2012年08月14日

そもそも銀行券とは何であったのか?

1-3)0
 これは「リアルはだかの王様」の解説にあたる。

> 原理さえ分かると、発行権の言い分など屁みたいなものだ。



1-3)1
 担保を入れれば金を貸すのが金貸しの前提である。

 それがいつの間にか、貨幣の運搬がめんどくさいとばかりに、小切手による決済方法が好んで用いられた。当然、その中には貨幣で支払うのではなく、様々な有価商品での支払いを目的とした為替も含まれた。言わば、小切手を切れる信用=担保だ。
 すると、金貸しとしては、商品相場の把握と商品その物の管理が欠かせなくなる。担保として抵当に入ってくる有価商品の権利や実際に生ずる管理コストも馬鹿にならないが、情報網の形成は最優先に求められる投資だった。その時、資金力の差というのは当然として出る。資金力のないところは、資金力のあるところと組むのが自然な流れになった。

 金貸し同士の信用がそこでネットワークを形成することになるわけだが、そういう段階になるとどういうわけだか、為替の解釈が変貌を遂げはじめることになった。
 つまり、貨幣を搬送させるか、有価商品を搬送するかの二択が生ずることになるのだ。
 実際、貨幣にしてみても、有価商品にしてみても、取引分をそのまんま搬送するのではコストがかかりすぎる、そこで現地と連絡をとり、必要な運用分を差し引きしてその分だけを搬送するというのがコスト削減の上での最善策になる。それが昔の運搬事情だった。早い話が、現地調達にて手配が付けば、それで良い時代でもあった。

 今であれば、どこどこ産のなになにを‥という取引の方が一般的だから、一括りに、石油なら石油でどこの産地でもかまわないという中身にはならないが、昔は物さえ届けばそれだけでも大した信用になったのだ。



1-3)2
 王侯に威勢があり、世の中の戦が減れば、それだけ人口増加に拍車がかかる。人口が増えれば、それだけ商売が繁盛することにも繋がる話だが、それに伴う貨幣の鋳造量の辻褄は必ずしも望ましい分量になかった。
 当然にして、物々交換が為替の主体にあったことはまず違いはないと思う。
 そんな仕組みが手広く複雑多岐に渡ると、どうしても問題が生じた。

 そもそもにして、天候不順による不作は、有価商品の不足を招いた。だからネットワークを用いた合理的な考えでの運用をしていると、どこもかしこも手が回らなくなる。その時、代用できる物がないとなれば、相場の値上げで対応するしかない。
 これは、仮に地域毎に自給自足できていたとしても、有価商品の為替運用が、複雑多岐に渡るネットワークに繋がることで、そのままに影響を受けてしまう仕組みでもある。

 なにしろ相場を取り仕切っているのは、為替×信用×調整運用による事情なのだから、その信用が崩れると言う事だけは、なんとしても食い止めたい、それが商魂というものだ。

> このとき、もし仮にその信用が崩れそうなぐらい不作か何かに陥ったとしたら、商人は生き残るために何をするだろう?

 さて、ここが問題だ。ナイスな解決法として二つの要素が考えられる。
 一つは、ネットワークを手中にしている金貸しの側にある債権を渡して勘弁してもらう方法。
 もう一つは、客の側からすれば、その債権をもらってみたところで、そういう状況下で欲しいのは即金なのだから、その手形で海外貿易ができるぐらいでないと信用にならない。だから、外国為替のような機能性を有していることだ。

 つまり、それら二つの機能性を求めて生み出されたのが、国債と銀行券という仕組みになる。
(※ なんにしてもこれのシステムが完成すると、どういうわけか、ネットワークを管理している側自身の負債ですら、国債の中に紛れさせて流してしまえるという特権が生ずることになる。はじめから、そのつもりだったとも言える。)
 なぜ、銀行自らが銀行券を編み出したかと言えば、貨幣の鋳造権を握っているのは王侯貴族であり、王侯貴族にそれを突っつけば、貨幣の価値が下がる‥それだけはご免こうむりたいのが商人の立場だったからだ。
 それでも、国債を発行することだけは金貸しにはできない。むしろそれは王侯自らがネットワークを有する金貸しからカネを借りない限り生じないばかりか、正式な税金管理の契約を結ばない限り成り立たないというのが真相だ。
 それを陰謀論では、一括りに発行権と言い回しているが、実際には、銀行が自分たちの信用を元手に銀行券を発行するのは、クーポンやポイント還元と同じようなサービス解釈にすぎない。言わば、地域通貨と同じで、自力運用できる範囲でならなんら問題はない代物だ。なにも権限うんぬんなんて言われる筋合いはまったくない。

> だから実際には、発行権と言われていたものは、税金の管理権という名の代物だったことが、ここに来てようやく姿を見せたことになる。
> 副島隆彦の著書にチラッと言葉があったので、自分なりに解釈してみた。

 民主主義政権の台頭→税金の運用権の民主的管理→外国為替に参加しての貿易商売が大前提の資本主義参加表明(合理的なすり替え)→信用為替制度を牛耳っていたのが、国際金融資本だった‥

 つまりは、そういうことなのだから、相互に国権を持ち寄って、民主的な規範で新たな為替信用制度を興して、そちらをベースにした取引をはじめてしまえば、旧国際金融資本の言い分など関係ないのである。
 当然、銀行券を用いるのは御法度だ。国権管理に移すのだから、国券と呼ぶべきだし、基軸通貨などではなく国際共通券と呼ばれるべきだろう。

 そして、国債などという裏付けが無くても、通貨を供給できるシステムを打ち立てれば良い。つまりはそういうことだったのである。



1-3)3
 しかしそうは問屋が卸すまいと、今や突き付けているドスが、あれとかあれの兵器と言うことになる。マフィア組織そのまんま‥。

 それで対抗するために必要になるのが、軍事力と考えている勢力もあるようで、それに対して信用できるのかどうかと言うのが、憲法九条の解釈に集約されることになる‥はっきり言って、それはすり替えである。
まずは、改善経済のモデルを検討してからでないと何も始まるまい。
 兵器開発など宇宙産業の中での討論でいくらでも起こるのだから‥、丸腰で宇宙には出られないと言うことになれば、嫌でも対応せざるを得ない話だ。

 そしてその時、宇宙に出るための解釈として憲法九条が成り立たないと考えれば、改善せざるを得ないというのが流れだろう。
 それとも、「宇宙に出ている間に限り、宇宙船内法が適応され、敵対生命との接触に限り、現場判断が優先される‥」なんてルールもありうるわけだ。それこそ独占市場だな。
 言葉にすれば、宇宙警備権の独占‥かな。
「宇宙に上がりたいのなら、我々のエスコートを受けねばならない。」

 まぁとりあえず、宇宙人が現れても現れなくても、緊急時の人命救助は欠かせないわけだから、独占市場になるのは当然だろうね。地上の警備やレスキューとは、レベルが桁違いなんだからそう思われてもおかしくない。

> まぁじっくり検討して下さい。生き残ろうと思えばイノベーションは当然であります。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:56 | Comment(0) | 金慮 | 更新情報をチェックする
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