2012年03月16日

004 遠征商人ゆえの強みと王ゆえの脆さ

 それにしても、国の鋳造する貨幣にどこまでの信頼があったであろうか?

 その疑問を一番に理解していたのは遠征商人たちであった。
 どこに持っていっても通用する代価としての貨幣の理解は、持ち運びとその出自の理解の助けにはなった。しかしそこに含まれる金銀の含有量ともなれば、目ざとい商人たちには別の話だった。

 それは、当時の発行(貨幣鋳造)に付きまとう悩ましい問題でもあった。

 貨幣の数の確保は、商売繁盛の目論みにおいて重要視されたであろう。ならば、いつの世でも貨幣の鋳造量を増やしてもらいたいのが商人の希望であった。
 言うまでもなく、それを実現させるには金鉱山・銀鉱山の開発しかなかった。もしくは、含有量を削って鋳造し直すかのどちらかだった。

 ところが、金や銀をお金にして用いているとしても、その本質の意味において、それの価値は含有量としての実価値での交渉であり、含有量を減らした国の貨幣は信用を失うだけだった。それが貴金属を裏付けにしたシステムゆえの方向性だった。
 厳密には、貨幣の鋳造年度別に含有量が異なれば、遠征商人をはじめとしたその手の商人たちの間では、それを厳重に管理した上での取引がされていたことになる。

 王が貨幣の鋳造を管理しているはずだったのに、いつのまにかそれを流通に使用する側にこそ、実質的な決定権があったことになる。そう考えて良い。
 民意と言えば民意だし、不甲斐ないと言えば不甲斐ない展開だ。

> そしてその不甲斐なさに拍車を掛けたのも、王をはじめとした貴族達だった。
> そこに起きた因果ゆえに、王は含有量を削り直してでも、鋳造量(発行)を増やさざるを得ない状況に追い込まれて行ったのだ。

 王の他国への侵略が、富の独占に魅了されていたからだとすれば、その富を普段から手に入れるための手短な在り方として、領民への増税があった。その税の捉え方は、すでに王としては落第点の有様である。
 そして次に、それに飽き足りなければ、戦費を商人から借り受けることになる。

 モノ欲しさ、贅への欲望から、商人から金を借りれば借りるほどに、返すための金や銀が求められた。正確にいえば貨幣の枚数だ。
 王にしてみれば、貴族に貸し与えている領地はすべて自分の所領であった。その一部が借金のカタに取られるような不名誉は是が非でも避けたい。王自らが借りていればなおさらだっただろう。
 そこで王をはじめとした貴族たちは、返済において、常に自国貨幣での返済という契約をしていた事になる。今風の言葉で言い表せば、自国金貨債・銀貨債ということだ。
 そうであれば、含有量を変更すべく、黙って鋳造し直してしまっていても、返すときに見破られなければ、それでチャラにできる‥そう考えたとしても何ら問題はない。それが王権というものだ。

 ただし、商人も黙ってはいまい。商人にしても自分たちの資本を守るための護衛団を抱えていた。大きな商いをしていればしているほどに、その規模も軍隊さながらであった。
 最新鋭の武器を装備できたのも、武器を直接商いする商人お抱えの私設部隊ならではだったことだろう。そういう所には、その手の道具を好む屈強な傭兵が集まるものだ。
 どんなに権力があったとしても、そのような武装団と白黒付けてみたいと思う王侯貴族はいない。それの負け戦ともなれば恥の上塗りにしかならないからだ。

 それでいて、借りたいだけ借りることに何の疑問を持たないのがフヌケタ貴族というものである。いわば、相場のようなものだ。
 その点からしても、王の握っていた鋳造権は、金1g銀1gの対価よりも弱かったことになる。否、身から出た錆ゆえの弱さだったことだろう。

 それでよく言われるのが、金の切れ目が縁の切れ目だ。そして内乱が起こる。

 その時、商人たちは何もわざわざ自分のところの部隊を使う必要はない。戦って勝ったとしても、自分たちまでもが疲弊してしまっていては、誰かに漁夫の利を狙われるだけである。
 ならば、誰かと組んで、そいつをそそのかすのが常套手段だ。それでまたたっぷりと組した者に貸し付けて、誰しもが泥沼にはまったというわけだ。
 それが人類の有史に刻まれて来た戦の足跡だ。その誰かというのも、言わずと知れた軍人という輩だ。英雄とも言われているが‥。

> 結果、税の大半が商人の懐に転がり込んでいたというわけだ。もちろん、商人は商人でも自治領商人なんかではない。その手の商品を扱う遠征商人もしくは大規模商人である。

 ただし断っておくが、商人にも背に腹は代えられなかった事情があった。その昔の金貨や銀貨の重さには大きな問題が絡んでいた。それの運搬に掛かるコストを下げようと思えば、いろいろと知恵が求められたのだ。
 当時は、商品だけを運搬すればいいというものではなかったのだから、どうしたって、重い貨幣箱をぶら下げたまま進むよりは、王に庇護のための見返りを払ったり貸し付けたりして、同じだけの輸送に商品を積んでも同じだったという勘定になるはずだ。
 行きも帰りもそうだったと考えて良い。
 それはそれだけ、生産地の生産に拍車を掛けたのだから、遠征商人と産地民との間に交流がまるで起こらなかったという話にはならない。

> ‥とはいえ、商人がずる賢く、相場を正しく産地側に伝えていなかったとすれば、喰い物にされていた意味合いは同じになる。
> 今更、誰もそれに異論を唱える口を持たないはずだ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 03:04 | Comment(0) | 壁際の懲りない拝金 | 更新情報をチェックする
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