2012年01月17日

デパート型シェアハウス?

1-3)0
 変な夢を見た。夢の中で久しぶりにフライングモンキーになっていて、俺もその家の住人というか‥居候というか‥まぁそんなあいまいな感覚で、その家の中を散策。

 その家の中の事情という奴が、どう考えてもデパート型シェアハウスという感じだったのだ。


1-3)1
 一番に印象的だったのが、どっかの家具専門店に行くと商品というものは整然と並べてあるものだが、どうしたってすべてが私物のように思い思いの所においてあるのだ。どう見たってデパートではない。
 そうかと思えば、すべての部屋には扉がなく、部屋単位での区画はあるものの、扉という奴がいっさい見当たらない。
 それでいて、大家族のように人がそれぞれの部屋に二人三人とすごしている。

 極めつけは、大型スーパーのように、階の下の方に行くと食料品が売られているような場所だったり、その上の階には、お茶をするための区画なのかお店なのか区別の付かないようなくつろぎの場(通路)が見られた。エスカレーターもあった。

> つまりこれらを総括すると、どう考えてもデパート型シェアハウスということになる。

 断っておくが、住民の誰がどこをほっつき歩こうと家族意識としての結束からか、咎める雰囲気はなかった。というか、俺がフライングモンキーで通っても、誰もがいつもの事のような顔ですごしていた。
 人には感心が向いていなかったので、どんな人種だったかについてはあまり確認しなかった。少なくとも外国に居るという感覚はなかった。

※ ただ、不思議と贅沢で個性的で大きな家具が目立った。これが日本のお家事情とは思えないぐらいの感じだった。
 それはそれで盗難防止意識の表れなのかもしれない。小さい物だと誰かが持って行きやすいし、特徴がないとこれは私のモノという主張にはなりにくい。
 そんなだから一人あたりの実際のスペースは結構手狭な印象だった。



1-3)2
 まぁあってもいいような気もするが、分譲とか‥オーナー権管理とか‥家賃とかの話になると「?」が点く。

 しかし、アイデアとしてはスゲー画期的。大家族気分を味わいたい需要という奴はそれなりにあるだろうから、あってもいいと思う。

 食料品店スーパー機能付きで、お茶会のできるようなそれぞれのお店機能付きで、当然として住人が担っている。感じとしてはそのお店も誰が店員というわけでもなく、共有の台所のような感じがした。
 当番制なのか、有志による管理制なのかはわからないが、共有の台所の感覚であれば、誰となく日常の交流の場として勝手に機能しているのだろう。ちょうど、昔ながらの井戸端みたいな雰囲気だった。



1-3)3
 それにしても実際は無理という意識が大きいと思う。

 なにしろ、小さな村をそのままデパート構造の中に押し込んだミニチュアそのものだからだ。まずは、要としての村意識みたいなものがないと長続きしないことになる。昔ながらの村意識というやつだ。

 じゃなんだ、東北の海岸近くの小高い所にでも、どーんとそういうのをお建てて住んでもらえば、津波対策にもなるというのだろうか‥
 土建屋が喜びそうなプランだな。復興プランとしても、さっさと再建していく上での決め手にでもなるというのか‥

 どうせ皆さん、仕事が無い無いと困ってみた所で、やりたいことは漁師だけのご様子だし‥無理に散り散りにさせる必要もないのであれば、いっそうのこと、デパート型シェアハウス村でもこさえてしまえばいいということか‥

 それにしても区画はあっても扉がないと言うプランにどれだけの賛同が得られるというのだろうか‥
 否、逆の発想として、都内のデパートやビルの内部構造を震災時対応の住居割り当てとして一部をそんな感じで設計しておけば、一時的な避難場所確保として、家や住む場所を失った社員家族用に割り振れるのかもしれない。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 04:12 | Comment(0) | 目の付け所をナス | 更新情報をチェックする
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