2011年04月16日

タブレット端末とノートPCのドッキングを規格化せよ!‥その先に見える日常

1-3)0
 タブレット端末に積まれたSDDとノートに搭載のHDDの関係を、気楽にSDDのバックアップができる関係にしてしまえば良いと考えた場合、はじめからドッキングさせることを前提にした規格があっても良いことになる‥ただし、ケーブルで繋げるという発想もあるので、単にバックアップの方法だけをアピールしてみても意味が無い。

 だからここではその先を見据え、ドッキングさせた上で、相互で連動作業が成り立つようにできた方が良いと考えるべきだろう。無論その一番の障壁はOSだ。

> 言うまでも無いが、世の中の流れがその方向に流れるならば、Windouwsの牙城も怪しくなると言うもんだ。


1-3)1
 商売的にみても、画面と台座が連動して使えることで、別々に購入しながら、全体での使い勝手のシステムアップをうながすような仕組みが求められてもいいだろう。

> この場合、マイクロソフトは必死になる一方で、インテルは意気揚々かもしれない‥

 そうすることで、家庭内でのパフォーマンスとしても、どちらかの進化の善し悪しに悩まされることなく、基本はタブレット端末、台座は一つあればOKといった感じになるのだろう‥。
 とはいえ‥ウイルス感染を嫌えばそうもいかないわけだが、世界人口一人あたりに求められるディスプレイの必要数(アドレス数の増加=ウイルス対策の増加)を減らす必要が求められれば、台座から画面を外して用いるという感覚はあながち的外れでは無いと思う。
 台座から画面を外すことで自動で台座側のセキュリティがロックされても良いし、登録してある画面のみがドッキング可にできるなど、選択肢はいくつかあって良いと思う。

 電子教科書のケースを考えて見ても言えることだが、このようなシステムがあることで、年代毎に生じかねないと思しき電子教科書自体の処理能力の差を緩和させる事が可能と見てよい。



1-3)2
 さて、ドッキングした場合のデータの取り扱いだが‥

 当然ながらタブレット端末のSSDの側に個人利用の情報が記録された方が良い。とくにネット周りの情報であればなおさらだ。
 また他のアプリケーションでも同じであるだろうから、ドッキングからの解除時、改めて台座側の情報を暗号化し、同じタブレット端末の装着時もしくはパスワードの設定により、再びデータの利用が可能とできるような仕組みが求められるのは言うまでもない。
 ただし、ネット周りの情報であれば、はじめからタブレット端末オンリーでの取り扱いの方が良いわけだから、それぞれの扱いはアプリケーションの性格次第となろう。

 その時、気になる点と言えば、双方のCPUがどのように連動するのかである。

 充電が目的であるのなら画面側のCPUやSSDは止まっていた方が良いし、画面の電源は台座側からに切り替えられた方が良い、とにかく早く処理を終えたいのであれば、双方のCPUは連動してくれていた方が良いに決まっている。



1-3)3
> 一方でこんな使い方も考えられる。

 台座にドッキングさせることで、そのままTV電話としての利用もできるように促す用途である。
 そこを突き詰めれば、オンラインショッピング専用の台座との合体を目論んでも良いだろう。ネット販売における登録を台座側のアプリに集約させ、閲覧と問い合わせの便が計れるように工夫を凝らすのである。

> たとえば、近隣スーパーのその日のすべてのチラシが、ボタン一発でとりあえず閲覧可能の状態にできるなど‥

 一見、タブレット端末だけで十分のように思え、無意味に思われようが、そんなことはない。

 検索ワードを考えて打ち込むのが苦手であれば、用意されている所から選べた方が何かと便利である点も否めないからだ。さらにそれらがジャンル別で用意されているのであれば、なおさらだろう。

 違った角度から言えば、そういう用意されたボタンを押して選ぶ層ほど、電話で確認、相手の顔を見て確認しないと気が済まない気性と、それへの要望に繋がっていると見て良い。
 で、お気に入りの受付が居れば、TV電話からの注文を再びして戴けるという作戦にもなるわけだ。

 たとえ機械が苦手だとしても(対象が先進諸国とは限らない)、電子教科書が用いられるような時代ともなれば、子供の教科書端末の画面を用いた台座を買ってみるのも手となろう。
 それが仮に電子教科書の強化版としての学習機能が売り(初期添付ツール)として、TV電話で我が子が質問のやりとりをしている姿を垣間見ようものなら、その手の親ならタブレット端末の活用は別としても、自分の目的とする用途に合わせた台座をチョイスしてみたくなると考えられる。
 その時、画面が何でも良いのであれば、子供に電子教科書の新しいのを買い与えて、古いのを自分の台座に差し込んで使えてしまえれば、運用の面でも資源エコの面でも無駄にならないという流れだ。
 一方で、台座に必要とされるシステムの配布が、ダウンロード形式なりクラウド活用に落ち着くことは言うまでもないので、結局は、台座にしても画面にしても、子供の教育から生ずる電子教科書等の端末を上手に流用していく形式にしてしまうのがベストと思われる。
 もちろん、自分たちのお古からでもかまわないわけだ。

> で、いつの間にか、家庭内に紙製の雑誌というものがなくなり、電子書籍で読むのが日常になっていたりするのだろうか‥つまりそういう流れへのアシストとなる。
> そうなればなったで、電子教科書は新たなインフラ作りへの試みとも言えるべきホップだったとなりそうである‥。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:33 | Comment(0) | 目の付け所をナス | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。