは何を意味するのかがまるでわからないのです。
上場すればそれに時価が発生するのですからますますチンプンカンプンです
 素人目から見た株の発行とは、細かい融資の証明でしかありません。
ですから、市場が取りなすような融資枠を発行株数で割って一口単位で買い手を募る‥というのは明らかに大口投資家を相手にした発想です。
 一方で、融資額が増えても投資する人物が常に同じで株数を増やさなければ、株が値上がりするという中身です。それはそれで「だから何?」の話です。
非上場にあれば到ってそんな感覚にあると思われます。

 そんなこんなで、資本金と株式にはなんの関連性も問えません。
問うならば、払い込まなければならないという資本金に見られる性質です。
うがった見方をすれば、起業課税です。一時預かり金と言う表現も可能ですが、売上から税金も払うのですから、それはまさしく場所代の手付け要求です。
起業を認めてあげるから、これこれこれだけ払い込みなさいの論理に思われます。
 家賃にも礼金と敷金とがありますが、その論理で言えば人質です。
昔からの人たちがそのような気質にあった名残と言ってしまえばそれまでです。
きちんとした起業への姿勢をそこに求めたとも言えるでしょう。
 ゆえに、資本金が大金にあれば、それだけの才覚がまずは求められたとなります。
借入れを前提に起業しても失敗するの論理が根付いていれば成立する中身です。
 悪意が見られるとすれば、それを如何にも難しい話にすり替えている部分になります。返す必要性がまるでなければそう言う話になってきます。預かってきた省庁はどこでしょう‥??

 このような解釈で言えば、悪事を働いた会社からは、資本金を没収するという見解があるべきに思います。そして、悪事の整理のついた後になお経営を継続させるのなら、罰則としても再び資本金を求めるといった具合です。その時、資本金群から、損害賠償請求額分を切り崩すなどをすれば、制度上の辻褄は適います。
 経営者群は一蓮托生と言うことで、違法行為をすれば、場合によっては他人の資本金?にまで迷惑が及ぶという下りがその抑止となります。
見方を変えれば、経営者間に求められる人権不遜への防止出資預かりです。
そして思うはずです。真面目にあればあるほど「ふざけるな‥」と。


 お金が腐る中身にあるとき、それらの資金までが腐るルールに置かれていては不都合です。
ところが、それを担保に銀行から何倍ものお金を借入れられる(信用創造)という話も奇妙な中身です。
 また、腐るお金であれば、壱円単位で細かく株式資本に転換できなければ成り立ちません。百円単位であれば為替にも適応できそうです。
 そもそも、お金自体に使わないでいると有効期限が短くなるを課せば、期限切れしそうな手持ち資金を、株式のような形で現物転換しておけた方が都合が宜しいのです。
 しかしながら、現在の株式ルール(一口いくらで他者から募る)ではそんなことは出来ません。そこには、新たにタイムカウントの怪しくなるお金現象から逃れたいという心理が発生するわけです。配当や値上がりを目当てにした以外の要素を織り込まなければ成り立たないように思います。
 そこで、タイムカウントのどうにも出来なくなった壱円群を金の粒に見立てて「粒式」という在り方を考えてみます。株式会社ならぬ粒式会社です。

 次回はそこにあるべきルールを問うてみたいと思います。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 15:10 | Comment(0) | 腐るお金 | 更新情報をチェックする
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