2012年02月10日

【歴史認識】西郷隆盛と実直

1-1)改稿.2015/09/03...20120210...

 俺は昔から、西郷隆盛の人気ぶりが不思議だった‥だからずっと考えていたのかもしれない。


> 西郷隆盛は実直な人間である。


 ただし、それは自分が上司に提言する側にいた場合である。
 自分が組織の上に立つ場合のスタイルは、また別の顔をする。

 組織という奴は、どうしたって一人と比べれば、ずっと良い面も悪い面も持ち合わせている。
 西郷は本能的に、それの悪い面を正すのは下の側の義務にあり、
 上に対して実直に提言することが、下の仕事だと確信しているように思える。

 その一方で

 上なら下に対して、「徹底的に好きにやってご覧なさい」のスタンスだ。
 西郷の凄いところは、それに対して腹を括っている点に尽きる。


 軍の大将ともあらば、下の者がなにをやらかすかなんてわかったものではない。
 それは薩摩藩士の過激ぶりを見ればよくわかる。

 ‥それでいて、上から見ていて正すべき事でも、
 下の者が気が付かないのであれば、敢えて知らんぷりをするのだ。
 それは外交にあろうとも同じで、博打の如しに渡ろうとする。


> そして


 上は下の言葉に対して、どんなことでもトコトン聞く耳を持つべきだと言わんばかりに構えるのだ。

 ‥まるでその姿勢には
 組織統治に苦心すべきがリーダーであるとした通常のイメージなんぞどこにも見当たらない。

 西郷の実直は、下の時のそれは、自分の言い分をストレートに投げ出すはもちろん、
 上の時には、それを相手に要求してくるのだ。

 たいていの人間は、頭で理解して返事を決めてしまうのに、西郷はそうではない。
 頭での了承を基準にするのではなく、相手側体制の懐の最大点を要求するのだ。


> 薩長同盟の場合


 ‥まずは自分側の言い分を押し通す。それが、薩摩の利益だからそこに始終する。
 そうすると長州にも言い分があるからぶつかり合うのは当然になる。
 だからといって安易に譲ることはない。
 徹底的に最後まで相手が是が非の実直を見せるまでは一歩も動かない。(まるでコンピュータだ)
 そして、長州の懐道理の最大点を引き出した後、待っていたかのように、

 「その通りでごわす」を口にして、一手に引き受けるのだ。
 ‥そのスタンスは、山岡鉄舟との対面でも同じにある。


> ゆえに


 相手から最大点の実直を引き出せずに、何かしらが戦禍に見舞われようとも、
 「‥しかたなし、
 本当に実直な姿勢で解け合える大人物が一人もいないのなら‥斯様な組織
 あってもなくてもどっちでもいいことだ。」‥まるでそんな感じだ。

 そこには‥その時々での責任を、自身で背負うとの気概が見てとれる。

 自分の本音が別にあったにせよ、内側からその手の声が上がらなければそのままだ。
 外には、組織を押さえ込む上での実直に徹しなければならないから、尚更にそのままで行く。
 そこには、決して自分から撤回するという動きがない。私意を挟むことをしないのだ。
 ‥私意を示すにしても、それは自分が下側に回った場合の上申に限るのだ。


> それはそれで


 普通にある大組織の典型だ。腐った組織の上から目線のニオイがプンプンして見えてくる。
 人の良い中小企業のオヤジなどどこ吹く風で、そんな西郷はとんでもオヤジにしか見えないのである。

 責任を自らが背負う次第を、安く請け負う気などまるで無いとした形相だ。
 ‥自らの命を差し出すに相応しい実直のみを受け入れる鬼なのだ。

 ただし、それが上に居て通せるにしても、自らの立ち位置が優位の場合だけである。

 しかし、優位だからこそ、実直だけを要求するというもの凄さ‥姿勢‥牽制‥
 普通なら‥いろいろと下心を満たそうとばかりに、
 裏がありそうな内情を持ちかけたり、なんだかんだとキツネだタヌキだと言われるのだが、
 西郷の実直だけを相手に要求し続ける‥その粘り強く本懐を手繰り寄せるエネルギーという奴は
 ‥まさに文学の傑作そのままに見えてくる。

 それでいて

 西郷の「その通りでごわす」の場面を一見するだけなら、
 「言われるまで気が付かなかったって、あんたって本当にサムライなんですか‥」って
 ツッコミを入れたくなりそうな場面ばっかりだ‥なんも格好良くなんか見えてこない。つまり、


> ボケ役に徹することの方が、交渉において実直を最大点に導く上での秘訣だということになる
> 西郷隆盛は、頭の下げどころを心得た天然だったということか‥


 下の立場ではツッコミ役に徹し、上の立場ではボケ役に徹する。
 ‥簡単に言えばそうなる。どちらにしても、腹が座っていなければできることではない。



1-1)1

> そして西南戦争である。


 自らが立役者に押し通してきた明治維新が、西郷の望んだ流れに沿っていたのかどうかは微妙だ。
 ‥中央から離れたり、出て行ったりと、なかなかに難しかった様子がうかがえる。

 にしても‥結局は藩士の立場は無いも同然になった。

 薩摩藩士からしてみれば、ただ働きも良いところだったはずだ。あまりにも筋が通っていない。
 実直に生きる人間の最後の後始末として、其を引き受けた西郷はまさに実直の鬼だった。
 ‥たしかに頭なんか上がらない。

 しかし普通ならそんなのは引き受けない。

 でも引き受けた西郷の選択を見る限りにおいて、革命精神の根っこは蜂起だって次第になる。
 ‥それ以上をそこから学ぶ事は適わないのだ。


> それで、死体がすり替えで、実は日本海の向こう岸に亡命してましたなんて俗説が本当だとしたら、
> その辺の机上の戦争屋と大差無いじゃないか‥そういう話になってくる。


 ‥実直を貫き通せるかどうかは、それなりの前提条件が揃っていなければ駄目と言うことだ。
 チャンスが見えてもおらずに強引さに頼っては、結局は自分の信念の弱さを痛感するばかりだろう。
 西郷にしてそうでしかなかったのなら、日の本の総仕上げは尋常ならざるに始終しよう。

 ‥私たちが、安い売り文句に買いなびくだけの国民にあったなら尚更だ。
 維新なんちゅう言葉は、それこそ過去に見たような幻影だ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 06:34 | Comment(0) | 歴史 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。