2015年08月26日

【盲点】役人への期待が税を欲する

1-3)改稿.2015/08/26...20100316...

> 今時代、行政管理の財源の前提は税金です。


 その範囲でしか安心・安全を確保できないというのが、このルール下でのとりあえずの理屈です。
 不足する分は、国民との相談の下に対応すべきが国民主権上での筋ですが、そうはなっていません。

 国家試験がすべてをあやふやにしています。
 民主選挙がすべてをあやふやにしています。
 権限が与えられたというお約束が全てをうやむやにしています。


> それが財源を自由にしても良いと考えている了見です。


 ‥未曾有と思える大金を前に、誰もが例外なくブレることでしょう。
 例外があるとすれば、それは勇気を以て、たまには全く何もしない政策の実行です。
 仕事が無いなら、役人にその分の賞与を与える必要も生じません。

 だってそうでしょう。

 役人は実質的に不景気を知りません。常に仕事に追われています。
 ならば、彼らにだって公平に不景気を与えるべきが筋だからです。
 そうです。暇を与えるべきだったのです。(勿論その間の手当なんかありゃしません)
 ‥それこそが正しき再分配というべき有り様です。(無い袖は振れやしないのですから)



1-3)1

> 税金を前に‥無駄に使うなと言ってみたところで、限度のある話です。


 ‥国民が常に最先端の技術を以て保障せよというのであれば
 どんなに税金があったとしても足りることはありません。
 そのように求めれば求めるほどに、そもそもの訴えるべき論点がずれて来ます。


 一番に訴えるべきは、「何もするな!」です。


 ‥そうです。
 役人が、勇気を持って税金を使わなければ
 不公平にも到りません。そもそもが始まらないからです。
 それこそが身を以て犠牲にする正義姿勢と言えるでしょう。


 役人もまた周りと同じように、仕事を失うという気持ちを分かち合うべきです。


 そこを無理に、ああせいこうせいと識者が煽るもんだから‥無い物ねだりが始まります。
 有るように見えているそれのそもそもは、強制的に徴収している賜です。(表面的な形)
 ‥其を有る物として国民が期待し始めれば、自らの首を絞めることになるのは当然です。(貸付と同意)

 役人を忙しくさせるから、それなりの報酬を要求されるのです。

 「無いんですよ始めから、全くの自由にできるお金なんて!」

 そもそもにして、無駄に使ってもらいたくありません。
 誰もがそう思っているんです。それが税金です。血税と言い合っている所以です。
 ‥それが税金という仕組みへの相互解釈です。



1-3)2

> 再分配が原則


 「税金を‥いつからそんな風に言い合うようになったのでしょうか?」

 ‥お互いが、自分たちの勝手好く使うように望むなら
 当然、勝ち組富裕層の方に意見の分が有ることになるでしょう。
 でも、勝ち組富裕層の多くは、「減税しろ」と言っています。
 自分たちに負担を多く求めてくる税思考にうんざりしているのです。

 ‥勝ち組でさえそんな風にしか考えていません。


 「誰が税金に再分配の理想を訴えるようになったのでしょうか?」‥全く以て不思議です。


 ‥中間層が増えたからというのなら
 選挙投票率が低いのはどうしてでしょう?
 経済成長に誘われるばかりの支持票とはどういうことでしょう?
 守るより攻める意見が多いのに、どうして税金に再分配を期待するのでしょう?

 全てが矛盾しています。

 ハッキリ言います。中間層が税金に期待しているのも負担の軽減です。
 誰しもは税金を払いたいとは思っていないのです。(‥中には奇特な御仁も居るようですが)



1-3)3

> なればこそ‥全く何もせず、税を集めることなき政府を理想とすべきです。(極論)


 (おっと‥失礼。たまには役人にのびのびと暇を出してお金の掛からない政策を打つべきです)
 (そうなったら、ちょっとした支出とて嫌でも神経質にならざるを得ません)
 (お前らがそれで成り立たないというのなら、保障遠き競争なんかススメてんじゃねぇ!)


 市場競争の自由ゆえに自由すぎて崩壊してしまうのでも困ります。
 だからこそ、行政管理を望むに至るのです。結果として税金を徴収される事になります。
 それが当たり前で歴史的伝統ともなれば、何事もお上の管理下が前提になってきます。
 早い話が、お墨付きが付かないと安心できないのです。
 ‥それが、日本の地に、世界に類を見ない経済モデルを打ち立ててきました。


> 信用できない役人を相手にしなければならなかった多民族国家との違いがそこにあります。


 差別が前提にあり、役人にも誠意が見られないなら‥民衆が求めたのは、自営と自衛の権利です。
 だから、自由主義の主張も通ることになりました。
 ‥それ以前の昔には奴隷制度もありました。自由への希求は当然だったことでしょう。

 で、

 「そんな歴史経過を持つ諸外国の今はどうですか?」

 彼らは明らかに自由の意味を半分履き違えていると感じるばかりでしょう。(民度が低い)
 そんな彼らが再分配の論を主張したのだとしても、何の説得力もありません。
 ‥彼ら自身にとっての豊かさの希求の中に、複雑的な欲求は、まだまだ上の空にあるのです。
 ‥それはもう差別時代の延長同様です。被害者意識からの脱却ができていないのです。(格差問題)


 そんな西洋から学んだ税金の仕組みにしても同様です。
 ‥私たちの多くは、政治に対していつの間にか被害者意識に苛まれてしまっています。(モラル低下)


 「江戸時代の伊勢参りの風習上、どうして商人らがあんなにも気前が良かったか分かりますか?」
 ‥それは商人には年貢が無かったからです。

 ‥百姓にしたって、戦が無かった時代です。
 奴隷制度が前提で戦付きの世界と比べれば、お上への信頼はずっと上だったのです。
 江戸のそれから見れば、現代の税の有り様は、恥の掻き捨ても甚だしい限りでしょう。


 「誰ですか!‥江戸の善さを閉ざしたままに国を回してきた連中は?」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 10:42 | Comment(0) | 刮目 | 更新情報をチェックする
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