1-5)1
時代は未だ、王侯貴族に貸し付けた債権を商品として売りさばけるような環境にはほど遠いのんびりした時代だった。そんな債券のような手段より、約束された儲けを帳消しにしてでも欲しかったのが、自らの肉親を王侯貴族と結びつけることだ。
貴族と血縁を深める方が遥かに得策の時代だった。そのための口実作りとしても、借金の帳消しは対価として成立したであろう。
そんな時代環境にある発見がされた。それがとある金細工師が思いついた金貨の運用方法である。
金細工師は、その商売柄、貴金属の保管に長けていた。その確かな管理能力に目を付けたのが、金貨を貯め込んでいた町商人だったり貴族や役人たちだった。
金細工師はそれぞれから金貨を預かると、預かり証明を書いて渡したり、預かり証明を持ってきた人にその分の金貨を手渡すのが仕事になった。
ちょっとした手数料で稼ぐ貸金庫屋だった。
そんな折り、その金細工師はあることに気が付いたのだった。
金細工師に金貨を預ける資産家たちは、金貨を持ち運ぶことを煩わしいと思っていたから、いつの間にか、お互いの支払いを預け入れ証明の権利を譲った証を記した決済書にサインをして済ますようになっていた。いわゆる為替と小切手だ。
その結果、取引の多くが支払い証明だけのやり取りになり、一定量の金貨が常に金細工師の金庫に収まっているのが日常模様になった。
それに気が付いた金細工師は、そこにある他人資本を担保にすることを思い付いた。
それは、自己資本の金貨を直接手渡して貸すのではなく、手元で山になっている他人資本を裏付けとして、自分名義の預け入れ証明を発行し、それの信用で貸付て金利を得たとしても問題はないと踏み、勇んで投資ビジネスに参加したのだった。
今で言う金融の走りであるが、その事実を貸金庫利用者たちには知らせずに、こっそりはじめたというわけだ。
そして、その金細工師は自らの投資センスを開花させる所となり、運も手伝ってか、貸付分からの金利を手にし始めると急激にリッチになった。
その様子に、預け入れていた資産家たちは自分たちの資金が使われているのではないかと疑いを持ち始め、こぞって彼の金庫を確かめに行ったのだった。
しかし、金貨を直接に貸し出すのではなく、担保偽造の預け入れ証明だけでやり取りしていた彼の金庫は手つかずの状態だった。
(※これの偽造は、担保の偽造が偽造なだけで、貸付けの要証にはキッチリ自分の名が明記される。自分名義であるからこそ、投資から生ずる金利を我が物にする事ができるのだ。 そして、投資損を出さない限り、取り付け騒ぎにならない限り、他人資本を運用し続けることができる範囲であれば、右から左に回すお金に困ることはまずない。世界でそれを始めた者が一人でしかないならばなおさらだった。)
どういうカラクリかまでは見破ることは出来なかったものの、それでも金細工師への疑いは晴れる所がなかった。
そして、見に来た人たちは目ざといビジネスのプロでもあった。彼らは、その金細工師が投資ビジネスに成功している話を耳にして来たのだから、兎に角、預け入れていた側は彼に対して、直感的に、預け入れている分から得られる割合の分け前を、要求して帰って行った。
1-5)2
> もう少しわかりやすく言えば、こういうことだ。
金細工師の金庫には、引き出しに来る人もいたが、その分をまた預け入れに来る人もいて、結局の所、金庫の中身の枚数はゼロサムゲームだった。
なぜそうかは、貨幣の鋳造がされなければ、地域全体の貨幣が増えることが無いという中世時代さながらの事情がそれを確かにしていたことにある。
つまり、金庫の中身の量がほぼ一定でありながら、その名義だけが変更を繰り返すという、金庫の中での金貨の為替状態にあったのが、彼の金庫の中身の日常模様だった。
だから、その中の名義をこっそり自分名義にすり替えて、本来の持ち主と担保が重複していたとしても、名義を記した権利を貸し出しているだけなのだから、誰にもバレようがなかった。
勿論、時には自分名義の預け入れ証明を持ってきて、丸々引き出しに来る客もいたであろう。だが、彼にはその金貨の分量が再び自分の店に預けられに戻ってくるとの確信があった。
同じだけの量のお金が戻ってくれば、それで辻褄が合うというのが、彼の思いついた投資のポイントだった。
それはそれで投資能力もさることながら、賞賛に値する肝っ玉の持ち主であった。
ちなみに、仮に彼が投資に失敗していたとしても、少額からであれば、一度や二度の失敗は何の問題にもならなかった。なにしろ金庫に収まる分量を心得ての冒険なのだから、時間が来れば忘れられたように帳消しになるだろう。その保険としても、普段からの手数料は欠かせなない実入りになったはずである。
そしてそんなことをしでかしているのは彼だけだった。
問題となるのは、そんなことを同時多発的にしでかしていた場合のケースである。なぜなら、彼みたいな行動を取る輩が同時多発的に存在していたなら、世界中で金貨の枚数が合わなくなるのが道理になる。
しかし当時の投資人口とその規模は、まだまだその域にはほど遠かったし、嵐に遭ったり、海賊とやり合ったりして沈没してしまう船もざらだった時代だ。金貨の枚数がどこで増えようと減ろうと、誰も気にすることのない時代でもあった。
だから、バレそうな頃合いともなれば、それだけの利益が、確かな自分名義のお金に変身して収まっている流れだった事になる。その金細工師もそう確信していたであろう。
それが完済を前提にしない、金利収入だけに目を付けた、金利業というスタイルをした金庫貸しならぬ新しい金貸しの姿だった。
元本が戻ってくるに越したことはないが、返済など当てにせず、金利さえ入り続ければそれで十分なのが、この金細工師の考え出した投資手法の画期的な点であった。
仮に、他人資本の方が傷ついていたとしても、その減り具合は自分から切り出さない限り誰にも分からないし、その分を補充しなければならない場合があるにせよ、店に引き下ろしに来た人の要求する金額次第なのだ。
つまり、その範囲が想定内であれば、一時的な自腹を切る必要もないし、とりあえず収まっている金庫の中身の勘定さえ揃えられれば、何食わぬ顔でやり過ごすことができた。
そして、その金庫の中身に、確かな自分名義の金貨が増えて足された状態である分(金利による利潤)においては、それにケチを付ける人などいないのだ。
それで、疑い有りだからと言っても、あるべき物があるならそれで良く、金庫の中身にいちいち手を付けて帰る予定の人もいなかった。そのお陰で、取り付け騒ぎの憂き目にも遭わなかったという下りまでの話が、伝説として今に伝わっている。
無論、その場で取り付け騒ぎともなれば、彼の投資ビジネスは真っ青になっただろう。
いずれ、自分の書いた自分名義の預け入れ証明を持った誰かが、外で取引された金貨分としてその預け入れを確かめにやって来ることになっているのだから‥渡すべき金貨がそこにないと知れれば一大事だ。
だから、彼も突き付けられた条件が、分け前の分配だったことで安堵しただろうし、むしろその騒ぎは、彼にとって、理解を得るための交換条件に気が付かされたとも言える出来事になった‥はずだった。
1-5)3
●古来一般の金貸し手法
・金貸しの金庫の中身→自腹A
↓
・自腹Aを→支払いに困っているaに直接手渡して貸す
↓
・負債者aは支払先bに自腹Aを渡して支払う→自腹Aは支払先bの資本Bになる
↓
・資本Bがその後どこに流れていくかを金貸しは知る由もない
↓
・結果として金貸しは→負債者aに催促を繰り返して自腹Aを取り戻すより他はない
1-5)4
●とある金細工師の投資手法
・金細工師の金庫の中身→他人資本Z
↓
・他人資本Zの一部、仮に担保Yを→支払いに困っているaに預け入れ証明Iにて貸す
↓
・負債者aは支払先bに預け入れ証明Iを渡して支払う→支払先bはそれが本物かどうかを金細工師の金庫まで確認に行く
↓
・支払先bは、受取人bとして預け入れ証明Iの担保Yを受け取る→担保Yは受取人bの資本Bになる
↓
・金細工師は当然のように資本Bをそのまま預け入れることを勧める→引き出す必要がないなら資本Bは金細工師の金庫に収まる
↓
・結果として金細工師は担保が戻ってきたので、負債者aに金利を催促していれば金利分を自分の物とでき、その上さらに元本が回収できれば、資本Bが回収されたことになるのだから再び証明Iと同額か、それよりも少し足された金額での投資が可能になる。
> ※ただし、他人資本Zには毎日の引き出しと預け入れとからの変動差が生ずるため、貸し出すにしても注意が伴う。
仮に変動率を33%とすれば、残りは67%であり、その中から貸し出せる枠は、資本Bの流れを考えてもご察しの通り、貸した分だけ変動する総額も足されて増えることになるのだから、まずは資本Bの増分に対しても、基本ベース変動率33%を考慮に入れておく必要が伴う。
だから、変動率33%であるなら、金細工師が自分名義で担保偽造できる金額の最大値が割り出せる。残りの67%を貸してしまえば、167%のうちの33%が手持ちの最大変動額に膨れあがる。それは全体の55.11%になり、手元に残しておくべき33%分に対して、22.11%の不足が発生する計算だ。
だから、(1+Y)×0.33=0.33+(0.67−Y)を解いてY≒50.3759…だ。
全預かりの変動率が33%ならば、{全預かりから自分で担保偽造した総額を引いた残り}≦{もともとの全預かりの半分}までが、担保偽造できる目安の上限になる。
ただし投資には焦げ付きが付きまとうので、投資案件の焦げ付き発生率の平均を想定しておく必要がある。金融業で問われる自己資本比率うんぬんのルール設定は、概ねそれなのだと考えても的外れではない。
兎に角、自腹を切りたくなければ、50%をまるまるつぎ込むのは軽率な考えだ。
‥勘のいい人はもうお気づきだろう。変動率が高くなることをインフレと呼び、首が回らなくなるのは言うまでもない。その反対に、変動率が低くなることをデフレと呼び、金庫の中の金貨の比率が自己資本で占められたことを意味する。
早い話が、他人のお金で投資する手法が成り立たなくなったわけだ。
デフレは金融の自腹投資状態を意味し、もはや古来一般の金貸し手法と同じリスクで投資するしかない状態なのだ。
自腹を切るリスクを抱えたくなければ、変動率33%を維持するように心懸けて、発行と投資を調節していくことが望ましい。
ここを中世の経済モデルで考えれば、貸金庫の中身である他人資本、つまり金貨の枚数は実質増えてなどいないのだから、貸金庫の中のお金の半分ぐらいの総額を担保重複したら、それ以上は欲張らない方が賢明となる。それだけでも金利で十分にリッチになれる勘定だ。
それでいて、入ってくる金利分のお金を金細工師自身が右から左に消費するならば、地域振興この上ない。地域経済がデフレに陥らなければ、より長くおいしい思いができる計算になる。
今でこそ銀行業は、この金細工師と同様の手法を合法的に行っているにすぎないわけだが、当時としては画期的な発見であった。
古来一般の金貸し手法は元本の返済の方が最低でも大前提であるのに対して、とある金細工師の投資手法は、金庫の中身の価値が同じかもしくは想定量が確保された状態であれば、とりあえず間に合うという点がまったく質を違えている。
その結果、後者は元本の返済よりも、金利獲得の方により重点を置いた金貸し商売ができることになった。
1-5)5
日本の藩札の失敗は、藩の財貨の残りが底を付くようになってから藩札を刷るのが落ちだったのだから、どうしたってうまく行くわけがない定めだった。それは日本人らしい性格という意味での定めだった。
それで無理にでも貨幣との交換を実施せしめれば、領地外の商人に頼み込んで借金を繰り返すのがパターンになる。抵当に入るのはやっぱり来年の年貢なのだから、どこまで行ってもカツカツだったってわけだ。
2012年03月16日
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