改稿.2015/08/25...20101013...
> 「ありがとうございます」を
> 現在進行中させていたいがゆえに、積極的に用いようとするご意見があるようですね。
‥おもしろいような‥おかしいような‥こざかしいような
現世のご利益から離れて、自身を見つめ直せない汚臭が漂っているかのようです。
お客様に対してだけの感謝しか見えていない‥時代も擦れたものです。
生かされていることの感謝は、何も人様だけの世界観に当てはめて考えるべき事柄ではありません。
「あなた様は、商品そのものへの感謝を忘れてはいませんか?」
「あなた様は、原材料そのものへの感謝を忘れてはいませんか?」
「あなた様は、すべてに支えられたままの有り様で、有り難いを浴び続けようとしていませんか?」
あなた様のその手からして、いつしか自然に還ることになるのです。
それが自然の摂理というものです。
ならばいつ何時と言えど、すべての慈しみに対して「ありがとうございました」です。
ただ、あなた様にはその節目の瞬間を選ぶ権利があります。
‥迎えてもらわなければ困るでしょう。
そうでないというのなら、何を目指しているというのですか?
その瞬間をあなた様が迎える。
その瞬間からあなた様が新たかとなる。
その瞬間にあなた様は一皮分剥けて大らかとなる。
> では、その瞬間の気持ちをどう感謝すべきでしょうか?
「ありがとうございます」‥いいえ違います。
それでは、あなた様の感謝が天に昇って還ることに成り得ません。
あたかも、お天道様に向かって「自立せず」の宣言を伺わせんばかりです。そうは思いませんか?
ゆえに、節目を感じたならば、「ありがとうございました」
節目にまだ遠いと思えば、「ありがとうございます」がよろしいでしょう。
要するに、礼と節の関係に位置するのです‥日本語はそのようにしかできていないのですから。
何事にも個人差が生ずるのは当たり前な事です。
そこを無理矢理に‥社内方針で一元化、そのようなお言葉で人が育つとお思いでしょうか?
> 言葉には足跡が残って然るべきことです。
言葉に乱れなんか有り得ません。そういう時代だからそういう響きになるのです。
そこに適った育ちを表すことになるから、そういう言葉遣いになるのです。
時代時代の違いを音で区別できることは素晴らしきことです。
人の気持ちの表れにしても同じことです。成長の経過がうかがえたなら尚よろこばしきことです。
‥それが、言葉として華を添えたしと思う素直な響きになるのですから。オーーホホホホホホホ