台頭を見せては消えていた紙の電子化技術(電子ブック)について一言。
最近の流れもアレぐらいでは不発に終わるだろう。そう思います。
しかしながら、発想を変えれば、あら不思議‥そんな着眼点を思いつきました。
電子新聞を読むための新聞サイズの画面、もとい、身長サイズ・壁サイズの画面を前にして自分が立っている場面をイメージしてみよう。
壁に記事情報が映し出されている‥その画面に触れてページをめくる。
携帯サイズの小さい画面でしていることをビッグサイズに置き換えてみる。
すると、当然ながら雑誌もマンガもそのサイズで毎日見る方が操作性にストレスがない。お気に入りの箇所で画面を付けっぱなしにしておけば、そのままポスターに早変わりである。ここはポイントである。節電要素にしても、有機ELならそのまんまで画面情報を維持して付けっぱなしにしておけると聞く‥。
見方を変えれば、ちょっとした黒板に早変わりである。
冷蔵庫の前面扉にそんな画面を貼り付けておいても良いと思う。外からその画面にメールを貼り付けられるというのもおもしろいだろう。
普段は道角の広告ディスプレイとして飾っておくだけではもったいないと思うなら、ダウンロードした新聞や雑誌のデータを道角のディスプレイで見る習慣を持つことも有りだ。
それはそれで、TV画面への意識改革にも繋がりそうだ。
なにしろ道角で体験できたことが部屋の中で成り立たないのはジレンマだろう。
たとえば図書館や病院の待合室ではどうだろうか‥公の特定の場所でそんな大画面で閲覧が出来れば、それはそれで、奪い合いの一見ものになるのではなかろうか‥。
電子ブックというシステムを単体で売り出す前のテストとして試みるのならば、データを持ち歩くだけで宜しいとなり、個人には高額と思われるシステムは後回しで十分にしてしまえるのだ。キャッチフレーズは「ライブラリーを持ち歩こう」とか‥
それだけで後は成り立つ。
なぜなら、見るのは道角やカフェのディスプレイ、それが前提になっていれば意識もそのようになると思う。もちろんPC等での閲覧も可能であることが前提となる。
壁の壁サイズの画面の前に立ち席というものを設けて、その日の新聞なり雑誌を、お茶しながら閲覧する‥提案としてはそうなる。
店内での買い物の最中でも、カタログを大画面で見られるというのも悪くない。
その閲覧情報には無いちょっとしたモノをそのまま意見として承れるような書き込みが出来れば、それはそれでペーパーレスへの一歩となる。
ブックを読むためだけの売れるか売れないかの見定めの難しい商品であれば、客寄せ用にお店に何台か設置してもらい壁サイズのディスプレイで利用できる方が望ましい。ちょっとした待ち合わせ場所としての活用もあるだろう。使われていないときは店頭のポップ広告を流しておけばいい。どっちが主流になっても損はないわけである。
それが板に付いてくればしめたもの。
そのまま部屋のディスプレイにも革命がもたらされることになる。
しかし、日本の宅地状況を考えれば、その期待はかなり微妙‥。
そこでそのとき、電子屏風が台頭したりして‥
ディスプレイのブランド名もそのまんまに"Byoubu”そのキャッチフレーズも屏風のように折り曲げて保管できます。なーんてね。
一方ではこんな実験も試みることが出来る。
外に画面を置くのであれば、映し出した画像をただ書き換えてしまうのではなく、消してしまうのではなく、落書き魔たちがするような発想を応用して、巨大なディスプレイに自らの作品を一定時間発表しておけるような場所を設けても良いだろう。もちろん電子データとしてね。人の集まりそうな場所でそれを実験してみるのである。
ちょっとした憩いの場である。緊急時には地震速報なども流せるとなお宜しい。
結局のところ、新聞なんだから新聞サイズの画面で見てこそ新聞と言えるだろう。そう思います。
しかし新聞の字は新聞サイズでは小さい。電子画面であればわりと簡単に拡大ができる。この要素は画面が大きければ大きいほど圧倒的なアピール要素となるはずである。それが高齢化の流れ?‥子供の頃からそれになれていると手放せなくなる?‥とりあえず、そんなインパクトがなければ電子ブックなど要らないと思いますね。
どちらかと言えば、手帳代わりにならないと意味ないし‥見るだけが主体なら見ることを主体に主張させるべきだろう。
2010年01月14日
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