2011年11月25日

俺が欲しいと思う、超豪華お絵描きシステムの提案

1-2)0
 その昔、俺はベーシックで、マウスで入力したポイントと次に入力したポイントの距離差を取って太さの変わるペンプログラムを書いてみた。
 つまり、距離差の変化‥加速度の変化を取るのである。確かにそれはそれとなく狙い通りに機能した。

 それから、タブレットを買ってみたり、糞高いグラフィクスツールを買ってみたりしたが、それの実現には及ばなかったので、ワコムに自分のアイデアを直訴メールした。それから、3年ぐらい経ってからようやく、マーカータイプのタッチペンが登場した。

 その機能を確認した所、入力する点をはじめから二点用意してあるように思えたのだが、今となっては加速度センサーとやらが流行っているので、大した技術ではなくなっている。

 実際そのマーカーペンで描くような機会を得ていないので、何とも言えないのだが、アーティストには評判は良いらしい。
 しかし、画面に直接入力するシステムとしては、そのマーカーペンは実用化されていないようなので不満も大きいのではないだろうか。

 そこで、新たな提案をかなり前にワコムに直訴メールしたのだが、まるで進展が感じられない。それどころか、ワコムのディスプレイタイプのタブレットは、ドット欠けが有って当たり前のような評判なので、「え、そんな会社なの‥」とがっかりしている。

 そこで、今回、ブログの方で書いておこうかなと思った次第である。


1-2)1
 本格的な画をパソコンで描こうとすると、どうしても壁画描きの画家と同じ方式をとらざるを得ない。

 近くによっては描き、遠くに行っては全体像を確認する。パソコンで絵を描く作業というのはそういうことの繰り返しに等しい。
 その結果、モニターは二つあった方が良いことになる。一つは全体像を専門に表示させているモニター。もう一つは描きたい所をアップして作業するためのモニターとなる。
 しかし、そのような使い勝手に対応しているデュアルモニター機能を見たことがない。
 ツールボックスと作業画面をバラバラにできるツールであればそれなりに可能とは思うが、ボタン一発でそうできるかは、よく知らない。

 そして、機能の切り替えがポイントとなる。

> どうして、エレクトンのように足の鍵盤で切り換えるような発想がないのだろうか‥

 画家にとって、目の前にあるペンと色を選ぶことに感覚としての不満は生じないと思うが、どこに何があったかをど忘れしているとこれほどにイメージの生産に影響を与えてしまう要素もないのである。
 パソコンではそれが平然と起こる。システム全体を理解したかと思うと、バージョンアップ版が登場しましたでは、萎えるのだ。
 だから、足の鍵盤を蹴って、色を変えたり筆を変えたりの基本ができれば、ビジュアル的にある意味邪魔なツールボックスに振れずに済むことになる。
 ようは、探す手間を感性の中から排除しておきたいのだ。

 これはワコムタブレットに付いているボタン機能とはまったく違うので勘違いしてもらいたくない所である。
 それこそイメージとしては、オルガンかピアノのようなディスクと一体化したようなシステムがあり、そこに座って絵を描くことを想定している。

 しかし、そこまで行くと、ハードとソフトの一体化が必要となるため企業の連携ないし合併が欠かせない。

> そして極めつけが、サンドアートを参考にした、書き込み表現である。

 これは別角度から手の動きを撮影するか、もしくは、特殊なグローブをはめて、指位置情報や加速を信号で送る等の技術が求められる。だから、ますます企業の連携ないし合併が欠かせない。むしろそこまでのシステムとなれば、タブレットとは別物なのだから、逆にワコムの牙城に斬り込むための戦略にも見えるだろう。
 ただし、お金のあるアーティストを対象にした売り込みに限定される。だから、少々お値段が掛かっても、表現がダイレクトにイメージできるシステムである点を売りにしていくことになる。その方が望ましい。

 もちろん、サンドアート的入力デバイスの開発が前提となるが、足の鍵盤と組み合わせることで、さらに複雑なジェスチャー入力が可能だ。
 たとえば、今現在拡大している部分から移動させたい場合が挙げられるだろう。
 拡大率の変更でも良い。下書きの段階であれば、当然として、拡大せずの機能もあることになる。
 足の鍵盤の一番左を蹴れば、その変化が拡大専門の画面に繁栄され、次に手のジェスチャーなり、表示されたツールボックスをタッチ入力し、最後また同じ所を踏めば、描画開始状態に戻る‥感じとしてはそんな所だろう。
 基本的に手で描くのが基本のため、手以外からの入力が得られないと性格的に認識しずらいのだからそういう話になる。



1-2)2
 イメージを確認すると‥席に着いた画家が、二つの画面に向かって、手をうねうねさせながら、足の鍵盤を踏み、黙々と大画面を埋めていくような感じとなる。

 それこそ音楽を奏でるようにして、画面を埋めていくような実力が問われる所だが、それはそれで、一枚の画ができ上がるまでのコンサートを開くことも可能と言える。

 一枚の画を見る・見せるだけでなく、できあがるまでの過程をアートにしたいと目論めば、そういうマシンがあってもいいのである。

すくなくとも、そんなマシンがあれば、あるだけで、アーティストの生産モチベーションは刺激されるだろう。
 だって、手に入れてみたくなるのが本能のような象徴がそこに生じるわけなのだから。
 それが仮に百万円以上のシステムだとしても、車を買うのと比べたらどうだろうか?
 産業規模としては馬鹿にならない事になるはずだ。

 タブレットの値段はあんなものなので、バージョンアップしてもお値段据え置きなので、割高感ありありだが、ピアノのような代物ぐらいにもなると、うちの子に買って与えて画家にさせよう的な衝動買いが富裕層から生ずることになると思う。
 なにしろ絵の具や紙を逐一買っていけば、百万円なんてすぐだ。その気があるなら、かえって割安にさえ見えて来るというものだ。
 勿論、システムとしての完成度が大前提になるけどね。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 05:47 | Comment(0) | 目の付け所をナス | 更新情報をチェックする
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