2015年08月28日

【刮目】愛してるを言わない日本の遺伝子の見方

1-3)改稿.2015/08/28...20100928...

> 日本は村社会的である。


 その根底にある得体の知れない性質は、
 民主化、欧米化、グローバル化してみた所で‥さほど変わらなかった。
 ‥そこにこそ「愛してる」を言わない日本の遺伝子の見方があった。



1-3)1

> 村社会なんてものは世界中にある。それはなにも日本だけのことではない。


 極端に言えば、民族間に見られる差別意識はその一つだ。
 自分の村を自慢するためだけに、他の村の何かを小馬鹿にすることは珍しくない。
 肌の色から食習慣‥果ては訛りまで、それこそ自分の村が世界の中心であるかのような偏愛ぶりだ。

 たぶん、そんなにも自分の村を愛せる感覚という奴は、農耕民族ならではの特色に思われる。

 イスラム教圏を代表とする来客を寛大にもてなす交易民族であれば、
 自分ところの村自慢ゆえに辛辣とした態度は、異様な感覚に映るかと思う。
 ‥なんにしても、行く先々でお世話に預かる旅商人の身だ。

 我が家が一番との意識はあれども、
 行く先々で自分たちを持ち上げてばかりでは、商売としては、角が立つばかりになりかねない。
 自ずと文化の融合こそをモットーに商いをするのが当然になる。そこに誇りさえ感じているはずだ。


> ‥ところが、日本人のおもてなし文化は世界に類を見ない秀逸ぶりを見せるのだ。


 これは日本人が、村自慢の特質をさらに発展させんが為に身に付けた、
 ご自慢ぶりと和の精神をほどよく調和させた賜と言えるだろう。

 ならば

 外国人に日本のおもてなし精神を身に付けてもらいたいなら、
 愛郷心について語り合う所からはじめるのが筋と言うことになる。


 ‥形ばかり教えた所で無意味だ。
 そもそもにして外国企業に対して、人々はどれほどの愛社精神を培うというのだろうか?
 「儲かる方に翻る」‥それが資本経済での生き方なら、住まう所からして考え方もしれていよう。
 愛郷心を培うかどうか、身土不二として生きるかどうかは、それこそ個人の自由の範囲でしかない。
 そこに村社会な雰囲気などどこ吹く風にある。

 勿論、そんな西洋文化に見られがちな他民族への排他色は日本人にも見られる。

 そしてそこに見られる傾向性は、どこの民族においても大して変わりがない。
 それが良い意味でも、悪い意味でも、際立ったのが大東亜戦争だった。
 日本人の村社会観の度合いを猛烈に表現しているのも大東亜戦争だろう。

 ‥民族を挙げての偏愛ぶりの猛烈
 同じお国自慢でも、そのインパクトはファシズムともまた違った得体の知れなさを含んでいた。


> 其は一体何だったのだろうか?‥日本人でさえ戸惑うその感覚‥


 自分たちでさえお互いに脅威を感じていたからこそ、天下統一を求めるも戦を嫌った。
 それが日本人の姿勢だった。平和へのこだわりだった。

 しかし欧米列強はそうではなかった。

 争い合いに脅威を感じている様でも‥どこか他人事で、
 争い続ける事でしかその選択支を選ぶことのできないうつけぶりが根を張っていた。
 そのうつけぶりが大東亜戦争を交えて腰を抜かしたのが実際の所だろう。
 そして日本の復興を見て、再び腰を抜かしたのだ。
 ‥そうなってからようやくにして愛国心を翳してジャパン・バッシングを叫びまくった。
 ‥パール・ハーバーの時とパターンは同じだ。何ら変わってもいまい。

 日本人のお国自慢の精神は、世界のどこよりも遙かに気高くあった。それこそが脅威だったのだ。



1-3)2

> 日本のマンガやアニメでは、「みんなを守ろう」がテーマになりがちにある。
> 一方の欧米を代表とするハリウッド映画では、「家族を守ろう」がテーマになりがちにある。


 どうしてこんなにも差が出るのだろうか。実に不思議だ。

 どちらが優れているという判断は無意味だろう。
 それが日本文化の個性だし、欧米文化の個性だ。

 家族を守る文化だから「愛してる」を口にする習慣を得て、
 みんなを守る文化だから「愛している」なんて口にする習慣を得なかった。

 ‥そう考えたとき
 日本人にとって皆を守る精神が、何を物語っているのかをよくよく見極めておく必要がある。
 でなければ、グローバル化の渦中に我を見失うばかりだ。


> はっきり言おう。


 「皆同じくした心で以て、故郷を愛しているから『愛してる』なんて口にする必要がなかったのだ。」

 そうでもなければ

 日本の村社会の特徴として忌み嫌われてきた好きでもない相手との婚姻図など成り立つわけがない。
 それは、恋愛の末の連れ添いを考えてみた所で同じ事だ。
 どこに腰を据えるにしてもそこが家族の故郷になった。
 ‥どうせなら、誰しもは生まれ故郷を望むにせよ、そこはもう動かしようがなかった。

 村に人がいなくなれば愛する故郷とて過去だ。想いだけで生きて行けないのはどこも一緒だった。

 遺伝的にも近親相姦がまずいと理解していれば、何も知らぬ土地に嫁いで行くこともやむなしだった。
 そこに見られる取り組みの仕方に今と昔の差があるにせよ、
 ‥いつの世でも、信頼の置けない所に娘を嫁がせる訳には行かないのだ。


 親戚ぐるみでの付き合いがうまく行かないなんて、そりゃ後先が知れている。
 村社会だったからこそ、盛り上がらない間柄は避けたかった。
 それが積み重なっていけば、嫌でもお国自慢の心意気が現れになった。

 ‥そういう面でも、上から下まで、家と家との結びつきを大事にしてきた。
 (元々と言えば、道祖神信仰の延長なのだろう。右も左も繋がりを神に求めたのだ)

 歩調を合わすのは、血の繋がった間柄なら尚のこと当然だった。
 よそ者が入りにくいのは仕方のないことだった。
 だからこそ、よそ者を都合の良いように担ぐことにもなった。


> ‥そこに抱え込んできた形での郷土愛は、どうしたって異様に見えるのだ。


 世界中を見渡して見ても、其は宗教的な組織に似ていると言わざるを得ない。
 ‥誰に教わったわけでもなく、日本の村社会はそこを自然体で形成していた。

 多民族の社会からしてみれば、其は明らかに異質にある。
 しかし、日本の村社会には、よそ者を囲って逃がさないという必要性は見られても、
 奴隷にしてこき使おうなんて考えは見受けられない。
 なぜなら、働かざる者は追い出される傾向にあったからだ。
 よそ者でも真面目に働くなら村に好くされて居られたのだ。そういう空気に満ちていた。

 奴隷制ゆえの外国と比べて、単に自由を欲するだけの空気とは違ったのだ。

 そういう意味で言うなら、日本人は自分たちで新しき事をしでかすに不器用にあれど、
 外から入ってきた有益と思える文化をうまい具合に取り込んでしまうことに長けていた。
 ‥そのそもそもの根底には、村社会というバランスの良い形成があった。



1-3)3

> 欧米資本主義が、日本の村社会性を閉鎖的だとしてどう批判しようとも、
> その根底に根を張った土台の揺るぎようのなさは、日本人でなければ分からない中身にある。


 そこを片時にも見失い、西洋かぶれの恋愛観に酔いしれては、国は滅びるばかりだろう。

 なにを腰砕けにも‥恥ずかしそうに「愛している」を口にできないことに劣等感を抱くのか?
 そんなへっぽこぶりで日本人が務まるわけがないのだ。

 「日本人として生きられる誉れは、天からの預かり事にあるのだぞ!!」
 ‥などと言えば角が立とう。口にせぬのが花にある。
 ‥だからこそ、背中で語ってきたのだ。
 ‥隣り合い、手を合わせて祈ってきたのだ。


> はっきり言っておこう。


 「愛している」なんて言葉ばかりを求めるに非ず。
 まずは手を合わせ祈るべし。其が日本の撫子だ。
 ‥そこを欠いた乙女など無用。其が日本の益荒男だ。

 日本の益荒男らは、夫婦間の「愛してる」よりも、
 「故郷万歳」「日本万歳」「地球万歳」を汗した背中で語り続ける種族にある。

 ‥それが日本の遺伝子だ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 15:36 | Comment(0) | 刮目 | 更新情報をチェックする
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