2012年06月26日

【刮目】ふるさとへの想いこそ活力なり

1-4)改稿.2015/09/05...20120626...

 問A:
 あなたは、今、戦国の世の百姓の身分とします。
 地元を治める大名は、世間に評判の届かない殿様です。
 そんなあなたの国に敵が攻め込んできました。
 攻め込んできた敵の殿様の国は、とても良くまとまっているとの噂です。

 あなたは、同郷の義を重んじてお国を護ることに徹しますか?
 それとも高みの見物で中立を選びますか?


 問B:
 あなたは、今、戦国の世の百姓の身分とします。
 地元を治める大名は、世間に評判の通った殿様です。
 そんなあなたの国に敵が攻め込んできました。
 攻め込んできた敵の殿様の国は、勢いがあり、勢力拡大にイケイケだとのもっぱらの噂です。

 あなたは、殿様への謝意を以て、この時とばかりに命を懸けて共にお国を護ることに徹しますか?
 それとも高みの見物で中立を選びますか?


 ※ 参考:
 兵農分離が進んだ戦国後期の戦では、
 戦場が百姓の土地を含んでいようといまいと、平然と踏み荒らすように変わっています。
 土地を荒らされた百姓は、必要に駆られて落ち武者狩りに参加せざるを得なくなりました。
 中立を決め込んでも不憫、戦闘に参加しても主役はもはや火縄銃にありました。
 ‥なのでここでの戦国とは、戦国初期の様を指すとします。



1-4)1

 頭がすげ変わろうと変わるまいと、戦ともなれば百姓の待遇はもとより、
 百姓にのしかかる年貢の負担にさしたる変化は訪れません。
 祈るとすれば豊作祈願でしょう。土地に恵まれていたなら尚のことです。


> まぁ‥どちらの殿様だろうと、自分たちの暮らしにどれだけ注意を払ってくれているかです。


 それでも、中立の立場を取るよりは、
 どちらかにお味方するのが当時の百姓の在り方だったように思います。
 禁制(略奪行為、乱暴狼藉を禁止する御免状)を得るのに銭を支払うにしても、
 ‥其もまたお味方の形の一つです。(勢力が拮抗していたなら、両方に納めることも必要だった)

 それは、お国を護らんとする武士の生き方の写しにも見えます。

 村を護らんとする選択にせよ、
 一人でも自分たちだけでも成り立つ次第にない由を、皆肌で理解していたのです。
 それゆえ、殿様が自らの繁栄ばかりを考えるだけにあろうなら、人心の離れるのが常でした。
 領民の安否を気遣えればこそ、家臣も民も離れるところが少なく何かとお家が末永く続いています。
 ‥その謝意は、明らかに後世にも伝え継がれる土壌にあったのです。


> 現代社会はどうでしょう


 良いとか悪いとかそんなのとは関係無しにとにかく都会です。都会症候群と化しています。
 良いとか悪いとかそんなのとは関係無しに大手企業です。皆して、長いものに巻かれろです。
 その多くはどれも郷里なんか二の次です。自由を勝ち取る‥そんなんばかりです。


 「現代社会に見られようになったそのお得な方になびく感覚とは一体何なのでしょうか?」


 資本自由の社会観を見ていると‥何事も判断できなければ、中立を選ぶのが常としてあります。
 それにもまして、無回答または分からないが多いのです。
 それでは‥文字の読めない人の多かった戦国の世と、さほど変わらぬ様にあると言えるでしょう。


 「民主主義を語る一方で、無神論に無回答では、誰任せというのでしょうか?」


 如何に生き残るのかにしても、根っこの所で誰か任せというのでは、護る気概などどこ吹く風です。
 それでグローバル化とばかりに、尚、外向きを求めざるより他ないのでは、
 故郷など枯れ果てろと言わんばかりでしょう。そんな経済戦略に何の意味があるというのですか?

 時代の変化がどうあれ、人心を得るには故郷からです。

 かつて昭和の時代に、「亭主元気で留守が好い」などと表現されて以来、
 家がお留守の亭主に飽き飽きしていたのが女性たちでした。そんな女性陣にしても今度は、
 家は疎か国を留守にしてでも、世界の舞台にとの夢を見てしまっています。
 ‥それがおかしいと言う意識がないのです。流される一方にあるだけです。


 (20年後がどうなるかが、或る意味興味深いところですが、考えたくありません)



1-4)2

 ‥問Aを現代に置き換えると
 自分が待遇の悪い会社に居て、外が良さそうに見えてしまう気持ちをどう見つめているのか?
 といった問い掛けです。

 戦国の世であれば、禄を頂けるだけマシだったかもしれません。

 それでも、良き殿様にお仕えできればもっと増えると考えてしまいがちなのも有り体です。
 でも、良き殿様ほど、良き人材にしか興味がないのが実際です。
 自分がどれ程に見込まれるかどうかは、どれ程に命を懸けているどうかです。
 ‥それはそのままに、どれ程に故郷を護ろうとしたかどうかの中身と同じにあたるのです。

 それへの意識の備えと覚悟が求められるのです。

 ならば、高みの見物だなんて有り得ません。
 良き殿様は、かような者を使いたいとは思わないのが普通です。
 ‥また、高みの見物しかできない殿様の周りには、活躍の場は無いのです。


 敵方だった武将が相手方に下って生き残るには、
 決死のリスクを目前に相対した時でも、臆することなく突き進まなければなりません。
 そのように無かったなら、いつまで経っても、お味方勢力からの信など得られようもありません。
 ‥どれ程の気概で挑まんとして命を懸けたかです。


> でも不思議なことに、


 平和な時代だけに、会社選びになろうなら
 問Bで、ついつい勢いのある方を選んでしまうのが心理です。不思議なことです。

 戦国の世だったなら、問答無用で郷里優先です。

 今や土地との繋がりが疎くても構わぬのを好いことに、駆け引きを試みるのが若者でもあります。
 (‥たかが学生時代の成績が優秀だったというそれだけでしかあれていないのに)

 確かに、学業の成績の優秀さは、日々の取り組みの形を示す物差しの一つです。
 でもそこに現場力が備わっているとは限りません。
 人が血まみれになる様を目の前にせずとも済む時代になった分、
 どうしたって机上での思考力のみに偏れば、縮こまった自惚れ顔になってしまうのでしょう。
 ‥社会を担う為、生き抜く上での胆力の不足は否めません。

 どのような職に就こうとも、基本にあるのは様々な人々との付き合いです。

 ‥それの胆力が弱いというのでは、裏を返せば、
 他者を思いやる次第の筋道を理解できていないという中身になるのです。

 頭では分かっていても、いざ現場で自然体で動けるかどうかは別の話です。
 人生のベテランだって、そこの奥の深さに悩ましくあるのですから。



1-4)3

> 家督を継ぐとした時代には、継ぐ事自体が骨肉の争いでした。そこは情け無用の世界です。


 それに比べれば、入社の駆け引きなどというは、なんとさらりとした世界観にありましょうや。
 蹴られれば残念。落ちれば辛いでしょうが、骨肉の争いと比べれば大したダメージではありません。
 ‥とりあえず、大丈夫です。生きています。いくらか恥を掻いた程度でしょう。

 でも、そんな時代から温和になったなんて全く以て考えることができていません。

 「なぜそのように映るのでしょうか?」
 言うまでもなくそれは、競争だけが主体になっているからです。


 武士道とて、武士の本懐に思われたのは、共に生きる生き残るための忠義と知恵の有り様です。
 百姓もまた同じくして、領民を護らんとする意識高き大名を応援したのです。
 戦を高みの見物で眺めるなんて事もなかったように思います。
 ‥そこに見られるのはまさしく共存です。共生です。手を取り合う形です。

 戦にしたって徹底抗戦ばかりではありません。和睦に応じるのも生き方の一つでした。
 民はそれで救われるのです。

 一番に辛いのが負けた側の家臣の家族になりますが、不思議なことに
 資本競争はまさにそこの一択化の推進の有り様になっています。
 ‥何が好くて、皆で戦国武将(家臣)を地で行かんとしているのでしょうか?
 ‥皆で「一億総武将気取り」というのなら、そりゃ米沢藩の赤字財政の如しでしょう。



1-4)4

 ‥骨肉の争いの続くお家が滅び逝くして滅ぶように、其はグローバル競争とて同じです。

 命の源たる大地、その足元に位置した故郷をないがしろにして、
 外にイケイケに攻め入ることしか頭に無い思考は所詮長く保つわけがありません。

 にもかかわらず、お互いに夢を見たままに信じ込むは、不思議としか言いようがありません。

 「そこにある夢とはなんでしょうか?」
 自己実現?|レベルの高い暮らしぶり?|勝者になること?
 貯蓄?|資産総額の記録塗り替え?|自慢できるほどのリッチになること?


> ‥あなたの夢にケチを付ける気はさらさらにありませんが


 物理的に可能性乏しきを理解して尚挑もうなら、
 選択支が間違っているとしか申し上げようがないのです。

 何事も壊れていたら、まず直す所から始めるのです。正ささずに使い続ける事は困難でしょう。
 なぜ困難かといえば、使いづらいし、痛い思いをすることにもなるからです。

 そちらの可能性が0でないという事の方に注視すべきにあるのです。

 不可能に無きその可能性が0に無いからと言うところにばかり食いついていたのでは、
 ‥本末転倒というものです。「そう思わないのでしょうか?」


> 改善させずして成長などと言うは、馬鹿の発言です。
> 改善しながらの成長にしたって、似たような見方になっています。


 ‥そもそも
 できる限り考え抜いてから、始めて動けるのです。
 動く前からの検討案にも評価を与えろとか、寝言ほざいてんじゃねぇよと思うところです。
 それはまた、動きもしない内から、自らの能力を売り手とか過信するも同じことです。

 的確に改善点を見抜けないようなら、青二才のままの如きです。
 改善点ばかりをおねだりする経営というのも恥の掻きっぱなしと言う次第をどう思うのでしょうか?
 ‥そんなのは、成果0も同じです。
 ‥青二才のままにしかあれていないのに、役職の差がなんだというのでしょうか。糞と同じです。

 頼まれもしないのに、勝手に押し掛けていくのは、恥知らずのすることです。
 まずはそこを肝にして、骨を折らずに信など得られようもありません。

 「まったく以て、グローバルとは何しに行くのでしょうか?」

 自慢?|恥の撒き散らし?|不幸の斡旋?

 感謝されに行くのだと意気込んだところで、上から目線の指示しかできていないのでは
 誰に感謝されたいというのでしょうか?
 顧客満足?|投資家満足?‥そんなのは自己満足しかもたらしません。
 ‥自分に満足したいだけなら止めておくべきでしょう。

 「その土地の仲間に入れさせてもらいに行くのです」という気概に無いのなら、まず無理です。
 その上で以て、改善がようやくにして伝わるのですから。
 改善を先にすべきにあるのではありません。
 仲間になるのだとした心得をまず先に示して、行うべきにあるのです。
 そもそもにして人が集まる所に求められしは‥人が求めしとは、そこに帰結するのです。


 ‥そこを欠いた志に、何の魅力があるというのでしょう。
 あなたが魅力的に見えるかどうかではありません。周りがあなたに魅力を感じるかどうかです。
 それに対して、周りに映る負をまず改善しましょうなどと言うのでは、
 どうして魅力など感じられましょうか、恥を指摘されるだけ指摘されて仲間意識などどこ吹く風です。

 喧嘩がしたいだけなら、まぁその手の勘違いも有りでしょう。ゆえに「戦争だ」と言い合っています。
 それが残念な経済の有り様だとの次第を、そろそろ自覚されるべきことです。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 06:00 | Comment(0) | 刮目 | 更新情報をチェックする
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