2012年02月02日

金慮の臓腑を考える1

1-5)0
 中央集権の悪しき部分を改めるために地域主権が問われ、道州制が問われる所になった。しかし、いくつかに束ねて道州を論じてみた所で、中央集権の縮小版の如く、各地域に代官を送り込むような発想ではおぼつかないのである。

> 道州制の意味する所は、技術躍進の結果のインフラ・ネットワークの重視にある。

 近年に求められるインフラ・ネットワークの整備と費用効率のスリム化とがその主だった目的とされるのだから、地域地域の主体性までを道州主導にしてしまうのでは疑問が残るのである。


1-5)1
 当方では、国民主権発行の視点から金慮を提案し、その都合上、道州制に是を組み込ませ、事業所単位での個別対応にて税率変動を可能たらしめんと掲げるわけだが、それにしたとて、各所に金慮を配置するとなれば、一定規模数の金慮支所を必要とする。
 それは即ち、道州の方針に従ってすべてを従わせるような形式であるよりは、各支慮(金慮支所の略称)の自己采配に任せて、事業所別対応の税率変動を担わせた方がより地域にあった投資の形を模索していけるものと考える。

 ただし、この支慮単位での自己采配の性格は、従来の金融業を彷彿とさせ、どうしたって、そのあるべき給与評価が、公務員給与にありがちな横並びの査定では足枷になりかねないのである。

 しかしながら、金慮は行政機関を担う立ち位置であるのだから、自己采配・成果主義に走りすぎてもらっても困るのである。
 往年に叫ばれてきた地域開発に絡んだ様々な汚点を鑑みればおわかりだと思うが、自由裁量をもっともとしてその定義を怠れば、地域伝承すらおぼつかない事態にも陥りかねないのである。

 また、金融業をぶっ潰すものとして忌み嫌われるだけでも意味がない。スムーズに人材を吸収活用できる仕組みにあることが求められると思う。



1-5)2
 そこでまず、道州内にて金慮の機能をブロックに区分けて、ブロック毎に統括してゆく必要が生ずる。
 当然として、是は市内に支慮が一つしかないような状況を回避するのと同時に、そこまで細かくしてまで成果を求め合うのではなく、ブロック単位での活性化を促すためである。そちらの方が地域のニーズにも適うはずだ。

> そこで、それらブロックエリアをそれぞれに統括するための台所目付が必要とされる。

 先にも述べたが‥その人事の在り方が単に道州からの代官では意味がない。あくまで地域主権を貫くのであれば、それそれぞれのブロックエリアの市民によって選ばれたメンバーであるべきだ。
 つまり、早い話が、選挙投票にて、その代官を決めるのである。

> ここでは、その代官メンバーを民代委員会と称しておく。

 ただし、民代委員会までもが黒く染まってしまうようでは用を為さないのだから、是の機能と役割を、広報と監視に限定し、不正や意義に対しては、注意を促すに留め、必要であれば、裁判に訴える形式とする。
 このように位置付けておけば、何かと責任を負いたくない役所の体質に先手を打つ事ができ、問題点の是非を裁判に任せているのだから、民代委員会にしても、広報の情報に裏付けさえ取れていれば立場上の責任を負う必要がない。
 つまり、民代委員に求められる資質は、臆することなく公正に発言できる人柄であり、間違いと思しき点を指摘できる聡明さと誠実さに相成る。

> これは何も、リーダーリーダーしていないと上に立ってはならないと思いがちな日本人の代官像とは異なるのだから、委員会の男女比率を同じにしてみるのもいいだろう。

 しかし、ここで悩ましいのは、民代委員会は地域金慮の第三者管理機能がその役割なのだから、金慮に関わりのない地域の陳情を持ち込む所ではないという点である。
 それの管轄は道州なのだから、そこの支所に持ち込むべきとなる。

 この辺りがどことなく縦割りな方向性を匂わせる所であり、なにも行政と銀行とを合体させるまでもないと思わせるかもしれないが、同一給与では活性化しないのが人間の性であり、役所の体質であり、自由のままにあれば、地域の伝承や都合など考えずに合理化を口にし出すのも人間の性なのだから、自覚するしかあるまい。



1-5)3
> 次に、金慮の人員構造である。

 公務員はどうしたことか、終身雇用が前提とされている。それゆえ、昇進するほどに席の数が少なくなるのがお約束で、何かと黒い思惑が絶えない。
 そこで、ズバッと上官と下士官とに分け、それぞれに役回りの特性に合わせた任期期間を設けて、任期が過ぎればお払い箱であることを自覚してもらうしかない。
 つまり、エスカレータ式ではないのだ。ないと言っても、地域の伝承を保つためには、良い意味での年功序列はあるべきだと思う。

 そこで、部長級以上の指導責任を担う立場を慮官と称して、任期を五年×二期の10年採用とする。課長級以下の現場責任を担う立場を慮士と称して、任期を五年×六期の30年採用とする。必要と思しき人事異動は5年おきとし、それぞれにおいて、任期の経過に準じた立場責任が義務付けられる。
 もちろん、当然のモチベーションとしての昇給が任期の経過おきになされるべきとなる。

> ‥とまぁ、聞いた事もないような仕組みを提案するところだ。

 当然ながら、慮官になるには慮官試験が、慮士になるには慮士試験が課せられる。
 ただし、金融業のお取り壊しの際は、金融業に従事していた者から希望者を募り、希望者を対象年代層で割り振って、強制的に任期経過を有したと見なして、それぞれの想定任期枠での採択試験が課せられるとする。
 通常は、任期毎の採択試験は行わず、必要に応じた補充試験を行うのみとする。
 是により、慮官試験と慮士試験を5年おきに定める事がスムーズとなる。

> 任期だけでいえば、4年ないし3年の枠の方が望ましいと思うが、投資のリターンがあったかどうかの成果が問われるとなれば、5年あたりになると思う。
> そしてそれは成果の仕組みと連動している。



1-5)4
 成果へのモチベーションを考えた場合、慮官はもちろん成果主義が望ましいが、金慮の中身は投資事業なのだから、それぞれの案件には担当が付くことになる。
 その担当をここでは慮担と称しておく。

 慮担は当然として、慮士が多くを担う事になると思う。
 その多くの者のモチベーションは、何も成果主義ばかりではない。自分家族の生活の安定であったり、担当先の面倒を最後まで見届ける事であったりであると思う。
 とはいえ、試験に合格した面々は道州の采配にて、ブロックエリアのどこそこに配置される事になる。その時、経済規模の小さい所に配置されたとなれば、どうしたって配置格差が生ずることになる。慮官はそれでもいいと思うが、慮士は任期が長いためそうも行くまい。
 配置換えがされるといっても、地場適正だったり、能力交換だったり、案件交換(慮担交換)だったりで、必ずしも全替えということにはならない。その辺は学校の教諭の移籍と同じだ。
 そこで慮士は公務員と同列の給与扱いとし、ここではひとまず半々給給として、道州がその支払いを請け負うとしておこう。もちろん、能力給の査定を支慮の采配で、それの評価ボーナスを出してもいいだろう。

 慮官は、いわば慮士が請け負ってくる案件の可否を下す責務を担うため、どうしたって成果が問われるのだ。その成果に応じた給与が得られなければ、モチベーションは上がらないであろう。
 しかし、金利で儲けを拾うわけではない。それが金慮の大前提としてある。ならば、手数料で勝負に成るかといえば、ならないのである。そんなのは支慮同士での値下げ競争にしか成らないのだから、やりがいなんて起きるわけがないのだ。

> そこで、手がかりとして思い浮かぶのが、事業所毎の税率対応である。

 事業所毎の業績が維持されるだけでも道州としては評価に値するし、地域の活性化が促されたとあれば、市民からも絶賛されるだろう。

> そこで、事業所毎に納めることになる税金総額から1%を金慮が手にしてもよいとするのだ。もちろんブロックエリア単位での計算だ。

 当然として、残りはすべて道州に収まることになる。道州にしてみれば、税率は高い方がいいと思う所だが、税率を高くしてみた所で、地域の活性化に繋がらなければ無意味である。
 金慮にしてみれば、それで自分たちが潤ってもその責任は道州に在るので、そしらぬ顔ができる。できるとしても、それ以上に地域を活性化させた方が、取り分が継続的に多くなるとなれば、何も道州主導の増税策よりは、自分たちの裁量で減税策をやり繰りしての地域の活性化であろう。どう考えたってそちらの方が健全なのだ。
 だから、ある程度の数を慮官として採用しておいても何ら問題もなく機能すると思われる。

> お気づきだろうが、この辺りの話をし始めると、税務署機能も金慮に吸収されることがおわかり戴けるかと思う。
> なんだかんだで、恐ろしいほどの合理化で人員整理されてしまうのかと思いきや、以外とそれなりの人数の確保がないと成り立たない性質を有していることがおわかり戴けるかと思う。
> 1%の取り分でどこまで成り立つかはなんとも言えないが、とりあえずの指針で挙げてみた。これを金利に換算すれば、金融関係者ならすぐに試算できるだろう。



1-5)5
 当方は、その辺りの1%の試算規模を判断する基準を掴めないため、それの中身に関してこれ以上の論を展開するに及ばないが、気になる点があるのでそれを述べておく。

 仮に、1%の儲けが大きく余りがちになるのであれば、公務員の給与としてはデカすぎるとの判断にもなれば、慮士側にもボーナスが配られるべきだと思うが、半々給給の分を消却返還して考えないと辻褄が合わない。
 エリアによっては、慮士の給与までを全額担える所もあるかもしれないし、全然足りずに慮官のモチベーションに影響が出るようなケースも想定されるだろう。

 その辺りの調整をどうするかは、道州の采配だ。道州毎に方針が異なっても良いと思う。
 ただし、必要最低限の人数までを削るようでは意味がない。こういうのは土地絡みで考えて行かないと、無駄になったり不足したりになりがちだ。
 是は、民代委員会の給与と調査能力をどこまで膨らませて、どうしていくかも同じとなる。

 また、インフラに関するブロックエリア毎に置かれるべき支所と代官責任をどうするかであるが、機能として必要なのは確かであり、金慮とどのように区分するかは、ケースバイケースになると思う。
 人口が密集していれば、分けた方が都合が良いだろうし、人口が少ないのであれば、一緒の建物に押し込んでしまってもいいだろう。地域地域のニーズに沿えばいいと思う。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:02 | Comment(0) | 金慮 | 更新情報をチェックする
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