2013年02月02日

双方向out≦in転換レート方式の論 その2

1-5)0
 ではもう少し細かく双方向out≦in転換レート方式の流れを見ていきます。
(※≦‥小なりイコールと読む。)



1-5)1
> 輸出した物に対して輸入した側は自国通貨で払える‥それがまず最初の原則です。

 こう言いますと、外貨の概念が根底から崩れます。
 なぜなら、外貨などなくても支払いが可能になるからです。
 それがそもそもの発行権の意味する所でもあります。

 一見これは無謀のように見えますが、基軸通貨の言い分とさして変わりません。前記事その1でも述べましたが、すべてが基軸通貨でもあり、すべてが被基軸通貨でもあるのです。


> 次の原則として、外貨はどこの国においてもその国の自国通貨にしか転換できないとする決まりを設けるのが筋になります。

 当然です。それが、自国の発行権を自国が受け持つとする主権の意味する中身であり、お互いに認知し合うべき辻褄だからです。
 すると‥外国人旅行者が交番で道を聞くように、街角金慮もしくは空港内の出張金慮にて、自分のパスポートと預金カードがあれば、どこの国でも現地の通貨に転換して引き下ろすことが可能になります。

 ただし、旅行先での預金からの転換は、現地国の有するout≦in方式のレートに準じるとします。
 また、先に自国内で転換してから出発することは、相手国の発行権限を侵す意味合いになるため不可になります。
 勿論、国家間の交渉次第、契約しだいでは不可能ではありませんが、転換しておいてもout≦in方式の性質上、転換すればするほど、現金が減り続けるだけですから、なるべく転換しないで保有した方がお得と考えるのが通常になります。
 これにより、帰国時に通貨を再転換して持ち帰るのも考え所になりそうです。

 ‥そのようにすることで、国内に流通する通貨を自国通貨のみの扱いにすることが可能です。それでも、陸伝いの国境付近ではなかなかに混み入る部分は見られるかと思います。それはそれで、地域に適った対策が求められるでしょう。



1-5)2
> もう少し具体的に述べますと次のようになります。

 まず言葉の定義を二つ示しておきます。

・内慮‥地域内務の金慮を指して呼びます。内慮の担当は、担当地域の投資と預金の管理を管轄します。
・外慮‥中央外務の金慮を指して呼びます。外慮の担当は、国内企業ならびに国内に拠点を構える事業所の、海外取引における資本の流れの保全を管轄します。
(※ 言葉としての中央の表記は、表記上正確ではありませんので、外慮と呼ぶことになります。内慮はそれに呼応した呼び方です。)


 今、A国の企業(本籍A国)がB国の企業(本籍B国)に輸出したとします。
 輸入したB国の企業は、債務の支払いをB国にある自らの口座から、A国の企業の口座に振り込みます。

 この時、B国企業の支払いは、はじめにB国内慮からB国外慮に渡ります。この時点での通貨の移動はB国通貨が主体です。そしてA国外慮に渡された後に、B国通貨はA国通貨に転換されてA国内慮のA国企業の口座に納められます。
 お互いの法人契約内容に因り、外貨を混ぜて支払う事も可能です。

 ただし、通常はすべての支払いを支払先通貨に転換するのが約束事になるでしょう。違う解釈もできますが、国際的に発行の量を交易で減らすことを第一として考えればそういう約束になるはずです。

 これにより、他の取引からB国企業に払い込まれるべき債権が有り、それを混ぜて支払いたい場合でも、まずはB国の有する転換レートを介し、次にA国の有する転換レートを介する形になります。
 なぜそうするのかを申せば、支払う段階での保有権利がB国に有り、B国の価値に基づくからです。またA国に渡れば、A国の保有価値に転換されるのが流れだからです。
 すべてを自国通貨建てでの支払いに則して考えれば、それが筋になるはずです。


 ‥グローバル企業であれば、他の所からの出銭も考えられるでしょう。
 例えば、B国にあるB国企業の不足分をC国にあるB国企業が肩代わりしてやり繰りする場合です。その場合は同じB国企業であってもC国に存在するのであれば、その支払いはまずC国の有するout≦in方式を介してA国に渡すことになります。
 この場合であれば、C国通貨をB国通貨に転換せずとも、C国通貨をA国外慮に渡せば良いだけます。
 このようなケースをスムーズにするには、B国とC国のout≦in方式のレートが1:1である場合などが考えられるでしょう。部品産業であれば、十分に考えておきたいケースです。
 とは言っても、A:B:Cが1:1:1であるとまでは行かないわけですから、一方の企業が支払い専用のペーパー会社では困ります。

 どのようであれ、支払い価値にあたる実体性の確認は外慮の管轄になります。

 ちなみに、B国の有するout≦in方式の適応は、B国の企業(本籍B国)がA国その他の国の企業に輸出した場合になります。

> つまり、債権国側の有するout≦in方式が支払いにおける転換レートになります。


※ 繰り返します。B国外慮はA国外慮に該当取引を渡します。

 ここで渡されるのは数値だけです。通貨自体は国境を越えることがありません。超えさせたければ、自分で引き下ろして運賃を自腹で払って持ち込むことになります。国境付近でのやり取りならば十分に考えられそうですが、塀と関があれば難しいでしょう。

 A国外慮は、取引の内容を指定された内慮口座に、B国通貨または外貨を、A国通貨に転換して納めます。out≦in方式のレートは、A国とB国の間で事前に取り決めてある比率です。もしくは、使用された外貨の国との間に事前に取り決めてある比率です。
 out≦in方式のレート交渉が成されていない外貨は使えません。




1-5)3
> 通貨の転換について納得が行かないようなら、こう考えてみれば良いでしょう。


 経済の信用は自己資本の保有に始まりますが、そもそもの自己資本とは、お金ではなくお互いの生産力の保有に始まります。
 消費がなされなければ生産にも事欠くのが貨幣経済の理屈ですが、生産を依頼する方にしてみても、求められる自己資本はお金ではなく生産力なのです。
 それが昔ながらの物々交換の形にありました。

 通貨の概念は、そこを無理矢理に合理化しているだけの中身です。

 しかし、国家が諸国に対して自己資本を示すにしても、必ずしも相手にとっての必要な物と物とを交換できるかというとそうとは限りません。
 また、それぞれに特色があるからこそ取引が成り立つわけですし、取引する何かが見合わなくても、そこに必要があるなら取引を認める保障を通貨に託しているわけです。
 それがそもそものお金の概念です。

 そうであれば、お金の価値が物々交換上の現物価値に対して対等であれるわけがありません。
 つまり、{現物価値}>{お金の価値}にあるのです。
 しかしながら、現物価値はお金とは違い、それ自体が消失してしまう物がほとんどです。それゆえに、消失しない物としての価値がお金には付加されています。
 そしてその消失しないとする付加価値が、{現物価値}<{お金の価値}としての立場をまかり通らせてきたのです。

 しかしはっきりと申し上げるなら、{生産力の保持}={実生活的価値}であります。
 であるならば、{実生活的価値}>{お金の価値}です。
 お金の価値が実生活的価値を上回るような考え方は、本質的に意味を為しておりません。
 なぜなら、人の生活の道具としてお金は在るのであり、お金の下僕として人が居るわけではないからです。
 そこを一人一人が考えを改めない限り、お金の不幸が途絶えることには成り得ません。

 ∴ {自国の生産力×生産品質=国家資本}>{通貨価値}にあるのが本質です。

 つまりお金と交換することは、損をすることに等しいと考えるのが正解です。
 ただ、お金の保存性となにとでも交換が可能な性質を考えるなら、差し引きトントンと思って来たのも人類です。それゆえに、いつの間にか世界中が拝金主義に陥っていた理由になりましょう。


 その通貨と通貨の間にあるレートを考えてみた時、実際に交換を認めたのは、物(実生活的価値)とお金との交換です。
 お金とお金を交換する意図までを誰も有してはおりません。
 お金とお金との交換しなければならないとする辻褄を求めているのは国境です。

 権力と権力の対峙と申し上げていいでしょう。
 民族と民族の対峙と申し上げていいでしょう。
 そこにある主張をお互いに認め合うとしても、主張と主張の交換は不可能です。
 成り立つとすれば、この通貨の価値は我々のものになったのだから、我々の名前を付する‥のが理屈になるかと思います。
 物とお金を交換したのです。手にしたお金を自国の通貨に転換してもなんら問題もなきことです。


 人と人との交換を仮に承諾したとします。戦国の世で言えば、人質交換の婚姻です。
 その時、いつまで経っても敵方の文化に馴染もうとしない有様では、人としての信頼は得られません。形は人質交換であったとしても、心は気持ちを切り換えて、その家に身を置く人間として前を向いていなければ、誠を生きる事にはならないのです。
 その家の家督を共に護る覚悟を持てずにあっては、それこそ人質を生きるだけになってしまいます。そのように自ら自身の尊厳を放棄してしまっては、他者に自らの放つ敬意が伝わるはずもございません。

> 誠に向いてこそ信用は得られるのです。
> 通貨の転換もまた同じにあるべきでしょう。



1-5)4
 次に、海外取引上の不渡りを考えてみます。

 外慮が交易の支払いを肩代わりするのは、それが為替の辻褄(タイムラグの相殺)だからであり、決して自国の紙切れを押しつけておくのが主旨ではありません。

 ただし、それらは支払期限間近になって申告があれば執り行われますが、自動で貸し付けられる仕組みにまでには至らないと思います。
 それが個人や団体の意思の尊重だからと言えば、それに準ずるだけの話です。
 また、その辺りを鑑みるに、金慮は金利を取らないのが前提ですから、銀行のようにそのまま貸付の形にして金利を取ると言うわけにも行きません。金額で罰金を付け加えるような罰則は原理に反するのです。
 であれば、それは輸入した側の国家が輸出した側の国家に対して債務を抱えた状態にな
ります。またそれらの蓄積を持ち寄って、双方共に帳消しにするわけにも行きません。
 実質、それらの蓄積は国家の債務とは言えませんし、お互いに無い無いにしてしまうようでも信用は築けないでしょう。

> しかしこう考えることは可能です。

 不払いを犯罪として扱えば、それを取り締まるのは債務国側の責務でもあると言うことです。と同時に、債権国から犯罪人の引き渡しを要求されれば、断る理由もないでしょう。
 考え方はいろいろあると思いますが、国際金融資本は、そこに生ずるべき問題性を一切表沙汰にせずに、内々に処理して来たことになります。

 なにはともあれ、貸付が彼らの仕事です。

 自分たちの拠点とする国の国民に貸し付けるだけ貸し付けて、それで海外からの買い物をし放題にさせて、それでいて拠点国家の運営に失敗したともなれば、それの支払いの紙切れに何の信用があるというのでしょうか?
 信用があるとすれば、彼らがその手にしていた債権です。
 ですから、債権同士の交換が彼らの口にする信用になるのです。
 それゆえに、国民への不景気の押し付けが起き、失業が起き、通貨の価値変動が起こることになるのです。それらはすべて、債権の価値に変動制を持たせ、お互いの債務を調整するためにありました。それ以外に都合の付けようがありません。
 ‥時には、国債の発行を決めて、それの権利を誰が持つかを決めるのでしょう。もしくは、新しき投資の邪魔をしない点を確認し合うのでしょう。それもすべて、期限を設けて話を進めるのです。金利の代わりみたいな感じで考えればそうならざるを得ません。

 そこにあるのは国家同士の取引ではありません。銀行家同士であり、資本家同士で交わされてお終いになる話です、それを自分たちの独自性と銘打って誤魔化して来たのです。
 なにしろ、国境を越えて突き出される立場にあるべきは、彼ら自身でもあるからです。


 それでどうして輸出責任を果たした側が、倒産しなければならないのですか?
 それはとても不可解な現象です。
 生産力があるのに倒産しなければならないのでは、誰が以降の生産を請け負うというのですか。それで倒産した会社の債権を財産だと言わんばかりに転がされてしまうのです。

> であれば、輸出責任を果たした側は、全額的に保障されるべきであります。
 もちろん、嵐で荷が流れたり、船が沈んだりした場合はまた異なります。細かくは避けますが、輸出責任を果たした側は、その支払いが未払いの時、外慮に請求を申し入れれば、全額が保障されて手にできる形にあるべきです。
 当然、それらの支払いは、補助予算的な意味で創造発行からになるでしょう。
 それだけに、発行を受ける権利がありますし、それが輸出した側の国の通貨であるなら、なんら問題にする必要はありません。

 その結果、逆説的に未払いの輸入債務者には、罰則が追加されるのが道理であり、自動的に未払い債務者は自国外慮に対して借金をした形になるのです。
 貸し出したわけではなくとも、それがそこに生ずる辻褄になります。



1-5)5
※ 繰り返します。

 もし、海外取引で不渡りが発生しそうなら、自国外慮は自国企業または国内に拠点を構える事業所に対して、不足分を貸し付けた形で、対象国に対して一時的な支払いを先に済ましておくことを可能とします。
 無論、貸し付けるのは国内企業または国内に拠点を構える事業所に対してであり、海外企業または海外に拠点を構える事業所に対しては行わないとします。
 貸付に対して返済が行われる様子がまるで無いようなら、外慮はその国内企業または国内に拠点を構える事業所に対して、海外取引停止の措置から対処することになるでしょう。


 ただし、それらを健全にかつきっちり執り行う上でも、外慮による海外企業の実態調査は欠かせません。取引のある国家すべてに対して裏付け調査が必要です。
 しかし、すべての国家でそれが賄えるとは限りません。合理的に考えても、国際的な実体取引調査の信用コネクションが設けられるところにまで話は膨らむことになるでしょう。
 なぜなら、お互いの国内事情を持ち寄った方が手っ取り早いからです。
 当然、そのような国際機関の示すデータには、世界中から注目が集まるところとなり、うやむやにしている国家や企業や責任者に信用など得られようもありません。
 それへの注目度の高さが高い程に抑止力となり、互いの国際間取引に信用をもたらす流れが得られるはずです。

> したがって、そこまでの流れが一つに成って、はじめて、互いの発行権に信用が伴い、友好に基づいた公平な関係がスタートできる事になります。
> そのようにあれるのであれば、国際金融資本はもはや不要です。過去形の遺物には退場を願うばかりです。
【双方向out≦in転換レート方式の論の最新記事】
posted by 木田舎滝ゆる里 at 06:44 | Comment(0) | 双方向out≦in転換レート方式の論 | 更新情報をチェックする
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