2010年11月11日

発行と金利に蠢く八つの眼

1-5)0
 国民、政府、中央銀行、市中銀行A、市中銀行B、借り手、支払先、海外‥この八つの眼をしかと見開いて、貸した金には金利を乗せて返すのが当たり前とする資本主義の基本形を論じてみましょう。


1-5)1
 国民は国家機能の保全に対して税金を納めています。また同時に、銀行に財産を金銭に換えて預金しています。国はもしもの時、その預金の全額を保証はしませんが、保証額に上限を設けて保証を約束しています。
 政府は国を代表して、中央銀行からお金を借りています。そのお金のことを国債と呼んでいます。
 中央銀行は、国債を独りで蓄えることなくそれを商品として売っています。国民の代表である国家に発行権からお金を貸し付けて、わざわざ、国民に対して商品として売り付けるのです。

> 金利が付きますから儲かりますよ、その代わり税金は高くなりますけどね。

 このカラクリが今回の焦点です。一体全体、国債とは何様なのでしょうか?
 どうして誰もこのカラクリを詳細に語らないのか?、否、語れないのか?
 それはとても悩ましい連環計だったのです。



1-5)2
 では、視点を借り手に移してみましょう。

 今、借り手が市中銀行Aからお金を借りたとします。そのお金は支払先に投じられ、市中銀行Bに収まったとしましょう。
 皆さんは銀行Aが借り手に貸したお金の元々を預金と言いくるめられていますが、それは実際本当であり、半分が真っ赤な嘘です。
 本当に預金の枠からであったのなら、借り手が支払先に支払ったことで、借りた分だけの預金が倍に増えている事になります。
 銀行Bにしてみれば、これは新規の預金獲得としての確かな業務の成果です。誰が見てもお客様からの預かりです。誰も否定できません。
 しかし、銀行Aから見れば、銀行Bに貸し付けたと言い切ることができるのです。ここが味噌です。
 それが成り立つのも、そこに借り手の存在が居ればこそです。そして、それを預金からの運用ですと言えば、法規上一定額の保証となります。まぁ、通常の運用においては全額が当然でしょう。そうでなければ銀行Aが貸した全額はすべて銀行Bに移動した事になってしまいます。しかも名義まで勝手に書き換えられてね。
 この辻褄を保つために登場するのが信用創造です。
 つまり、中央銀行が預金を倍増させることに手を貸すのです。
 銀行Aの預金総額の辻褄と銀行Bに移動した成果にどちらも有効であるとの解釈の下にお金を倍増させるのです。どちらにも有るという状態を保つ形式とするのです。

> さて、ここからがマジックの始まりです。

 中央銀行は無料報酬で信用創造を行って預金額の倍増に手を貸しているわけではありません。担保を要求します。中央銀行が市中銀行Aに対して担保を要求するのです。
 一般にそれを難しい用語で「預金準備率」と呼んでいますが、担保としては説明されていません。でも銀行のすることですから、中身は担保と考えて結構です。
 銀行Aは自分たちが預かっている預金からもしくは自己資本からその額を納めます。
 とりあえず、それらの仕組みの結果、銀行Aにあるべき預金は銀行Aにある事になり、銀行Bに移動してきた金額分を倍増させることが適います。

> ところが銀行Aは銀行Bに貸したのだと言い張る点はまだ解決していません。

 もし銀行Bがこれを真に受ければ、銀行Aが貸せば貸すほど、銀行Bは自己資本から金利分を払わなければならないという悪循環に見舞われます。
 自己資本比率が割れれば営業停止です。そこで、銀行Bは中央銀行にこう申し立てることになります。
「自分ところの預金が増えたのだからその分の預金を中央銀行が支払うべきである。」
そうすれば、銀行Bは自己資本を減らすことなく銀行Aに対して金利を支払うことができるのです。その時の銀行Bから銀行Aへの支払い方法としてコール市場が用いられているものと思われます。
 しかし、これでは中央銀行がおもしろくありません。なぜなら中央銀行がその金利分を紙幣印刷から賄っているわけではないからです。金利の支払いは自己資本から、それが銀行業の鉄則です。その鉄則を中央銀行自らが破るわけには行きません。そこで登場することになるのが国債です。


 借り手が銀行Aから借りた金額分だけ銀行Aに対して信用創造されて発行されます。
 銀行Bに収まることになったその増分の金利要求を支払うために中央銀行が国債という信用力を持った商品と交換させるのです。
 すると、銀行Bは金利を得ることができるので、銀行Aへの金利を支払う事が適うことになります。当然ながら、政策金利とほとんど変わらない低い金利です。手数料と言っても良いぐらいのやりとりが行われているものと思われます。

 しかし、銀行Aにとっての本番はこれからです。
 銀行Aは中央銀行から借り受けている立場ですから、借りた物を返す義務があります。
 中央銀行からの借金が重なれば、市中銀行Aの金庫では預金の枠が減っていることを意味します。当然、預金に付いてくるはずの金利、つまり国債を手放さなければならないような事態です。つまり、銀行の自己資本の資産価値が減る事を意味します。
 そこで、市中銀行は考え出しました、借り手の支払うだろう金利をいったんあきらめる事にしたのです。最低限の金利分は、銀行Bより賄えているわけですから、優先すべきは中央銀行への支払いです。登場することになるのが、借り手の返済金利を当て込んだ金融商品です。早い話が証券に仕立てて売りに出したのです。証券を買ってもらえれば、売り抜くことができます。結果として、売り抜けた分を一旦中央銀行に戻すのです。
 ところが、そのままにしていると証券に信用は得られません。なにしろ証券に入ってくるはずの返済金利は時間が経てばお金が入ってこないことになるからです。入ってくるようにするには、債権を入れ替えて継続させて行かなければなりません。

> さて、このとき銀行Aは中央銀行への返済に金利を支払うのでしょうか?

 理屈上、中央銀行とて民間企業でしかあれていませんので、そこはもう無金利というわけではないと思います。そこでその代わりになるのが売れ残りの国債だったり、国債の一次的な買い取りです。これは一般に金融オペレーションと呼ばれていますが、実際は国債市場を通して行われているものと思われます。
 市中銀行が金融証券商品の創造を継続させる責任を中央銀行は有します。勿論、金融政策の任としてです。と言っても、中央銀行のするべき事は金融証券市場が継続できる=中央銀行の資産と等価ですので、金融証券市場規模に適った景気さえ成り立っていれば十分との見方に踏みとどまるものと思われます。


 上に挙げた金融循環が順調にあるとき、中央銀行にはお金が溢れることになります。それが市中銀行に交換させた信用創造からなる預金の増額分です。
 中央銀行も成果を求めて、そこにある資金を運用していくことになります。少なくともそれは景気の現れを意味しているので、外貨との交換が望まれる事になります。
 つまり、基軸通貨国債の購入とか、為替運用とか、金の購入とかが挙げられます。そもそもは預金ですので、冒険を冒しているとはとても思えません。
 しかし、基軸通貨国債の購入は米国債の購入になります。聞く所によれば、米国側は金利はおろか、返済の意志がまったくないとの情報です。そこで、それの変わりとして、為替レートの在り方とか、IMFの在り方とか、ODAの在り方とか、金相場の在り方とか、石油価格の在り方とかが取引の対象とされているものと思われます。



1-5)3
 では今度は視点を国民に移して見てみましょう。

 多く稼いだ人は家や車を買います。一括で買えるような人は一握りなので、多く稼いだ人と言っても、ローンを組む場合がほとんどです。
 すると、金利を払い続ける事で、市場に循環されるべきお金はどんどん中央銀行に戻っていくことになります。それでなくとも儲けという形で誰かの預金や企業の内部留保や自己資本に変わります。政府の社会保障に信頼が得られず、誰かが貯め込むことしか知らないと、お金は市場から消えたも同じです。

> しかし、ここでのポイントはそこではありません。

 銀行というシステムが金利を求めれば求めるほど、多くの国債発行をしなければならないという仕組みです。そしてこれは不思議なことに、税金を多く納める立場に位置する人ほど、多くの金利を受け取れるという仕組みになっていたという中身です。勿論、割には合いませんけどね。
 それが金融商品という不思議です。断っておきますが、金融業と同じように個人でそれらを売買するのは論外です。それは金利ではなく金融売買の話です。ここでは金利だけを指して言っています。

 そして、多く稼げない人は貪られるばかりです。

 なぜなら、多くを稼げる人を行き延ばせるためのグローバルな戦場が展開されているのが今時の国際社会だからです。それを国益と叫んでいます。実にたわけた国益論です。
 それらそもそもの信用が、証券市場を維持させるための仕組みに成り果てている点でです。

> 信用を得ても信頼は無し。それが国債の肥大化と金融市場の肥大化です。



1-5)4
 景気が悪くなると証券が売れなくなるので、仕方がないから中央銀行は金融緩和をすることになります。今やその規模は、国債ばかりに留まらなくなっています。
 その本当の正体は、中央銀行の自己資本の低下だと思います。中央銀行自体が儲からなくなってしまった。だからこそ、こぞって金融緩和とは名ばかりの金融商品をかき集めて母体を維持しようと躍起になっているものと思われます。

 上に示した内容を鑑みれば、それが容易に想像されることでしょう。

 そしてその時重要とされるべき視点こそ、中央銀行の自己資本の裏付けとしての国民経済です。早い話が、税金=中央銀行の貸金庫=担保資本という辻褄です。そして、世界市場に向けられた金利=金融商品としての辻褄です。それが中央銀行という魔物の正体となります。

 すると、下位の者は次々に切り捨てられることになります。お互いに金利を求めれば求めるほど、それは加速的に進むのです。なぜ過度に求めて行くことになるのかは、国債の蓄積額を見れば一目瞭然です。国債に関わらず、必要とされる資本総額が膨らみ続けるからです。それがグローバルになった市場の辻褄です。なのに、お金が足りないのとお金が余っているとの矛盾が生じています。

 これの不思議な状態を説明するのに、日本で起きた金融ビッグバンが挙げられます。

 護送船団方式のそもそもは、地方銀行がたくさん貸したお金のほとんどが大手銀行に入っていたことを意味します。すると、地方銀行は大手銀行から金利を得られる仕組みにあるので、目一杯貸し付けていた事になります。それが土地バブルを裏付けとしたスパイラルな上昇時の状態です。
 まさに金融力の弱い所に合わせた護送船団の有様です。
 それが弾けたわけですから、お互いが取れる手立てこそが合併です。合併することで、少しでも他行に資金が移動する事を防ぐのです。そうすれば、他行に支払うべき金利を減らせることに繋がって行きます。

 しかし、実際はそういう単純さが解明できるような仕組みではありません。どこもかしこも価格変動を前提とした競争市場が形成されていて、意図不明に絡み合っています。それはもう、経済のプロが見たってわけがわからないと思います。

 そして、すべてが合併してしまうと今度は逆に金利を得てくる相手が居なくなってしまうのです。すると競争が緩慢に映りだして、金融商品を売り抜くことができなくなってしまいます。‥と言うよりも、商法の手法が容易に推察されてしまう恐れが生ずると言った方が正解かもしれませんね。金融派生商品が多いに越したことはないという事です。
 だからこそ、その次の金になる手段として個人投資家という喰いものが求められるのです。個人投資家が増えれば、銀行はその分だけ、売り抜くことができますし、他人資本を必要なだけ減らさせて、自分たちの自己資本比率を維持させておくことが適います。


 金融業が立派に稼いでくる背中は、今時の医療と同じです。患者が多いからこそ医者は高い地位を築くことができ、患者が増え続けることで、多くの医者が必要とされ、それがまた、高い地位を維持させるべく医療を高度に商品化させるのです。
 これでは、イタチごっこのまま誰も救っている事にはなりません。患者の絶対量を減らすことに努めていないのと同じだからです。
 そこで患者が減らないのは個人の責任だとされます。たしかにその通りですが、患者を証券の裏付けとして必要とされる負債の絶対量に喩えるとき、患者数が減って困るのが、金融業の悩ましい所に重なるのです。
 そこで、バブル崩壊が起こるべきして起こることになります。高すぎる医療もとい、複雑化しすぎた金融商品など無意味だからです。
 しかし、焦げ付いた金融派生商品を葬り去ることができたとしても同じ事です。次なるステップにもまた、何も学ぶことなく同じ手法の金融派生商品を世に送り出すことになるからです。それこそまさに、自由主義がもたらすばかりにある中毒症状そのものです。



1-5)5
 まぁ大雑把に見てこんな所でしょう。金融の細かい動きを説明できるほどに調べたわけではありませんので、すべては推察の結論です。実際は金融に関わる者同士の話し合いになるので、あてはまる部分もあれば、あてはまらない部分もあると思います。

 記事を現時点で示してみた理由は、もはや書き示しておかないと不味いと思ったのと、自分の中で整理しておこうと思ったのと二点からです。

 結局、国債を裏付けとした中央銀行なる仕組みは、人間不在の連環計でしかあれていませんし、どんなに弄くり返してみても、格差の軋轢を平たくするための財源なんて得られるわけがありません。
 経済の数値をよくしてみた所でルールが変わらないのであれば同じです。
 すべては膨らんでしまっただけ、膨らみを支えるためだけの資本量が求められるばかりで、手を差し伸べられるような財源を経済が都合してくれるような隙間など有るわけがないのです。あるとすればルールの改革だけです。

> 国民全員、人類全員で自覚するべきだと思います。
> 経済は所詮、等価原理です。エネルギー保存の世界です。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:45 | Comment(0) | 破棄処理中 | 更新情報をチェックする
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