新東京タワー計画の時代の携帯端末は、DoCoMoを筆頭に、携帯からネット回線へのアクセスに制限を設けておくことは普通の見解だったことでしょう。
ところが今やiPhoneを皮切りに携帯端末からの自由なアクセスが可能です。
ここに思惑の誤算があるのではないのか‥と思った次第です。
当時のワンセグのコンセプトは、TVショッピングの延長のような使い方の提案として、番組からの情報→リンクサイトへの誘導だったと記憶しております。
その頃は自由にアクセスできないのはなんとなく当たり前、その意味不明なお約束が携帯とPCを棲み分ける意味での当たり前だったのです。
その状況であれば、売る側の思惑を発揮させるに十分な環境だったことでしょう。
ワンセグの番組や広告を見て、アレが欲しいとその気になり、TVショッピング的な衝動買いパターンにある品数限定ヨロシクにあれば、よく調べてからなどとは言っていられません。それがiPhone以前の携帯端末を前提としたTVショッピング的な発想でのワンセグだったわけです。
ところがです。今や携帯端末から調べられることはPCとほぼ同等です。
実際体験したわけではありませんので、どこがどう違うのかという要素についてわかりませんが、ワンセグの番組や広告を見たとしても、きっちり調べることがその場で可能になったわけです。この差は大きいでしょう。
そして、お金を持っている人ほど、最先端の端末を手にし、そして、調べることに関して細かいわけです。
ここは、どう考えても、大手側の複合的な売上増を狙った、デジタル放送の開始と同時にワンセグが広まれば、それに比例して主導的に経済効果が上がるという発想は成り立たないように思うわけです。
売る側の誤算を修正するためには、さらなる差別化を見いだして行かなければならない。それはつまり、作り手市場になるという予想です。
如何に個性的なモノを発掘して来れるかが、売る側に要求されるのです。今時分でさえそうですが、ワンセグと共に、アクセスショッピングという感覚を強調させて活用して行くならば、売る側は常に数を程度用意しなければならず、限定品のオンパレードでなければならないという圧力にさらに曝されるはずです。
結果的に作り手市場になる方向性は的外れではありません。
そして、ワンセグでその手の番組や広告が増えれば増えるほどに、今度は逆に、個性と安さの勝負だけでは限定品にも在庫が続出する事態になるやも知れません。
そこで、こんな考えもありです。
「限定品をわざわざ安く売る必要があるのか?」
しかし、量を確保してこその売上でもあったし限定品でもあった。
それでも競争が激しくあれば、安さは付加価値にならないし、在庫リスクに曝されるだけである。
ならば、確実に手間が掛かっているとわかる見栄えの良い価値観の大きな商品を、品数超限定で、高価格でもって販売をスタートさせ、時間の経過ととも値段を少しずつ下げて行く売り方のほうが、うまく行くのではないのか‥
‥とまぁ、作り手市場もそんな方向に流れるのでは‥などとふと思った次第です。
とはいえ、その時の経済状況を織り込んでおりませんので、あくまで参考意見です。
2010年04月25日
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