2012年12月11日

【歴史認識】戦艦大和特攻、生き残り乗組員のもの凄い証言

1-4)改稿.2015/08/17...20121211...

> NHKドキュメント番組で、もの凄い証言をされていたので記録。


 「あれだけの巨躯の中に取り残されて尚、生き残った‥!?」
 「しかも、缶詰のまま海に引きずり込まれ、心臓が止まった(?)のに復活したとのこと‥」


 脱出そびれた乗組員たちが今にも息絶えそうだったその時、白光りの閃光が辺り一面を覆った。
 そして次の瞬間、自分の身体が、ペンギンかイルカかミサイルにでもなって水中を突っ飛んでいた。
 その衝撃波の威力で止まっていた(?)心臓も心臓マッサージ効果で復活。
 押し出された我が身は、なんと海面に復帰。

 しかし

 動転覚め止む間もなく、空から恐怖の塊が降り注いだ。
 気が付けば、目の前に一緒に浮き上がっていたはずの戦友の首がスパッと落ちて消えた。
 それは、艦内の内部爆発に乗じて同時に舞い上がっていた爆発物の破片やら色々な残骸が
 空高くから降り注いだ鉄くずの雨だった。


> 絶句・・・
> 生かされる時は生かされるという話。生かさない時は生かさないという話。



1-4)1

 世間一般には、片道燃料と言われているが、実際はありったけを注いで出発している。
 大和のタンクは、ほぼ満タンだったらしい。駆逐艦も追随してたわけですし‥
 ‥あと「死ニ方用意」も有名だ。


> そんな大和特攻の中に兄弟で乗り込んでいて、最後までピンピンしていたって話はもの凄い


 ‥なんでも
 大和は片側に集中攻撃を喰らうばっかりだった。
 その兄弟は、運良く怪我もなく、揃って反対側の対空機銃に配属されていたと言う。
 その時まで、どっちも生き残っておかしくない強運ぶりだったことになるが
 ついに、神様もどちらかを選ばなければならなかった‥

 その兄弟は結局、海に放り出されたあと、渦に巻き込まれ、生き別れになって一人だけが生還した。

 もし、二人して五体満足で帰ったなんて事になったら
 逆に二人とも生きてられなかったわけだ。

 大和特攻で、兄弟が揃って生き残ったとしたら、そりゃ強運伝説なんだろうけど
 郷里の村からしてみれば妬み爆発だろう。(‥外からも噂に上るのは火も見るよりも明らかだ)
 「神様はえこひいきや‥」って言われちまうのが落ちだ。
 ‥それが当時の刹那でもあった。


> 生かしたいけど、生かしては還せなかったという話。



1-4)2

> どんな死地でも、生き残る執念と語るだけの責任を果たせるなら生かされる‥?


 「‥え、でもね。」
 外地から引き揚げてきた兵隊と、特攻で生き残った兵隊には、独特の差がまたあるようです。
 その辺の境遇の違いという奴もにんともかんとも複雑なようです。
 ‥さらにはシベリア抑留が加わります。

 いろんな話を耳に入れれば入れる程に、
 戦友の死をきちんと遺族に伝えに回れるだけの責任感と経済能力が織り込まれて
 なんだかんだで生かされてる感じが致します。

 そして

 そこに求められる責任感というのが、これまた通常の責任感とは質も中身も全然違うわけです。
 今の若者なら‥腰抜けにも、バツが悪いと思えば無理して近づかないと思います。
 今時の社会を顧みたってそうでしょう。
 それ以上に近づき難い空気がそこにはあったわけですから‥
 遺族に近づかんと欲すれば、そりゃもの凄いパワーが必要だったわけです。


 「あんたは生き残って、なんでうちの者は助からんかったんですか?」
 ‥って、そういう目で見られちゃうわけです。


 そういうのを解消したいと思えば、一回ばかりじゃ足りません。
 5年でも10年でも20年でも勉めていけるぐらいじゃないと遺族の方は納得されないわけです。
 「あんたはほんにええ人(義理堅い人)や、だから生かされたんやね。」
 ‥って思われるぐらいじゃないと駄目なんです。

 ‥考えるだけで逃げ出したくなりますね。だってする事はいつも同じです。
 お線香立ってて、合掌して‥それだけに重いんです。


> だから


 あの時‥振り払ったあいつ‥押しのけたあいつ‥どうにも掴んでやれなかったあいつ‥
 その自分のしてきたやり残し感はどうしようもなく必要とされたのです。

 だってそうでしょう。

 生かされるだけ生かされて、景気が良い時代を迎えて
 毎日毎日を平々凡々にすごしていたら、そりゃ遠くなっちまうんだ。

 それとも、戦死した戦友たちに遠慮して、毎日毎日を質素倹約に生きますか?

 そこが時代経過のツボってやつでして、実感なんじゃないんでしょうかね。
 であれば、「ただでは命は預けられねーな」って話になりますよね。
 ねっばこいほどの釘を心に刺して、背負うもん背負ってもらわないと伝承は残らないわけです。


 そこに後ろめたさを思うばかりなら、だからこそ体験者は伝承の人にならにゃいかんのです。
 語りたく無いなんて、そりゃ通りません。
 そこを理解するまで、させるまで、苦しみの記憶は付きまとうことになります。
 自分の中に抱え込んだまま忘れさられてしまえばいいなどと、許されるわけがない。
 そこに疵があります。それが絆です。其はあなただけの悲しみではないのだから。


> 疵を癒やし合って絆とせよ。そこに細かいのが日本の神々‥
> 礼も重ねれば心を通す。それの達人なのが日本の神々‥



1-4)3

> 自民党の憲法改正に賛成票を投じるようじゃいかんのです。


 自民党の草案にざっと目を通してみましたが
 日本の統治機構を内閣主導の管制下にすることばかりに文言が割かれるばかりです。
 天皇制にしたって、国民主権にしたって、基本的人権にしたって、ハリボテになってしまっています。
 あれでは帝国時代に逆戻りの等しい中身です。

 憲法に記すべきは、国家国民の精神の原点を記すにとどめ

 細かい対応を示すべきは、それぞれに法を設けて対応する形にすべきです。
 そのように成り立つ形に整えておくべきが道理でしょう。
 ‥憲法にこまごまと緊急時体制を書き込むべきではありません。

 ただでさえ形として

 憲法を最高法規におき、内閣をそれの中核に置くを記すのが流れにあらば、
 事細かな対応を書いてしまえば軍事態勢の了承と同義です。
 ‥それでは、どこに主権があるのかが立体的に見えてきません。
 憲法九条の矛盾を逆手にした主権のすり替えに映るばかりです。
 天皇制も国民主権もまるでオマケにしか感じられません。

 そもそも、まずは天皇制をどうしたいのかをはっきりさせるべきです。

 天皇制が日本の原点であるなら、憲法九条は戦後日本の国民主権の原点です。
 この二つが表裏一体である事をどんな形にまとめるのかを新たに問うべきです。
 そこを考えるだけでも、政の形は全然違います。


> 天皇制とは何か?


 其は、天皇が何にかしずいているのかを明記すべきことです。
 示さないことに天地人一体を欠くのです。そこが日本国憲法として最たる欠落だと思います。
 ‥であれば、国民主権であっても、かしずいている精神は同じと言う事です。


 第0条:天皇は、地球のたおやかとすこやかにかしずき、
 八千代に続く柱として日本国に戴き、地球すべての禊ぎと祓いの最たる責任を有する。(日本神州国宣言)

 世界の民族と我が国の平和を千代に願い、お互いを敬愛し、生きとし生けるものが共存していくためにも、
 日本国の政の主権は日本国民に有するとし、国民は国民主権を正しく理解して国を治めること。
 憲法は、我が国民が身に付けるべき精神の扉であり、国体を示す上での最高法規である。


 ‥とまぁ、こんな内容の条文が頭に来なければおかしいんです。



1-4)4

> ‥ついでに戦争中にあったとんでも話をもう一つ。


 台湾に高砂族(たかさごぞく)と呼ばれた部族がありまして、
 なんでも親日で勇敢だったことから、高砂義勇隊が編制されていました。

 その部隊があるとき、補給作戦に参加して日本の部隊に食料を届ける任務に就いたものの、
 制空権も制海権もなく、どっちも動けない状況になりまして、なかなか届けられない‥
 ‥それで、どういう状況下は詳しくは示してなかったのでわかりませんが、
 なんでも、その高砂義勇隊の兵士が両手に米を抱えたそのまんまの姿で餓死していた。
 ‥という話を聞き及びました。


> ‥どうしても米を届けたかったという気持ちの気高さの話。


 その話をするに至った現場にでくわした当人は、その米を食べることができなかったそうです。
 ‥まぁ無理もありません。
 でも、食べてあげないと供養になりませんからね。
 その場で生米囓ってあげつつ合掌するぐらいはしないと‥


 ‥それにしても、書いててやっぱりピンと来ない部分があります。
 状況を鑑みるに

 最期的に一人になっちゃった人が、独りになったことで余計に腹ぺこになり、
 その気持ちのゆるみから、たまらず手のひらに米を山にして乗せてみたものの、
 それをしながらも仲間が死んだ意味を噛みしめれば噛みしめる程に、
 ひたすらの睨めっこを繰り返し、ついには動けないまま気を失い息絶えた‥

 ‥其がかえって劇的な壮絶を訴える形になった。

 うーん、想像を絶しております。形容のしようがありません。役者だって困るでしょう。
 だって、山の部族ですよ。その人たちが飢えてどうしようもない状況なんですからね。
 進路も退路も絶たれていてどうしようもなくなっていたって感じがします。


> ‥神様にもなるとそういうレベルから勘定して公平をお決めになる。
> なまじ人は知らないからこそ減らず口が叩けて、恨み辛みで天に唾をして、足るを忘れる‥
> それにしても‥平凡を望む事すらうぬぼれに思えてきてしまいそうな話です。(合掌)
posted by 木田舎滝ゆる里 at 08:48 | Comment(0) | 歴史 | 更新情報をチェックする
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