2012年05月30日

複数基軸通貨の論 改訂1.0

1-4)0
 基軸通貨国経済の問題点は、長期的な視野で見た場合の内部空洞化である。

 とくに、強い基軸通貨を目指すというのならそれは宿命となり、弱い通貨で構わないのならば、米ドルと同様な衰退を招くだけとなる。

 つまり、基軸通貨は複数である方が望ましいことになる。


1-4)1
 ただし、すべてが変動為替に基づいてしまっては、複数基軸通貨の意味は為さない。
 そこで、基軸通貨に格付けされた通貨同士の為替は、毎年毎の調整レート制とし、それ以外の各国通貨との折り合いは毎日の変動レートで扱えばどうだろうか。

 すると、例えは悪いが、過去において忌まわしき三角貿易に見られたような貿易構造がそれぞれの企業取引の都合で生ずることになる。
 イギリスがアフリカに武器を売り、アフリカ人同士で戦争が起き、そこに生じた捕虜を武器を売て得た金(アフリカgold)で奴隷として買い付け、アフリカに金(アフリカgold)を落とし、奴隷を積んで新大陸に運び、そこで奴隷を売買して砂糖生産の安い労働力とし、奴隷を売って得た金(新大陸gold)で砂糖を買い付け、新大陸に金(新大陸gold)を落とし、砂糖を積んでイギリスや世界に運んで利益を得て、また武器を造ってアフリカに売りに行くという‥一見非人道的なプロセスではあるが、これは地域通貨を地元に戻して再利用しているという点においては実に秀逸である。

 ただし、上の例の問題点は、武器生産の労働コストを自国に留めておくことができないという矛盾がある。
 当時であれば、武器生産は軍や生産国の機密事項に関わるため、海外にその生産の拠点を設けるなどと言う理屈を誰しもが否定しただろうが、今や自由経済の枠組みの中では、どんな商品やサービスであっても、為替変動にその命運を握られてしまうのだ。

 そこで、基軸通貨が複数に制定されたとすれば、それぞれの基軸通貨の持ち味としての強みの持てる取引枠であれば、為替変動のリスクの緩衝として用いる事ができる。
 これは、世界経済を安易に地域ブロック化するのではなく、分野ブロック別に取り扱う事を意図する。もちろん、大雑把な意味での話だ。
 すると、企業の進出のしかたも、何でもかんでもどこどこに勢いがあるから、我が社もそこここに進出するような博打染みた要素から、分野と通貨の関係が明白にさらされ、そこを手がかりに事を推し量ることが容易になると思われる。

 そして、それぞれの国の実情に問題点が生ずるようなら、民主的な意味でのやり玉に挙がることになるだろう。
 またそこに、分野事の内情が生ずるなら、グローバル化とはいえ、多様性の幅を担保しつつ、地域の得意分野の特徴を主として改善がされるべきとの理解にも繋がる。



1-4)2
 基軸通貨一国制度の最大の思惑は、その最終的な担保を軍事力に傾かせる中身である。

 それはそうだろう。刷ればいくらでも支払いが成り立つのであれば、最終的に何に投資しておくと有利かといえば、武力に他ならない。
 それの脅威を阻止しておきたければ、基軸通貨という言葉の響きに甘んじずに、複数基軸通貨の成り立つような経済構造に変えていく必要がある。

 何はともあれ、一国だけで基軸通貨を担えば、衰退は免れないのだ。

 だから、基軸通貨格付けのある国同士が、お互いの得意分野に秀でるような競争が適切という判断になるだろう。基軸通貨が一つでしかないから、支払い通貨が一つでしかないからこそ、全体で、全部が優れていないと気が休まらない症候群に陥るのである。


> まぁ複数で支払いができるとなれば、それはそれで新たな関わりも生ずる事になる。

 例えば、その時の相場にもよるが‥、社員がどこそこに旅行したいから「今度のボーナスの半分を、自国通貨ではなく、うちの取引先の支払いに使われているA基軸通貨でお願いします」‥なんてことになるかもしれない。
 それが通るとなれば、外国人を雇っていれば、なおさらだ。「里帰りしたいので‥」「仕送りたいので‥」といった理屈も出て来る。
 すると、社員の採用の仕方だって、分野事で違ってくるという事にもなりそうだ。

 基軸通貨が一つでしかなければ、誰もそんな風には思わないだろうが、基軸通貨の扱いが4つもあるなら、そういう言い分も聞いた方が経営として都合が良いという話になるだろう。



1-4)3
 ところで、なぜ基軸通貨を4つなどと発言するかだが、心理としてそれぐらいの数でないとうまく行かないという理屈があるからだ。

 例えば基軸通貨が2つの場合、調整レートに思惑なりインサイダーが働いてみんなで気になれば、誰だってどちらかに通貨を置き換えておくだけで、得ができると思うだろうからうまく行かないのは明らかだ。
 たぶんそれは3つでも同じだろう。でも4つともなれば、どれほどの調整がされようが、それの思惑に駆られて事前に自分が得をするように調整するのは難しいとされそうだ。

> とまぁそういう考えからである。

 それで、それの数だけの論理になると、アフリカだってアラブだってロシアだって黙っちゃいないだろう。それが資源地帯を地場に抱えた国家の理屈だ。
 だからその辺の意見調整の調整として、こんな理屈が挙がることになる。

> それが生活観に基づいた基軸通貨の選定である。

 経済経済と言ってみても、「お金なんて必要ないね」なんて考えの国はいくらでもある。
 また、それとも違って、お金の有効性を認めつつも、もう少しのんびりした社会の方を望むとする考えの国もあるだろう。
 そういう思考の違いに基づいて、リーグ制度に分けて、それぞれのリーグから代表を選定し、その国家通貨を基軸通貨として選ぶという考え方だ。
 もちろん人口の比率も織り込まれなければ公平にはならない。その点においては、無理にそれぞれの通貨の立ち位置を競い合うという意味にはならない。もっとも人口の比率に変化が生ずれば、全体での見直しにも迫られるだろう。

 ここでは、ただ安直に経済大国の中から選定してしまうような列強意識を優先させても、格差を格差としてだけでしか認識されないだけであれば、つまりそういうアイデアが生ずることになるだろう。
 すると、経済力の乏しい国は、相近しいリーグに属してそれの基軸通貨にぶら下がった為替レートを算出すれば十分とされ、無理がない事になる。
 つまり、すべての基軸通貨や通貨に対してレートを設ける必要性が必ずしも生じないということだ。するしないはそれぞれの国の都合にもよるだろうが、そうすることで、各国内で出回る通貨の比率もそれに準ずることになると思われる。
 いくら基軸通貨が4つに準備されたからとしても、自国通貨と合わせて5つも取り扱わないと店先で買い物が成り立たないなんて状況を誰も望むまい。

 そのように考えれば、基軸通貨同士の調整レートの比率にしても、列強意識でやるよりは、生活観の意識の差でどのぐらいの幅に準じさせるかで決めた方が無理がない。そうした枠組みの方が、誰にもわかりやすい形になるはずだ。
 これの解釈はフェアトレードと同じである。



1-4)4
 もう一つ釘を刺しておけば、基軸通貨を4国にしてそれぞれを列強意識で担わせた場合、一番困るのが、そのケースでの基軸通貨国の一角の首都が仮に震災で壊滅的な目に遭っても、残りの3国が安泰であるなら何事もなかったような涼しい顔をしていられる側面がそれなりに残ると言う懸念である。

> それが地震兵器や気象兵器の類に対しての警戒意識でもある。

 なんにしても、そんな一角が崩れ去ってくれれば、そうでない基軸通貨国は儲かるという欲の面を見せることにだってなりかねないのだ。
 その手のリスクを回避しておきたければ、リーグ制度にして、それぞれの枠組みの幅をどれほどにするべきかという内訳での調整レートにして置いた方が、無難と言う意味合いにもなる。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 10:44 | Comment(0) | 金慮 | 更新情報をチェックする
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