一方で、昔ながらの土地の世襲制を元にした農業では、後継者を育てることが血筋同士で成り立つという信頼性から、農地転用に対する懸念をそれなりに避けてこられたという側面はありましたが、民主化における部外者からの参入には慎重にならざるを得ないという農家側の反論に見舞われるのが実際です。
つまり行政がどのように取り組もうとも、実際に農業を担おうと志す者に、農地を所有する農家から信が得られなければ農地を貸してももらえないわけです。そのようであれば農業を営む新たな当事者への所有権の譲渡もしくは移動など起こりようもありません。
ここに時代的な背景として、農家ながらの壁を気に入らないと思い、そこにある土地を経済的に有効活用したいという資本家の思惑が重なれば、それはそれで価格破壊による経営不能と跡継ぎ不足が社会現象となっても不思議ではありません。
それがそのままにあれば、農家は不本意にも農地を次々と手放すことになり、結果として農耕適作地の死活的な摩耗は時間の問題となって行くだけです。
その上、消費者の意識に「食べ物は気楽にお安く手にできて当たり前、それが経営の主体性と民主化の成果である」‥というような間違った文化観が定着してしまえばなおのこと‥ただし、それで食の安全・安心が担保されるわけではありません。
そして、これらの流れは資本主義を万能と錯覚すればこそ、どこの国家でも起きてしまう現象なのです。
そこでまず、民主社会である以上、農家が培ってきた知恵を世間に幅広く伝え、それを学び合える機会と子孫継承して行くための取り組みが農家の側に必要だと考えます。
農家の側としても、きちんとした繋がりと知識に裏付けされた人材であれば、身内以外にも土地活用における許容範囲を広げてみてもかまわないと納得できる制度が求められるわけですが、それを形にするための発想として、農業の検定制度を一つの在り方として捉えてみました。
時代的な動きとしても、漢字検定であれだけの人気が出たのです。
ならば農業知識の検定も有りだと考えてもなんらおかしくありません。
とはいえ、この課題として持ちあがるのは、種目毎の知識がまったく異なる点です。
種目毎に育て方が異なる知識を総まとめして農業全部を対象に、「どれだけ知っていれば一級とか二級とかの境目を設けられるのか?」という疑問と同時に、「そんなのは農業ではない」‥という意見も生じてしまうでしょう。
そして、そんな知識の有無を持ち出した所で、実体験の伴わない人に農地を任せたいとはならない‥そこで、検定制度と免許制度を組み合わせた検定免許制度というのを考えてみました。
四級のb…ある一定の指導の下で自家菜園等をし、収穫までをこなした経験のある者。
四級のa…四級のbに基づいた経験が継続五年以上ある者。農家出身者を含む。
三級のb…独立せず農家の下積み働き等で、一種目以上の一定の規模生産と一定の収穫量を年間を通して学んだ経験が継続五年以上ある者。農家出身者を含む。
三級のa…種目毎の検定試験で五種目以上の合格を得た者。もしくは、農業の学校を卒業し同等の資格を得た者。
・ただし、三級のa該当者は三級のbを満たす用有り。
是により検定試験で合格しただけの者や農業学校を卒業しただけの者で、継続して農業の道に進まない者を「みなし三級」という呼称に留めるものとする。
・三級を満たした者をとくに三級資格者及び農営資格習得者として扱う。
※5種目の中に必ず1種目は穀物でなければならないとするかどうか、5種目でいいかどうかは政策上の見解であり、個人の意見の限りではありません。
※5年という期間の提案は、人付き合いの長さを考えてみたとき、3年では経験的に短いと思いますし、かといって、6年以上ともなると馬が合わなかった場合などはかなり辛いと考えれば、5年ぐらいが適当かなと思った次第です。
※是により、行政は3級資格者を農家に紹介して行く形となり、農地の都合を計らうことが個人レベルでも行いやすくなると思われます。
二級のb…自立した経営を行い、年間を通した生産経験を五年以上経過した者。
・ただし三級を満たす用有り。
・農家出身者をはじめとしたみなし三級の者が、個人の都合により三級のbとの同時進行である場合、自営の栽培種目には別のものを選ぶ用有り。
・二級のbを満たす者を農営適格者として扱う。
二級のa…二級のbを満たし、身に付けた知識をきちんと第三者に伝えることのできる指導能力を持つ者。
・指導能力の確認には二級向けの検定試験を加味する。
・二級を満たし農地を得ているものを農家として扱う。
是により、農地をすべて次代に譲った者は農営適格者と格下げに到ってしまうわけだが、一級資格習得者はそのまま農家と見なす。
※農営適格者と農家の呼称を意図的に区別する狙いは、数十年と農業を営んでいながら、農地を譲ったことで農家を名乗れないのは明らかに農家としての恥だと思えばこそ、一級に到らなければ農業を営んだ甲斐がないとなります。
と同時に、利益主義に走ったがゆえにしでかした不祥事等を事前に戒めておくための処罰的な意味合いを含めればこそです。例えば農営に関わる不祥事を犯した農営適格者もしくは農家には、一時的に一級の資格を取り下げたり評価適応を遅らせたり、ペナルティーを回復するための試験や実務を課すなどです。
一級のc…同一種目におけるありとあらゆる栽培法選択肢から一定基準の品質を常に維持できる知識と能力を持つ者。一定品質以上の収穫をこなせる者。もしくは、臨機応変に新しい栽培法を検討できるまでに能力を身に付けたと認められる者。
・是に日光栽培と照明栽培との違いは含まれるが、DNAを直接いじるようなバイオ技術を前提とするものを除く。
一級のb…一級のcから一つ頭秀でて、新たな品種を生みだしその栽培法とを確立させた者、もしくは従来品種における栽培法で画期的な農法を見出した者。
・ただし、是は自然栽培法が重視され、室内栽培法での検討は含まれるが、DNAを直接いじるようなバイオ技術やバイオ技術者を除くとする。
一級のa…一級のbを満たし、別格で名人評価に値する者。文化財的表彰。
・ただし、一級評価は二級評価と異なり、種目毎の評価と見なされ、農業力全般に対する評価とは限らない。
それでも農家の評価として十分に成り立つわけであるが、このようにルール決めすることで、あらかじめ若いうちにまとめて多くの種目の基礎学習を身に付けてしまった方が都合が良いとなり、検定試験からの農業参加でも一種目だけを学べばよいと言うような安易な風潮にいたらずに済むものと思われる。
農家であれば至極当然の在り方と言える。
「さて、四級はなんのために必要なのでしょうか?」
まず、みなし三級を目安に募集をかけた場合、四級という表現は農業に対する経験の度合いを確認するための手っ取り早いきっかけになる所でしょう。
ただし種目が該当しなければお話にならないと思いますけどね。
この時、三級のbに見られる経営の下積みとしての評価基準をどう位置づけて行くかを考えた場合ですが、検定試験の立場を考えれば、どうしようもないほど下積みの評価は、検定試験合格基準よりまとめて格下と見なすしかありません。
本音は逆にあると思いますが、農業知識の共有こそ大前提とすれば致し方のない所だと思います。逆から見れば、それで三級のaだけが幅を利かせているようでも、どれぐらいの思い入れがあるのかを判断しにくいわけです。
また、実体験に対する評価をより確かなものとして行くためにも、農家は新たな取り組みに踏み出す必要があります。
その時、農業四級塾というものを提案できれば都合が良いはずです。農家同士でそのような取り組みをして四級評価を持ち上げてしまえばいいのです。
さすれば、引退した農家の方が農地を手放すことなく、三級資格者を雇い、自分家の農地を活用して農業塾を開けば、自分の体が利かない分を三級資格者に程度任せることもできますし、塾の授業料を引退後の収入源とする手立ても考えられるわけです。
塾の先生を必ずしも農営適格者や農家でなければならないとあえてしないのは、その塾にやって来るのが小学生であれば、託児所の延長としての活用も考えられるからです。
つまり、検定合格者を目安に塾講師の募集をし、その立場の人が塾で先生をしながら同時に農業の見習いをしているという感触が得られれば申し分ないわけです。
託児所機能で考えれば、出てくるおやつは自家栽培で無農薬、スーパーで売っているのや、市販のお菓子とどう違うのか、そんな食育の場としても有意義に思われます。
農業を引退した農家であれば、農地を転売させずに授業料で三級資格者を雇って農地を維持でき、なおかつ、その環境下から農業を継ぐ者が数多く出てくれれば、塾機能としての信用も参加メリットも確立して行けるわけです。まぁ狙いはそんなところです。
その時の政策上の支援としては、四級塾経営者であれば、農地活用に関わるなんらかの免除や支援が得られると言ったところでしょうか‥
何かと借金を前提とした農業への道を推進したところで、経営が成り立たなければ持続できないのは当然です。その上、始めから借金を抱え込む事が前提にあればリスクばかりが目立ち、誰も農業をしてみたいとはなりません。
その時、検定試験に合格した上で、ますます農業に興味を抱いた者が、自家菜園に飽きたらず、農家との接触を試みたとき、塾講師という選択肢があれば、見習いにもなりますし、場合によっては講師を引き受けながら人柄に信用を得て、農地を貸してもらえる、もしくは、そのまま譲り受けるような状況もあり得るのでは‥と考えてみた次第です。
さて、二級のaはどうでしょう‥口べたな方の多い農家にしてみれば、大問題かもしれません。
しかしながら、検定制度に指示が集まりその手の書籍が増えれば、いやでも農業の指導書籍がいろいろと出版されることになりますから、農家も口べたなままでかまわないというわけにも行かないでしょう。腕はあるけど口べたな農家の方も、素人への教え方をいろんな角度から学べる良い機会になるはずです。
それも是も、プロ同士の講習にはない素人向けの教え方というのは、農産物の販路開拓以上にこれまた特殊な能力だと思えばこそです。
実際、農家はそのあたりの取り組みを何もしてこなかったし、農政もそこに目を向けずに一次産業をおろそかなままで繁栄を謳歌できると錯覚して来たわけです。
そして、このような検定免許制度の考え方は教師や医師の質の維持の在り方としても応用の期待できそうな中身にあると思われます。
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