1-3)0
いわくの2012年も残すところあと幾時間‥
巳年になってからのPN変更はゲンが悪そうだ。
どうせなら辰年の内に決めておきたい‥それには、決めたという証が求められる。
こんなことを言うと巳年生まれの人はどうしようもない言われように聞こえるが、まぁそんなことはどうでもいい。あくまで個人的な感覚だ。
1-3)1
そこに滑り込んできたのが、名前の頭に「ブシ」の音を織り込んでしまおうとの着想だ。
ブシ=武士である。そこで山伏の伏が適当か‥
> この俺に伏せと申すか‥
> 狼は大好きだが、犬は好かん。
しかしまぁ、着想はおもしろそうだからその思考に付き合ってみた。
そこでふと思った。
裏天皇八咫烏の取り巻きが山伏。それが目付として宮中に配されていたのが武士。
八咫烏のそもそもは‥神武東征の際に、高皇産霊尊によって神武天皇の元に遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされる烏‥とされる。
しかし、その話を裏読みすればこうなる‥もともと八咫烏の了承なしには天皇を名乗ることができない何かしらの事情があって、その臣下の礼に出向いたのが熊野詣であったと‥まぁそんな感じ。
> そうでもなければ、熊野詣が公家文化になるわけがない。
八咫烏‥三本足の烏、三人で一つの裏天皇、三位一体制度。
武士、将軍家の担った御三家、徳川御三家の直轄地の一つが紀州。
さらに紀州出身の将軍徳川吉宗が起こしたのが御三卿。
> 紀州には何かがある。
さらにツッコンで、諏訪大社だ。
その昔、信州は神州だった。小さな島から始まったという日本列島始まりの話。
だとすれば、諏訪大社は始祖中の始祖的立場を意味する。
小さな島が大きくなる。
当然、超弩級地震が来れば避難が必要だ。どこに行く?
シュメール→統べる→スメラギ→皇。
もしくは、ヒッタイト→常陸の人。再び帰ってきたということか?
‥で、列島が形作られるまでの間に、様々な遍歴を繰り返し、紀州に拠点を変えた。
再び超弩級地震に見舞われても海に近い方が脱出しやすい。
それほどまでに日本列島に見いだされた魅力とは?
> そこが古代日本史の謎を解く上での鍵なんだろうな。
1-3)2
‥とまぁそこはさておき、着想から「伏」の字を用いる事になる。
ならば武士らしい形に仕立てるしかない。
で、思いついたのが、伏松(ぶしまつ)‥
どんな松になるのかと想像するに、義経の腰掛松というのがあるようだが、真っ直ぐにも、くねりもせず、まるで地面が恋しいかのように地べたを這うように、横に伸びる松をイメージすることになりそうだ。
その様が、辰になるのか巳になるのかがちょっと気になる。
それの意味でも名乗るなら、辰年の内に決めるしかないだろう。
1-3)3
で、ビビッと閃いたのが‥
伏松学道 ぶしまつまなぶ
学道を「がくどう」と読むのもありだが、ここは名前らしく「まなぶ」にしておいた方がセンスを感じるかな。
なにしろ「がくどう」の音は学童に通じる。それだけは避けたい。
とはいえ、仮名を振らなければ勝手に「がくどう」と読まれることになる。
それはそれで、読み間違いをベタに発音されようなら‥
ふしまつがくどう。つまり不始末の学童だ。
手に余るということだろうな。ぷっぷぷ♪
既得権益に対してまで、駄洒落を利かせている感じがナイス。
戈を止め、伏して学べよ武の始末
あってはならぬ不始末ぞ、学道すらば松(炬)の道
もののふの、ただ伏して待つのみならば武士の末(まつ)
学べよ学べ、道あらばこそ候
‥などと詠んでみた。
ちなみに学道とは‥仏道を学び修行すること。
> 好いんだかどうだかはさておき、俺の書く文面に釣り合いそうじゃないか!
> そう思ったのは初めてだ。
というわけで、笑良坊餅備から即行、伏松学道に変更しておくとしよう。
2012年12月31日
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