2012年03月12日

非営利の自由と営利の自由

1-1)0
 非営利の自由は、国民の健全な暮らしに欠かせない非営利行動の継続を全面的に尊重し、人権の精神で認められる公平なる享受を約束する。

 営利の自由は、国民生活の創造と発展に欠かせない主体的請け負いに対して、社会と環境への道徳責任を課す代わりに、個人並びに団体による利益の追求を承諾する。

 国民は、非営利の自由と営利の自由の片方もしくは両方を選択する権利を有する。

 非営利の自由と営利の自由は、互いの利点と欠点を補完しあうべきであり、国民はどちらか一方の主張に偏らならぬよう、双方を尊重していく姿勢が求められる。
 また、それを推進していくための創造力と理解を共有するために、国民には生涯を通して教育を学ぶ機会と健康を養うための安定が与えられなければならない。


1-1)1
 従来の生存権の主張は、日本独自なだけでなく機能不全もしくは不公平で、どことなく生きていくための糧を無条件に要求しがちな色合いが強い。また、反対側に位置する資本社会からの主張が強ければ強いほど、社会主義的な国家依存色として見られがちになるばかりだ。
 そのため、どこまで行ってもグローバル社会の競争から目の敵にされる印象は拭い難い。

 そこで、そこに目指すべき主旨を、角度を変えた言葉にして表してみた。それが、「非営利の自由と営利の自由」の解釈である。

 上記のように比較してみると、非営利の自由という生き方の精神尊重が前面に打ちだされ、ただ単に最低限の生活で語られてきた権利から、もう少し主体的にこれこれこういう生き方をしたい、それは国民の健全な暮らしに欠かせないのだから‥うんぬんの主張が焦点として浮かび上がってくる。
 つまりそれは、営利の自由だけの社会性の限界を指摘した結果の答えにもなりえ、資本主義の主張ばかりの思考から一歩引いた客観の視点を得たと言えるだろう。

 それでいて、人権の精神で認められる公平なる享受を約束する‥の文言をどう解釈するかは、人それぞれのアイデアしだいになっている。

> 如何だろうか?
posted by 木田舎滝ゆる里 at 01:00 | Comment(0) | 金慮 | 更新情報をチェックする
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