2012年11月28日

狙われた天皇制と憲法九条の足取り 改訂

1-5)0
参考:1446年 李氏朝鮮第4代国王の世宗が、訓民正音(ハングル文字)を公布。(日本は室町時代中期頃。)

1945年(昭和20年)_8月14日 マッカーサー元帥、連合国軍最高司令官に就任。
1945年(昭和20年)_8月15日 太平洋戦争終戦。
1945年(昭和20年)_9月27日 昭和天皇とマッカーサーの会談。
(マッカーサー、昭和天皇の話に感銘する。)
1945年(昭和20年)10月_2日 GHQ総司令部、東京に設置。
1945年(昭和20年)________ 日本社会党結成。
1946年(昭和21年)11月_3日 日本国憲法公布。
1946年(昭和21年)________ 東南アジア、台湾、中国、朝鮮半島の北緯38度線以南などからの日本人の引き揚げを9割以上達成。
1947年(昭和22年)________ 満州、朝鮮半島の北緯38度線以北などからの引き揚げ完了。
1947年(昭和22年)_5月_3日 日本国憲法施行。
1947年(昭和22年)________ CAI成立。
1948年(昭和23年)_7月17日 韓国が憲法を採択。
1948年(昭和23年)_9月_9日 朝鮮が憲法を採択。漢字を廃止。
1950年(昭和25年)_6月25日 朝鮮戦争勃発。
1950年(昭和25年)________ 警察予備隊設置。
1951年(昭和26年)_4月11日 ダグラス・マッカーサーGHQ解任
(大統領ハリー・S・トルーマン指示。GHQ後任マシュー・リッジウェイ。)
1951年(昭和26年)_4月19日 ダグラス・マッカーサー退任。
1952年(昭和27年)_1月18日 李承晩ライン宣言。
1952年(昭和27年)_4月28日 サンフランシスコ講和条約発効。GHQ活動停止。
1952年(昭和27年)10月15日 保安隊発足。
1953年(昭和28年)_7月27日 朝鮮戦争休戦。
1954年(昭和29年)_5月_1日 統一協会、韓国ソウルに創設。
(文鮮明1920年1月6日(陰暦)誕生。ジョージ・H・W・ブッシュ1924年6月12日誕生。)
1954年(昭和29年)_7月_1日 自衛隊設立。
1955年(昭和30年)________ 自由民主党結党。
1964年(昭和39年)________ 東京オリンピック。
1964年(昭和39年)________ 公明党創立。
1964年(昭和39年)________ パパ・ブッシュ出馬。
1972年(昭和47年)_5月15日 沖縄返還。
1973年(昭和48年)_1月27日 パリ協定によりベトナムから米軍撤退。

 アドルフ・ヒトラー1889年4月20日生まれ‥この辺ぐらいまで、ヒトラーは南米パラグアイから元気に指示を出していたと思われる。余生90歳ぐらいと言われている。
 その後、パパ・ブッシュがヒトラーの遺産としてパラグアイの牧場を受け継いだ。その牧場の隣には統一協会の牧場が並ぶ。
 若造だったパパブッシュが遺産を受け継いだという意味からして、その後の後継争いを避けている点と、それ以前の部下の中にはそれほどに突出した野心家が居なかったと思われる。
 それだけにナチス派にとってマッカーサーの存在感は邪魔だったはずだ。
 マッカーサーはフリーメイソンの階級の中でもかなりの上位だったにも関わらず、引退後は、身柄を拘束され、拘束されたまま亡くなったそうだ。それがその後の歴史に一切顔を見せていないマッカーサーの不思議への回答になる。
 マッカーサーの拘束が事実とするなら、如何にもマッカーサーの息の掛かった派閥を作らせないためのナチス派の工作だったと思わざるを得ない。



1-5)1
 マッカーサーが親日派だった点は確実だと思う。
 マッカーサーがGHQの長官として来日する時、はじめは成田に降り立つ予定だったそうだが、飛行機の窓のすぐそばをキツネが飛んでいるのを見て、急遽厚木に降り立つことに決めたという‥
 また、将棋文化を廃止するかどうかでも、キチンと意見を聞いてから対処している。しっかりした意見が述べられれば“YES”そうでなければ“NO”だった。
 そんな逸話が残されるぐらいなのだから、日本の歴史に相当の気を使っていたことは確かだろう。

 一方で、伊勢神宮の石にダビデの印を彫り込ませていたりと、手の込んだ仕込みも欠かしていないようだが‥

 現在の日本国憲法は米国製だからと嘆く日本国民は少なくないが、その歴史を紐解いてみれば、その実体は、マッカーサー監修による日米合作憲法だ。
 よくよく考えてみれば、マッカーサーは日本を離れる際、米国の裏側で台頭しはじめていたナチス派の予測できない動きを見越して、自らの権力がその競争から離脱する危機意識を持っていたはずだ。
 だから、今から思えば、ありったけの親日派を進駐軍に送り込んでいたことになる。
 つまり、日本を足場に自らの派閥を形成しようとしていた意図は十分にあっただろう。



1-5)2
 1-5)0に示した時系列を辿ってみれば、すでにお気づきだと思うが、マッカーサーが米国本土に居ないことを利用して、CAIが設立している。
 そこから朝鮮戦争の流れを踏んでから、李承晩ラインまでを組み込んでいる。
 統一協会の登場が、朝鮮戦争停戦の一年もしない間に登場している辺りは如何にも確信犯のタイミングだ。そもそも支援者が居なければ成り立たないのが宗教だ。戦後に置かれた国のしかも異端宗教に誰が大金を差し出すというのか。それの教義の中身を鑑みても、朝鮮戦争の責任を日本人にすり替えて植え付けるための工作だったことになる。
 その後の流れが、如何にも巷で広がっている陰謀論のアウトラインを物語っている。

 それが、憲法九条を自民党に葬らせる戦略だったわけだし、天皇制の葬りを在日勢力にやらせる戦略だった点は明らかだ。
 東京五輪の後に公明党が登場してくる辺りは、不景気に突入する点を見越して、分散してしまう選挙票を日本社会党に流れさせないための布石だったとしか思えない。

 そして、ここまでの超人的な采配をこなせるのはヒトラー以外にいないだろう。あまりにも進行のテンポが良すぎる嫌いがある。
 もしくは、予知能力を有するような何物かが側近にいなければ、なかなかに見越せない筋書きだ。

 ‥それにしても、一つ一つの目的のために、部隊を創設しているのは、日本の縦割り行政と同じだな。
 つまり、フリーメイソンの中身もなんだかんだ言って縦割りが主流なんだろう。
 ただ日本の縦割りと違うのは、ボスのボスが誰であるかをはっきりさせている点だろう。
 でも実際、フリーメイソンのボスが誰であるかを誰も知らないのだ。

> 早い話が、ハッタリを利かして名乗った者勝ち。ヒトラーだけがそれを見抜いたって事になりそうだ。否、その性格がツボにはまったわけだ。パパ・ブッシュはそれに習っただろうけど、功を焦りすぎたんだろうな。それとも人望の差か‥。



1-5)3
第九条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


> 多くの日本人が考えているだろう自衛権の必要を言葉に表せば、多分次のような内容になるだろう‥

3)憲法九条の前項は、その解釈の是非により、ここに以下の文を付け加えるとする。

 我が国自身の自衛権は、外国等による無交渉かつ一方的な攻撃と侵略の脅威があれば、自国民の生命の安全の確保の範囲において備えるとし、紛糾する外国等との平和交渉の余地のない場合においてのみこれの行使を検討せざるを得ない。
 また、不利益な交渉のすべては、言論による制止を始めとする。

 集団的自衛権の必要は、我が国の歴史に培われた武士道の精神の誇りに則り、同盟国に対して恥じる事なき援護射撃の現場対応の範囲をもって宗とする。並びに、基本的人権の尊重の立場から、武力と無差別な攻撃を直接行使することに当たる後続的かつ継続的なそれの作戦上の連携を拒否する。
 なぜなら、我が国民はすでに前項にて戦争の放棄を宣言しているゆえである。


 ‥とまぁ、前項と比べれば3は、矛盾を抱えているようにも見えるし、一定の解釈を示しているとも言えるだろう。
 それでも、前項の理念と比べれば、グレードは下がってしまっている点は否めない。
 だから次の文を追加しておく必要になる。

4)前項3の危機対応の方針に甘んじることなく、日本国民は、戦争の放棄を世界中で採択してもらえるように努めること。


> まぁこんなところだろうな。国民感情的に問題なしだと思う。

 ‥ようするに、憲法改正とか、九条改訂などと物々しく言わずに、理念は理念であるのだから動かさず、「九条条項追加」と叫べば、何の問題もなく丸く収まるはずだ。
 しかし自民党は如何にも戦争に突入したいかのような拳の振り回しようで、国民から理解が得られないまま、ちんたらしてきたことになる。ほんと迷惑な話だ。

 安倍晋三の意気込みは買えそうに見えても、自民党が再び国民から信を得たいなら、次の文も押し込むべきだろうな。

5)世界人類の平和の保全と基本的人権の保障を脅かす思惑や武力や経済の在り方に対して、それに日本国が媚びたり同意することはない。

> このぐらいでないと憲法九条条項追加は通らないぞ。それにしても3の文は長いかな。
> 5の意味する所はすごいぞ。売国行為、背信行為はすべて違憲に繋がるからな。
> それでいてこれの内容の範囲なら、どこがやっても同じかな。



1-5)4
 では、せっかくなので並べてみよう。

第九条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
3)憲法九条の前項は、その解釈の是非により、ここに以下の文を付け加えるとする。

 我が国自身の自衛権は、外国等による無交渉かつ一方的な攻撃と侵略の脅威があれば、自国民の生命の安全の確保の範囲において備えるとし、紛糾する外国等との平和交渉の余地のない場合においてのみこれの行使を検討せざるを得ない。
 また、不利益な交渉のすべては、言論による制止を始めとする。

 集団的自衛権の必要は、我が国の歴史に培われた武士道の精神の誇りに則り、同盟国に対して恥じる事なき援護射撃の現場対応の範囲をもって宗とする。並びに、基本的人権の尊重の立場から、武力と無差別な攻撃を直接行使することに当たる後続的かつ継続的なそれの作戦上の連携を拒否する。
 なぜなら、我が国民はすでに前項にて戦争の放棄を宣言しているゆえである。

4)前項3の危機対応の方針に甘んじることなく、日本国民は、戦争の放棄を世界中で採択してもらえるように努めること。
5)世界人類の平和の保全と基本的人権の保障を脅かす思惑や武力や経済の在り方に対して、それに日本国が媚びたり同意することはない。



1-5)5
 なんでも在日勢力には、その差別の怨みからかなんかは良く知らないが、天皇制を葬りたい勢力が居るらしい。
 一方で、天皇家の威光を我が物にしたい国内勢力も居るらしい。

 まぁその辺のごたごたはおいておいて、李氏朝鮮時代に見られる白丁は、江戸時代の非人によく似た制度だ。
 これは憶測の域を出ないが、鑑みるに、江戸に招待された李氏朝鮮の大使が、どこからか非人の制度を小耳に挟んで持ち帰り、自国で推し進めたのではあるまいかとふと思った。

 その李氏朝鮮では、銅を手にできなかったことから、貨幣制度がうまく普及しなかった一面がある。江戸に招待されて出向いたのも、江戸の制度に学ぼうと思ったからと考えれば、あながち繋がらなくもないかなと思った。

 その残存的な意識下の流れが、朝鮮併合になり、在日を孕むに至った‥
 まるで、自分たちの捲いた種は自分たちで刈り取るべきであると言わんばかりだな。


 その昔、忍者は下っ端だったが、下克上でのし上がり頂点に立った。
 在日もその流れと同じだとすると、日本の文化は、わざわざ格差を設けて、下から這い上がらせるのが押す気と思われる。
 でも、長くはないな。本流にないものは廃れていく。それもまた神道の方針か‥


> それにしても天皇制の支持ってどれぐらいなんだろうな?

 神社と天皇制が繋がっているって事を理解していない国民も結構居るんじゃないのかな。
 なにしろ平成だし、グローバルだしするからな。
 それが消えてなくなるってことはだな、神社文化も廃れるって事なんだよ。
 そうなれば、女子の好きな京都も、親日派の好きな京都も、瓦解するかもしれないな。
 京都が瓦解すれば、連鎖的にあっちもこっちも瓦解を始めることになるだろうな。

 日本人として、それだけは勘弁してくれって本能で思うぞ。
 儀礼作法は無骨だけどな。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 04:40 | Comment(0) | 破棄処理中 | 更新情報をチェックする
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