国債の金利には二つの腹がある。
一つは中央銀行の取り分、もう一つは市中銀行をはじめとした市場の取り分だ。
中央銀行の取り分とは、借用書に対して発生する一般に解釈される金利である。言うまでもなく、こちらは複利で見かけ上の国債の元金総額が膨らんでいく性質を有する。
一方、市中銀行の取り分はそれとは随分と異なる。そして市場で騒がれているのはこちらの方だ。
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国債の発行量が、ありとあらゆる債務の中でもダントツの規模であるがゆえに、借用分の債券そのままの額面通りに上乗せした金利など払える余地などない。
また、中央銀行システムでは、中央銀行の取り分である金利分を債権売買するように、安易に分けてしまうようでは、発行権権限の何たるかが不明確になってしまうため、格の違いをハッキリ示す意味でも奇妙な仕組みを取っている。
> それが、国債を細切れにしたモノをいくらなら買うか?というだけでなく、期日償還予定額からの差額の分を金利として市中銀行の取り分とする仕組みだ。
例えば、国に対して、十兆円に期日を設けて償還する約束をして貸しているとすれば、市中銀行をはじめとした市場が、九兆九千億円でなら買うといえば、一千億分の儲けを分配する形になる。
そのとき国は、償還額をキッチリまもらなければならない。そういうルール下におかれる。
そうすることで、もともと支払うべきだった金利はまるまる中央銀行の取り分となり、通貨基準を国際的に配布し、承諾し、承認している側の儲けとなる。
しかし、これの分は形式的に、税金に織り込まれているので、わざわざ準備する必要がない。それこそ言い値で十分であり、政策等の中身が了承されればOKの話になる。言ってしまえば、%など関係ないし、どれだけ債務総額が膨らもうがあまり関係がない。
早い話がどんぶり勘定なのだ。それぐらいの分は国際金融資本にだってある。そう考えていい。
だから、国が耳を揃えて用意しなければならないのは、償還分の方になる。
言うまでもないことだが、それをどうやって賄っているかといえば、国債発行の自転車操業以外に思い当たる要素はうかがえない‥それが現実だろう。
もう一つには、これはいやらしい話になるが、今や金融の世界にはいろんな意味での保険機関が用意されている。中央銀行の中央銀行が請け負わずに、その手の保険機関が担うのだ。
なぜそうなっているのかと言えば、「誰がその時、発行権限を奮うのか‥」の言い分を言い合っているような内輪もめが真相にあるとみていい。だからそのために、わざわざもっともらしく保険機関をお互いで準備し合うのである。
そして、その権利利得に参加するための条件として、納めるべきモノを納めろというのは資本主義のお約束になる。
また、その時納めた金額がいくらにあろうとも、それは単に入会手数料みたいな形だから、貸付の前提資本の中身とは関係がない。それが発行権という奴だ。ただ、支払ったとしても期限契約という意味で、償還されたの言葉が使われていると見ていい。
> なにも難しく考える必要などない。こんなのはヤグザの論理にすぎないし、ヤグザの力関係の入れ替え沙汰が生じているの観にすぎない。
それとは異なり、市中銀行をはじめとした市場の取り分は、償還分に対して安く買ったという理解から生ずる差益からになる。
だから、庶民に用意される商品としての一口10万円なりの国債購入の類に付いてくる金利は、すでに市中銀行の側が準備した買い付け値が元になっていると考えられる。
市中銀行がさらにそこから利益を得るためには、当然として、国債市場が変動相場でなければならない。つまり、値下がりの下値を拾うという中身だ。
個人国債を買ってもらえれば、その分だけ買い付け能力が増えるわけだから、買い増しした分だけ、安く買い付けた分だけ取り分金利が多くなるので、自分たちの利益に繋がると言うわけだ。
そう考えれば、個人国債の複利もサービスの一環であり、国債の債務総額に影響を及ぼしている複利とはなんら関係がないということで理解できる。
※ もし、この意見に意を唱えるなら、こう考えてみればいい。
市場からの調達額が、国債の期日償還額を下回っているということは、国は一体全体誰からカネを借りたというのだろうか?、それよりもずっと少ない規模の金額しか借りることができていないという理解なら、なおのこと、償還額分を丸々支払う義務などどこにも生じないし、借りてもいないのに金利が上昇するなどとの話はおかしな中身だろう。そんな理解理屈が通るのは、ヤグザの筋だけだ。
それに気がつけないのであれば、金融経済など棄ててしまえ!、どういうのを支払い義務というのかね?
国家が資金調達できないから金融危機‥否、そこの底辺にあるのは、実際的には、庶民の側の真偽管理能力の欠如ではなかろうか‥オレオレ詐欺もそうだし‥カネ絡みになると、途端にヘビに睨まれたカエルだ。
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次に、国債にまつわる空売り攻勢についてである。
そもそもに国債の空売りをするにも、何の空売りをするにも、ルールの前提に現金を担保に入れておく必要がある。
だから、仮に日本国債に空売り攻勢を仕掛けようとも、日銀が、担保の仕組みの裏腹を利用して、そこから買い続けている限り、崩壊など起こりようがないのである。
ただ見せかけてとして、日銀も市中銀行を儲けさせないといけないわけだから、値崩れを起こさせるような現象を多少は演じるかもわからない部分はあると思う。
しかし、それにしてみても、そのような裏事情を知らずとばかりに不安に駆り立てられて、皆であたりかまわずに現物を売りに走れば、日銀とて圧倒的な自己資本でもない限り、買い支えられるわけがない。
‥どんなに腐った仕組みでも、ここは重要なポイントだ。そして、この中身の流れを鑑みればすぐにお解りいただけると思うが、国債市場における国債金利上昇とは、中央銀行に対して市中銀行が見せる、取り付け騒ぎのなにものでもないということだ。
そして肝心なのは、中央銀行に攻撃を仕掛けることのできる資本力があるのは、他の中央銀行か、もしくはそれに準じた資本を持っていることが前提になっていることの中身をよく理解することだ。
つまり、金融崩壊を生じさせる必要性を少なからずとも庶民は持たないのだから、国際金融資本同士で行われている下克上の争い以外の何ものでもないことを、国民はよく理解するべきである。
そこで行われている戦略こそ、民衆心理を巧みに利用した、自分たち国民が選択した結果という末路である。
> 国民から信用が無くなったのだから、潰れるしかない‥
> 相手を潰すためにもっとも徹底した戦術だ。
> そして、今や信用を無くしているのは、国際金融資本の側である。
さらに肝心な事は、独自性を殊更に尊重する組織内部というやつは、自分たちのモチベーションなり自尊心を満たすための意味でも、誰が牙を立てるにしてもおかまいなしというルールを容認しているという点である。
その点、日銀と財務省の態度はまるでそこら辺がよくわからない。世界的に日本人は、サムライなどともてはやされ、律儀で従順そうに見える割には、日本市場は閉鎖的に思われているわけだし、かといって、国民の側に目が向いているようにも思えない。
それでいて、手堅く儲けている‥まさに曲者の代名詞みたいな感がある。
> そういうのを見せつけられて、シカトしたくなる連中もいるということだ‥
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