改稿.2015/08/28...20100719...
今や、山中で様々な魚の養殖が試みられる時代です。
うなぎ、ふぐ、えび、ピラルク、チョウザメ‥などなど
‥そこで、こんな風に思ったのです。
> 思考1:
稲作地帯である東・東南アジアでの水耕が減れば減るほど、近辺の魚貝の数に影響を与え、
そこで起きている食物連鎖の連動から、同時多発的に魚介の数が減少に転じているのでは?
> 仮に上記した思考1が正しいとします。
‥ならば、私たちのしていることは、
養殖という技術開発力を得る試みにおいてこそ、生態への理解を得る上で正解かも知れないが、
とても無駄の多い選択をしてしまっているのではないのか?‥という疑問に苛まれることになります。
‥反対意見として、考えすぎの意見もあるかと思います。
しかし、山や森が海を養っているとされる理解は曲げられません。
山や森がそうであるならば、人の行う水耕もまた一役買ってきたと考えるのがここでの姿勢です。
(‥要因は複合的ですので、絶対的影響としては小さいだろう点も予想されます)
> 思考2
江戸時代‥地元でタンパク質をまかなうための手段としても水耕は欠かせなかったはずです。
何はともあれ、水耕と共に、水性生物が寄って来るのです。これを活かさないという手はありません。
‥ドジョウだったり、タニシだったり、そういう生き物を捕って頂くのです。
‥意図的にも、その手の生きものも共に育つような工夫をしていたと考えるべきかと思います。
(逆を言えば、他にタンパク質の確保ができたなら、陸稲もありということです)
また
それらの生き物を食べに鳥類が寄って来ます。
鳥類の糞が田畑をはじめとして、山や川に巻かれ、雨に流され、海にまで届き、
‥バランスに適った豊富なプランクトンが発生し、海の生態系もより豊かだったと思います。
人口の面で言えば、今と比べれば漁獲量も消費規模も小さかったでしょう。
技術の面でも、艪漕ぎの船で行ける距離には限りがありました。
魚群探知機などなかったわけですから、資源回復する力にも差はあったと思います。
しかしどちらにせよ、
生態循環として、アジアの水耕が世界に豊かな魚礁を提供してきたとする仮説に
否定的な影響を与えません。
> 尤もここでの意見は
魚貝養殖に対しての否定的な見解ではなく、
それの目的と期待への方向性が、非効率よりに傾いてきているのではないのかとの疑問です。
ハッキリ言ってしまえば
土地利用としての在り方が、人類の技術よりにありすぎても人類は生きていけなくなるのだと
‥まぁそういう解釈をして頂いて結構です。
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