2012年12月19日

略食から学んだこと

1-5)0
 略食とは、料理に手を抜くことではなく、調理過程を最大限に略して食事を済ませることを意味する。(個人的造語)



1-5)1
 俺はいつだったかTVでおもしろい食文化を見てしまった。
 それは、チベット高原あたりの遊牧民族の暮らしぶりの紹介番組だった。

 彼らは、自分たちで栽培した小麦をナマで食べる習慣を持つ。
 ナマと言っても、砕いて粉にした状態だから小麦粉をナマで食べるのだ。

> なぜ彼らがそんな食事方法を身に付けるに至ったかは簡単な理屈で、水も燃料も乏しい中での工夫だったからだ。
 彼らの遊牧は家畜の糞から燃料を得てもいるため、どっちも止められない連鎖に置かれている。



1-5)2
 小麦粉がナマで食べられることに強い衝撃を感じてしまった俺は、早速実験を開始した。
 幸いにもその時住んでた場所の近くには、いろんな小麦粉を取り扱っている店があった。

> 俺はその店に行き、いろんな小麦粉の中から、北海道産のアレをチョイスした。

 俺はさすがにナマのままで食べるには味気ないし、どうせ水を飲むことになるのは目に見えているわけで、お椀にぶちまけた小麦粉に塩をひとつまみし、その上から熱湯を注いだ。
 熱湯である。冷めたようなポットのお湯など論外だ。食事の基本は温まる事でもあるのだからこの辺は外せない。

 それを食ってみると何のことはない。普通に食えた。食後の体調にしても問題なし。
 そうなると俺の好奇心はエスカレートした。

> 俺は次に北海道産のもう一つの銘柄をチョイスしてみた。
 これも美味い。

> 俺は次に岩手産の小麦粉をチョイスした。
 これも美味い。

> 調子に乗った俺は、どこ産だから分からない様なブランドを買ってみた。
 名前は確かバイオレットとか付いてた憶えがある‥

 それを同じようにして食ってみたところ‥OTL
 不味いのなんの、ナマで食えないことが判明した。

> そして俺は悟った。

「日本人は輸入小麦粉の安さに現を抜かし、200%食事で損をしてきたにも関わらず、まったく気が付くところのない味音痴の民族に成り下がってしまっている‥」と言うことに!!!

 不味いんだから安くて当たり前、美味いんだから高くて当たり前、北海道産小麦の高めの価格に俺はすっかり納得し、逆に輸入小麦の値段が不当に思えてきた。

※ さすがに全部の銘柄を試したわけではないので全部が不味いとまでは言わないが、国内産の方が圧倒的に美味いことには変わりはない。それだけは断言できるだろう。
 その手のプロだって同じこと言っているわけだしな。



1-5)3
 そんな不当な価格の小麦粉も、世界的な不作ともなれば嫌でも価格が上昇する。
 不味いくせになんて図々しい。

 そこで今じゃ、米粉パンの研究がされているわけだが、ここをよーく考えてみると‥

 小麦粉はたまたまイースト菌との出会いがあったからパンになったのだ。
 西洋人はそれ以来なんの研究も工夫もしていない。

 ここ最近になって、ようやくイースト菌以外の発酵菌を模索するようになったぐらいだ。
 それも日本で‥
 ならば、米粉をパンに発酵させるのに適した発酵菌を探せば良い。
 たぶんきっとあるはずだ。

> 仮に在ったとしよう。
 すると次のステップとしてこんな野心的な考えが浮かぶだろう。

 ヒエ、アワ、トウモロコシ粉、ジャガイモ粉‥それぞれの穀物をパンに発酵できるに適した発酵菌を探し出せば、世界的なパンが食べたい構造を小麦粉オンリーに頼らなくても良くなるわけである‥と。



1-5)4
 それにしてもペースト状の米粉を米粉パンにだけ用いるとするような解釈をしてしまいがちなのが日本人のきちんとし過ぎたレシピ感覚らしい。
 略食を考えてしまう俺からすると、そのペースト状の米粉をナマで食べられるのであれば、いろんな調理方法が見いだせるはずだ‥と考える。

 なぜ、そこを考えないのだろうか?

 自民党が減反を廃止するかどうかは未だに不明だが、ペースト状の米粉がレトルトパックにでもなれば、減反の勘定から外して数えることができるわけだから、ナマでも食べられる品質であれば、きっと消費者に受け入れられると思う。

 そしてそれをパンに発酵するに適した発酵菌とのセット販売が可能であれば、世界進出だって無理のない足取りになるだろう。

 コメそのままでの勝負は、もはや海外産との区別は差の無いレベルになっている。
 それもそのはず、同じ日本人が裏(海外)で頑張ってるんだから、共食いも同然だ。
 だからそこを、ナマで食べられるペースト状の米粉にして差が付くのであれば、それはそのままに減反の廃止を宣言可能たらしめるのではないかと‥そんな気がする。



1-5)5
 ミドリムシの食化についても同じことが言える。

> ミドリムシをエサにすることを考えないのはおかしい。

 エサはエサでも養殖魚のエサだ。
 ただし、エサのエサに最適なのではと考えている。

 例えば、オキアミを養殖するためのエサだ。
 オキアミを格安で養殖できれば、それは画期的な漁場を生み出すに違いない。
 養殖したオキアミを海にバラまけばそれで良いのだから。


 そしてこれは、漁法にも変化をもたらすだろう。
 船団を組んでオキアミをバラまいて魚を誘き寄せればどうか‥
 魚群の何割かを採っても、エサを辺り一面にバラまいているのだから、捕まえなかった分は養殖するのと同じになる。
 それを繰り返せば、肝心の魚が減ることには繋がらなくなるという算段だ。

> であれば、魚のエサの基本であるオキアミの養殖が成り立てば、そのまんま海全体の生物を養うに等しい技術を獲得した事になる。
 養殖オキアミをバラマキに海に出て、そのまま漁をして、育てながら収穫する。

 またこれは、それ以上に低コストな養殖が望めない限界点を意味する。


 その昔、山から流れ出ていた養分が、海を養っていた。
 今じゃすっかり護岸工事だなんだで、その流れていた分の養分は海に届かなくなった。
 だから、人力でオキアミを養殖することは、山の養分を海に届けるに等しい。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 04:43 | Comment(0) | 目の付け所をナス | 更新情報をチェックする
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