2012年12月18日

【考察】武士道の解釈は、日の本の東西において異なった

改稿.2015/09/16...20121218...

 武士道、それは家臣の心得。
 武士道、それは主君の心得。
 されど、領民なくば成り立たぬもまた武士道なり。

 主君が領民に礼を為せば、領民もまた領主に礼を為すだろう。
 巡り巡って、家臣もまた地場にかしずくことになる。


> ところが、日の本の東西においてその色彩は甚だに異なった


 日の本の西の武士道は、家臣の心得の色彩に厚し。
 日の本の東の武士道は、主君の心得の色彩に厚し。
 なぜそのような違いになったか‥其は、歴史の痕跡を遡って見るべし。

 その違いは明らかなり。

 西の平家は敗れた。西の豊臣は敗れた。
 そのどちらもは公家文化を引きずり、領民への配慮に乏しき
 民を下に扱いし偏った栄華にその痕跡が見られた。「公家とは何だったのか?」
 其は己に跳ね返り、お家を死に所とし、主君の恩義を死に所とし、その有様として敗れ敗れてた。
 されど、其もまた武士の本懐にあった。
 ゆえに、尚更にお家のプライドが優先されたと言えるだろう。


> 命など惜しくはない。命を賭するが武士道なのだと‥


 東の源氏は勝(まさ)った。東の徳川は勝(まさ)った。
 そのどちらも武士の棟梁を名乗り、領民からの支持を得るところに土台を見た。
 だから、領民を慮る痕跡が見られた。
 其は主君の足下の大事を心得、主君の意図は、領民を大事にする方向に向かい長きを育んだ。
 だから、民を拠り所とするを優先した。人としての生き様に武士道を見た。


> 人は城、人は石垣。民との繋がりにこそ、武士道ありと‥


 西は急進勢力、東は保守勢力。
 明治維新以降、日本の地に根ざして来たのは、西の武士道だった。(是は大雑把な見方だ)

 西のかしずく心は、立身出生を好み求め、
 東のかしずく心は、全体の平和を望み心得とした。(是は大雑把な見方だ)

 西と東では土壌が違うのだから、同じ武士道の言葉を使おうとも
 その意味する所は自ずと違ってきたように思う。

 ‥日本にある独特の違和感の一つとして、日本人ならそこの違いをお互いに感じているはずだ。
 特にそれは、日の本の繁栄のあるべき方向性を問うに現れよう。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 07:11 | Comment(0) | 考察 | 更新情報をチェックする
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