2013年06月16日

【アイデア】信長の野望、史実モードにおける不適ジレンマの改善

1-8)0
 PentiumG2020の改装マシンに信長の野望の革新と天道をインストールしてみた。
 どちらもパワーアップキット版で、BGMを鳴らして、3D負荷フルで、概ね45%で稼働していた。ときに80%まで振れていた。
 どちらかというと、アルゴリズムの古さからか、革新の方が負荷が高い感じであった。
 もっとも、最初の様子しか見ていないので、後半の大部隊投入による乱戦ともなれば、概ね55%〜60%ぐらいにはなるのではないかと思われる。

 低スペックのデモと比べて、それなりにアルゴリズムの選択肢を考えきってから動いている感じがした。気のせい程度の違いではあると思うが、もはや低スペックでのプレイでは、やる気にならないという気持ちに至った。
 ちなみにスピード感はあまり変わらない。これはあくまでデモの感じである。

 次タイトル‥信長の野望 創造。
 なんでも、いろんな勢力が登場し、城の数も大幅に増えると言うことから、かなりの乱戦が予想され、負荷も高くなるように思われる。
 ‥思うに、Ivy版のCeleron1.8Gのモバイルスペックでは、いささか一杯一杯になるのではないだろうか。それにしても、普通にネットと記事を書いたり映像の再生程度では、8%〜18%程度しか負荷が掛からない。振れても概ね45%である。ときにアプリの起動時に振り切れる程度だ。
 余計な遊びに手を出さないのであれば、Ivy版のCeleron1.8Gのモバイルスペックでも十分事足りるのだろうが、そうは行かないのが信長の野望だ。今や信長の野望を通らずしてサムライは語れない。どうせなら快適にプレイできるに越したことはないのである。

> それから、今から語る内容は創造版とは何ら関係が無いことをお断りしておく。
 勿論、ここでのアイデアをどのように活かすかは、記事に目を通した人の自由である。



1-8)1
 信長の野望の不満と言えば、なんといっても、史実モードのくせに、概ねその通りに進行してくれないという点である。せめてデモの時ぐらい強制的に信長に関するイベントが見られるように取り計らって欲しいところなのである。
 そういうモードの用意があっても何ら問題はあるまい。むしろあるべきである。
 戦国の世に起きた数々の逸話、それらを時系列を追って眺めることができれば、それはそれで新たは発見をすることに繋がるはずだ。
 また、信長の野望をプレイする外人にしても、戦国のサムライを理解する上でこの上ないツールになるだろう。
 であれば、ブーイングも減るのではないだろうか。

 まぁそこはともかく、納得のいかない俺は、自分でも、改造ツールを用いていろいろと試してみた。そこで判明したことと言えば、どんなに調整してみてもそれらしくなんかならないという結論だった。
 これはもはやコーエー側がどうのとか、そういうレベルではない。
 何百万回ものテストプレイを繰り返す以前に、根本的なシステムの欠陥というか矛盾といえるべき要因がそこにはあったのだ。
 そしてそれは、アイデアが降りてこない限り改善されることはない。

> そしてそれは降り立った。
 ‥まぁそれは去年の今頃だったか、それより半年ぐらい前の話だ。それぐらいだったとの覚えがある。ただ記事にする段階で筆がのりきらないでいた。


 そもそも、どのようなシナリオでも、信長が大きく張ってこないのでは、信長の野望とは言えない。武田家ばかりが目立っては、武田信玄の野望でしかないではないか。
 ‥それでなくても武田家の武将の面を見ていると、スタッフが自分の面を貼り付けてちょちょっと手を加えたように見えてしまうのは俺だけではあるまい。

 まず、東と西の状勢を史実のテンポにすることが難しい。とくに西側はシナリオごとにばらつきが大きい。いくらゲームだからとはいえ、技術の確保のためだけに無駄に海を越えて侵攻せざるを得ないのが見て取れる。それに対して四国勢はあまりにも無力だ。
 ‥大体だ、九州勢が四国に手を出さないでいた理由というのが歴史的に理解がない。
 昭和と平成の世にしたって、四国は常に蚊帳の外の扱いである。不思議と言えば不思議である。まぁゲーム中にそんな要素は要らないのだろうけどね。

> このゲーム上の戦略に必要な技術を確保するための侵攻というのが、そもそもにして調整の効かないジレンマになっている。

 東側に至っては、武田家の勢いが強く、伊達家が潰れるか、謙信が潰れるかが一つの境目で、その最初の段階にある箕輪城の長野家がどれぐらい耐えられるかがこれに大きく荷担する。また長野家がどの勢力に落ちるのかでも、その後の状勢は大きく変わる。
 その前にもう一つ、北条家が武蔵を押さえられるかどうかも史実モードの流れを求めるならば悩ましい限りだ。
 そもそもにして三国同盟のイベントが発生しない。あるとは思うが、フラグが立ったためしがない。普通にプレイしている限りでは、三国のうちの一国が弾かれる形になる。
 史実モードなら史実モードらしく三国同盟の発生を平易に発生させてもらいたいところである。シナリオばかりが用意されていても納得することはできない。

 しかしそうすると‥織田家がどうしようもなく怪しくなってくるのは避けられない。これはシステム上のどうしようもなさと言える。
 それにしては、織田家の出足はむず痒いほどに勢いがなさずぎるのに、いよいよ4国支配の大大名ともなれば、途端に猛烈な勢いで侵攻が始まるのだ。
 それはもう、出だしの武田家の侵攻以上の感覚だ。何にしても清洲周辺の人材の豊富さが勝敗を分け始めることになる。



1-8)2
 もう一つ調整をしていて気になったのは、城の価値である。とくに籠城時の士気値の低下が早すぎるのと、防衛攻撃があったとしても攻撃速度の遅いのが納得できない。
 ‥で、ここの防衛攻撃の間隔の加減が意外とむず痒いのだ。
 少なくとも3倍の兵力と同等の価値が籠城にあるのかというと、ゲーム中では表現し切れていない観がある。
 ここをどうにかしたいわけだが、均等にどこもかしこも城を強固にしすぎても違和感が残り、かといってサイド勢力の活躍が目立っているような状勢はますます募兵を用立てるばかりで、どうにもこうにも最後の砦は砂上の楼閣として調整されてしまっているように感じる。

 ‥そもそもにして、ほぼ横一線の均等に勢力が増えてしまうから、城の価値が演出されんのだ。兵力が少ないから籠城するのであって、無駄に兵を消耗させたくないから籠城するのであって、それで持ちこたえるための有効な手段が城なのだ。
 そのまま士気値ゼロを待つだけでどうする。城に何の魅力も得られていないし、蓄えを蓄えておく意味もまたないではないか。
 だから、そういう視点から見れば、統率値の違いで募兵差が見いだされるのではなく、やはり人口の増えやすい土地柄というか、人の集まりやすい土地柄があったはずなので、そこを鑑みる必要はあると思う。
 すると、今度は兵舎も道場も要らないではないかと思われるだろうが、その土地柄の差を穴埋めするための策がその数を作るという事で良いはずだ。
 そしてそれは、何も兵舎とか道場などと言う合理的な解釈ではなく、甲州金のような振る舞いをしただけでも兵は集まってきたのが実際である。金山や銀山の多さというのも織り込まれるべきだろう。

 つまり言いたいのは、兵の創出として設けられている募兵にしたところで、実際は誰が募集を掛けても、募集に担当者の能力が現れることはまずほとんどない。それは誰が広告を打っても、募集効果が無いときは無いのと同じだって意味である。あったとすれば、資金力であろう。それを放出したかどうかだ。とくに戦国の世は、その効果がてきめんだったはずである。
 仮に、違いが起こったとしても、武将を見つけたなんてぐらいで、それはそれで何もそこだけに求める要素ではない。それが人生における出会いのあり方だ。

 ‥ようするに、募兵担当に意味なしである。ただ、責任担当がいないと集まらないという意味合いだけがそこに残る。そこを表現する必要があるか否かだろう。

 そこでどうせなら、兵熟度を復活させて、担当の能力値がその国の兵熟度に現れるとするとういう中略的な解釈も成り立つだろう。‥しかし実践との兼ね合いを考えると、どうしようもないほどに兵熟度に対する扱いは、混乱をもたらしかねないのだ。
 しかしである、一般の野武士に長生きはない。短く太く生きてなんぼの時代だったし、生涯野武士で五体満足で現役なんて考えられるほど、戦は甘くない。
 その一方で、そんな強者はいたって武将に近しい存在だ。かの者が武将として迎えられていない方に疑問が残る。それともなんだ、長生きのベテラン雑兵は、ただのハッタリ野武士だってことになるのだろうか。
 ‥ゆえに、医療の充実していなかった戦国の世において、経験値が実践における戦闘に必ずしも現れるわけではないと考えてかまわないだろう。
 ということは、戦場を経験した者の経験値を無理に織り込んで続投感を演出する必要もないということになる。概ね、訓練の度合いを鑑みれば良いはずだ。
 つまり、戦国時代における兵の基本兵熟度は、兵の訓練を担当する武将次第だという考えで落ち着く方向でまとまるはずだ。


 統率×武力×知力÷総兵数=兵熟度
 ‥ということで、指名担当は3人まで。その3人それぞれの上位の数値を揃えた数値を用いて算出されることになり、同時に取り扱う兵の数が多ければ多いほど、兵熟度は上がりにくい。
 これにより、互いの担当官の能力が似通っている&兵の数が同程度であれば、籠城側有利に作用することになる。であれば倍の数は当然として必要とされる。
 それで、兵の数が多くなったらなったで、雑兵も多いという判断を織り込めばいい。
 また、無駄に兵の数が多くても山路は細いのだから、一度に投入できる数にも限りがあり、ユニットとして扱わざるを得ない以上、表面的な数の限度を織り込んでいると考えれば、籠城側に対して攻撃側の相対的な兵熟度が悪く見えたとしても、それらが織り込み済みと思えば良きことだ。
 であれば、城攻めに必要な兵の数と城の強靱さを秤に掛けて、3倍の価値のところを上手に割り出せば、以前よりバランス好くなると思う。

 訓練は自動で行われる(兵の数の変動に連動‥戦で数が減るごとに精鋭が残る計算にも成る)とし、担当官はその立場によって拘束されることはない。
 ただし、担当官が死亡したり変わったりした場合は、問答無用で数値が即時変動することになる。まぁ実際、人のモチベーションや集団行動なんてそれに近しいもんだ。

 さらに、担当官の義理値をそれに加えるとしよう。
 訓練担当官の義理値の平均が高い場合、戦闘時における士気が下がりにくい、脱走兵の割合が減る、籠絡の割合が減る。低ければその逆になる。
 闘志はさすがに、指導の影響と言うよりは、個々の現場での適正や勢いの要素の方が大きいだろうからこれは当てはまらないとする。

 ただし、この案で気になる点と言えば‥
 戦国時代の部隊構成は、主にそれぞれの武将に属していたのだから、一律に訓練担当官を三国志の時代のように設立してみたところで、どことなく違和感がつきまとうのだ。
 といっても、ゲーム自体の出陣が、そこまで歴史に忠実なシステム付けがされているわけではないので、とりあえずの処置と言った意見である。
 もっとも信長の野望には、軍団制があることから、軍団別に担当官を配置することで、兵力増加に伴う兵熟度の低下をカバーできる仕組みにはできる。
 であるなら、AI側にもそのような思考の選択を用いるべき事だ。
 同時に、プレイヤー&AI双方で、敵軍団の長に謀反または寝返りを仕掛けるという可否も考えられることになる。



1-8)3
> では、本題に入ろう。
 
 それは、技術開発をただの投資にするのではなく、民の協力という部分にまで踏み込んで、徳ある主君には特定地元との組み合わせによって発生する支持を考慮し、特異なボーナス配分を振るところからそれのアイデアは降り立った。

 先に断っておくが、これはあくまでゲームバランスを補佐するための特異ボーナスの発生となる。
 だからとくに一定値である必要はない。シナリオごとにそれが違っていても何ら問題は無いとして扱うものとする。

 並びに、それぞれの武将には、開発能力というのをポイントで割り振り、そのポイントの総合で開発できる消費最大値が決まるとする。
 早い話が、開発には諸々のシリーズで培われた数値のほかに、武将の持つ開発技術点を持ち寄った合計の多さが求められ、開発済み技術にしてもなお、常時実行できる技術の数には制限が課せられるという仕組みだ。
 会社経営にしてもそれは言えるのだから、当時の国事情にしたって同じ事であろう。

 技術には、それぞれに開発技術点の総数を用いた消費ポイントが決められている。
 そうすることで、開発済みの技術でさえ、泣く泣く取り下げざるを得ない状況を演出可能にできることになる。
 それはつまり、イケイケの侵略などもってのほかであり、まずは開発技術点をキッチリ増やしていかなければ、持続継続が難しくなることを意味する。
 侵攻が繁栄をもたらすのではない、民との共存共栄に繁栄が宿るのだ。

 どんなに資金や資源、良き人材が揃っていても、開発する上での消費分のポイント(配下武将の持ち点合計)が得られていなければ、持てる技術の数は限られるのである。
 その一番のキーパーソンになるのが民であり、民忠値のほかに新たに設ける必要になるのが、民支持値である。
 この民支持値のプラスマイナスが、開発技術点の合計にプラスされるのだ。



1-8)4
 基本的に、支配地が多くなれば、多くの武将を抱えることになり、開発技術点も右肩上がりで増えていくわけだが、そうは問屋が卸さないのが、疲弊した民の側の言い分だ。
 そして、そこに登場するのが、民支持値に示される事になるマイナス評価である。

 荒らされたという結果がそこにあれば、嫌でもそうなるだろう。
 それが戦の後であり、当時の現実だった。

 だから、そうそううまく右肩上がりには成らない。侵攻地での民の支持を得るためにも、まずは復興が求められる。調子に乗った侵攻作戦は、結局のところ疲弊しか生み出さない。成り立つわけがないのだ。

 民の支持が上がらなければ、年貢は上がらない。良い技術にしたって、新たに納められる道理もない。
 治安の数値は通常通りに回復するとしても、だからといって年貢までがきちんと納められるかと言ったらそうはならない。
 また、先にも申し上げたとおり、復興のそれは、侵略の度合いの結果だけではなく、ゲームバランスの調整値として扱われるべきがここでの考え方でもある。

> なにぶんにも戦略評価など成り立たないのだから、おおざっぱにやるしかない。

 つまり、相対的なバランス配分がポンと投じられる感じになるのだ。
 無理に戦略評価を持ち出して、民の犠牲が少ないようにしなければならないとしてしまえば、途端にゲームとしてつまらなくなるだろう。
 そもそもにして、そこまでの細かい戦略評価を扱うようではAIが付いてこない。
 これはAIが付いてこれるように取り計らう意味を兼ねている。ここが重要だ。


 負担として課された民からのマイナス評価を上昇させるには、いくつかの方法が考えられる。

 技術選択(軍略)を、外征侵攻型から内政拡充型に切り替えるのだ。もしくは専守防衛型でもいいだろう。
 さらにはもう少し細かく、村々で異なった年貢を用いたり、ねぎらいの政策を投じたりと、政らしいコマンドを設けるなどといった感じになる。


 まず、技術開発には、兵科を強化する項目と財政面を潤すための項目と防衛のための城強化項目とがある。
 ここでは内需拡充型を政としての方針として、兵科強化を取り下げて、内需拡充の技術を取り上げることで、一年が経つごとに民の心証は回復するとする。
 取り下げずとも、始めから取り上げていても同じだ。ただし、内需拡充の技術の採用数が、兵科強化の技術の採用数を上回らないと回復の期待はゼロに等しいとする。
 敵に攻められて、兵科強化を採用し直さなければならない場合は、その年の民の心証は回復しない。これにより同盟策は地道に必要とされるだろう。

 城強化は、心証回復のプラスにこそならないとするが、治安の回復は早いとする。
 その代わりの対応策として、細かなねぎらいコマンドが必要になる。使えるのは村ごとに年一回とする。まぁ年貢を下げると言うのが主なコマンドになるように思われる。

 ‥年貢なら、相対的に扱える点がおもしろくなりそうだ。
 敵方が六公四民を引いていて、自方が五公五民ならそのままでも心証が回復するという算段にできるが、反対に、敵方が四公六民を引いていようなら、勝ったとしても、その領内は以前通りか、三公七民にて勘弁してやらないと心証は良くならないことになる。
 つまり、兵科強化の技術を取り下げたくないのであれば、敵方が年貢を上げるのを待つのも戦略のポイントになるということだ。
 またこれは、敵方が内需拡充型だった場合のそれの技術の採用に対して、相対の扱いを応用することができる。敵方が3つの内需拡充技術を取り上げていたなら、それを上回らないことには民支持値の回復の期待は得られないということだ。
 であれば、始めのうちこそ、なかなかに悩ましい選択を強いられる事になるだろう。
 もっとも、プレイヤーが負けてしまえばゲームオーバーだ。敵が弱いと思えば、躊躇している理由はない。


 専守防衛のケースとしては、普請の必要からなる城の強化ばかりではなく、独自のルールを投入することで、さらに際立たせることができる。
 それは、日本の戦国の世に見られた和睦の概念をもっと柔軟に表現することだ。

 和睦は、城が強固だからこそ生じた攻め側の妥協点であり、メンツの立て方だった。
 だから、城の扱いはきっちり兵力の3倍と同等の防御力が前提であって良い。それはまた、お互いの兵糧もしくは士気値が尽きてお手上げになるという範囲になると思われる。
 そもそも城方に加勢が加わるとなれば、途端に3倍の数は厳しくなる。4倍5倍が求められるのだ。そうでなくては、増援価値も低いままでおもしろくない。

 和睦の成功は、攻守ともに互いの大名の名声に関わる場面だが、程度の範囲とゲーム上での即効的な効果と期待を考えて、双方の民支持値に織り込まれるルールとする。
 つまり和睦の成立は、双方の民支持値の上昇をもたらすとする。
 であれば、戦を嫌う民の心情を表現できるという所だろう。

 またこれは、AI側の思考に変化を与えるもっとも効果的なルール設定になるはずだ。
 従来のAIでは、勢力のある大大名が攻め寄ってくることで、まだ小国のままのプライド高き有徳な主君の国が、それに対抗して無駄に隣国を攻め取りに行くばかりで、結果として地元を捨てて逃げ出しているような形にしかなっていないケースがよく見られる。それはそれで、武士としてあるまじき恥にしかなっていないのだ。
 また、それに伴う兵力分散は愚策にしか見えない。
 そこで、その時の判断材料として、開発技術点の合計が増えないと判断すれば、ひとまず強国に攻められることで敵からの和睦を期待し、守りに徹底し、その成功の後で改めて、近隣の国と防衛的同盟を組むなり、攻め取って対応するなりの思案をするなら、それなりにまともに見えるだろう。
 理由付けとして、策としての意味は持たないが、AI側に武士らしさを導き出すための結果選択肢として必要と理解する。

 そしてこれはつまり、技術の開発済みはストックできるものとして扱われるとし、近隣の国に攻め込んで、そのストックを改めて採用できるとなれば、組することなく攻め取った方が確かに得になるケースもあるという判断だ。
 ただし、それも和睦の中身次第と言えるだろう。

 大大名の側にしてみれば、自ら和睦を申し入れる場合に強気は禁物だが、無理に同盟をせずとも、狙いは和睦目的で攻め入り、反対側から突っつかれる要素を排除しておくこともできる。またこれは、疲弊している自国の民評価を手っ取り早く上げてしまうのにも使える算段だ。
 その時の和睦の条件にしても、大大名ともなれば、三択ぐらいの用意があっても良いと思う。

 例えば‥
・停戦の提案(短期停戦ルール‥3ヶ月、6ヶ月、一年程度での選択制。)
・互いに人質の交換(長期停戦ルール‥中途における再度攻撃の際は人質を返還する。ただし敵方にいる人質に命の保証はない。3年、5年程度での選択制。)
・現攻略城の弱体化の申し入れ(ゲーム上においてはさらに、城強化技術の一つ削除であっても良いと思う。ようするに、一時的ではあっても、相手側に城防衛能力の削除が成り立てばOKだ。ただし、将軍または関白のみが申し出可とする。)



1-8)5
 ところで、開発技術点と民支持値のマイナスからもたらされる対応に求められる開発技術の取り下げと取り上げの入れ替えの方針には、軍議が伴ってしかるべきである。
 配下武将にしても、自分の得意でない技術の採用は納得いたしかねる事態であり、主君に対する信頼の揺らぐところだろう。
 であれば、それに伴う忠誠の変化は程度避けられまい。
 またそれは、派閥が形成される参照値として取り扱ってもいいだろう。
 例えば、その効果が一番に生ずるのが世代交代の時だったりするのはどうだろうか。
 跡目の支持派閥を形成しあうよすがとして取り扱えば、おもしろいはずだ。
 それが、内乱の火種となれば、国が巨大になったとき、連合を組まれて対峙されるよりもよりやっかいな敵を内に抱え込むことになる。
 どこまで膨らます事ができるかは、現段階ではピンと来ていないが、視点としてはおもしろいと思う。

 まぁ始めのうちはなんとなく、配下武将から苦言が出たり、賛同が出たりとコメントがいろいろと出るぐらいで良いと思う。



1-8)6
 では、民支持がプラスになる場合はどうか‥

 とくに信長の野望において、それは信長・家康の連合に付加されるべきである。
 そのような主君と地元の関係が成り立っている場合に限って、民支持からなる開発ポイントに特異ボーナスが付き、いきなりSランクやAランクの技術開発が可能の状態が期待されるだろう。もちろん、それはイベント発生を通じた後の方がよりドラマチックに映ることになる。

 ただし、配下武将が程度いたところで、開発できる技術ランクに必要なランク適正をどの武将も持たないのなら、開発に必要な消費ポイントが確保されていたところで、開発は成り立たない。当然、開発にはそれに必要な資金と資源の確保も求められる。

 また、主君と土地の相性は何もプラス効果ばかりではない。マイナス効果だってあって当然だ。伊賀と信長の関係がそれだ。これはもう、何をやっても効果が無いぐらいのやっかいさが生じても良いわけだが、これもまた、ゲームバランス上の対象でしかない。
 そうすることで、進行ルートや進行速度のあり方等を史実に近しくすることができるだろう。

> ようするにこれは、主君と地元の関係が織りなす母体支持を元にした、合理的な相対評価がされるばかりであって、絶対的な優勢を与えるものではない。

 繰り返すが‥開発技術点の総数に加算される特異ボーナスポイントをいじることで、ゲームバランスに新たな視点を設けようというのが狙いである。
 それは時に常に同じ値のボーナスを与える必要はなく、戦国マップ上の進行状況から、相対観に乗じて、上がったり下がったりするでもかまわないし、シナリオごとに違っていてもかまわないのだ。
 とにかく狙いは史実モードにおいての侵攻ペースを史実に近しくしたいという欲求が根底にあって提案する次第である。
 また、そうすることで、無駄に武将の数値データがバージョンごとに評価を上げたり下げたりと、システム変更に伴うゲームバランスを、無駄に武将値に換算するような悩ましさを無くせるのではないかと思っている。

> いささか投げやりに見える観もあるが、根本的なゲームバランスのあり方に、さじを投げるよりはよかれと思っていただければと思っての発言である。
 そしてこの考え方は、ありとあらゆる歴史シミュレーションに応用できる内容だ。



1-8)7
 例えば、地場の強い特異な国を失って、特異ボーナス等の激減により、開発に必要な消費ポイントが不足した場合‥

 考えとしてはいろいろあると思うが、開発されていた技術自体のストックを認めるというのがここでの基本的な考えだ。
 理由としては、その主君と国との色付けだからでもある。
 また、そうでなくても敗退は、配下武将の激減を意味し、ストックがあろうと無かろうと、取り上げていた技術のランクを下げたり、数を減らしたりしなくてはならない状況に置かれることになる。

 そして、ストックはストックのままに、国家間の交渉に使うことができるのであれば、まだまだチャンスはあるのかもしれない。

> そこで課題になるのが、習得済み技術を交渉に用いた場合だ。

 技術開発に必要な消費ポイントが足りないうちは、それの技術開発は成り立たない。
 であれば、技術の交換を持ち出されたところで旨みはない。そこが従来の技術を交渉にした場合との違いになる。

 そこで、特定の武将を何人か選んで、技術習得の修行に送ると言った考え方をするとしよう。もちろん一人でもかまわない。しかし、途中で死んでしまえば一人では心許ないのは言うまでもない。それでも武将が拘束されて抜けられるのも心許ない。送るとしても二人程度だろうか‥
 交渉国(同盟国)から技術を学んでくれば、その技術を国の習得済みとすることが適う。
 しかし、技術のランクによってそれは習得までに長期に渡るものとされる。三年後、五年後‥そこまで必要かどうかはゲームバランスを見てみないと分からないが、武将の適正次第では可否は生ずるものとされる。

 また、技術の習得による帰国後は、技術習得者が配下家臣である限り、それはストックと見なすことができるとする。
 これは、技術習得者のみが知りうる技能と解釈されるため、技術習得の裏付けは、対象技術の国策上での取り上げにいたるまで、完全には国に帰属していないものとして扱われる。
 また、そうではあっても、それの対象となる技術の伝授を交渉に使うことは可能だ。その場合には、技術習得者の活動は伝授が終了するまでの期間だけ拘束されることになる。だから、しっかりと同盟国にそれだけの等価交換をふっかけておく必要が伴う。
 システム上、同盟国への伝承中のキャンセルは発生しない。よって、敵に攻められて国が危うくなっても技術伝承中の武将は、双方ともに逃がすべく選択肢が無い。城が落ちれば捕まるばかりと考えておく必要になる。

 習得への旅路は、人質に取られたのと同等の効果を醸し出すため、技術が得られるからといってぬか喜びはできない。そこは相手方も同じではあるが、同程度クラスの技術交換でない場合や、資金と交換した場合等を考えても、決してお得とばかり考えるのもどうかとなる。
 ただ、長い目で見れば、欲しい技術の確保にはなる。

 ‥このアイデアを表現しようとした場合、習得した技術と武将がセットで表現されなくてはならない。そこで、技術の習得者は、隠しアイテムの所持をしているのと同じ扱いをすることになるだろう。であればいくらでも表現が可能になる。
 ただし、習得者からこの裏的アイテムを奪いはがすことはできない。また、一人につき一つまでの技術習得までとし、習得した技術は国の採用技術にいたってもリセットされないとする。ただし新たな技術伝承を受け継ぐことは可能とし、その時は上書きとなる。
 また戦乱の結果、その者の所属国が変転した場合、その者を配下におくだけで、該当技術はストックの扱いとなる。
 これは技術習得に必要な予算と期間と3人の人材の必要を要せずに済むため、おいしいと言えばおいしいと言えるだろう。
 繰り返すが、技術習得者の所属する国の開発技術点が満たされていない場合や、その他条件が揃わない内は採択するには至らない。

 ‥では、配下に技術習得者が居た場合、その者から次の者への伝授は可能だろうか。

 可能である。ただし、ほかの教練等のコマンドを同時に発動することはできないとする。また、その習得期間は同盟国への取得期間と同程度として扱われるとする。
 一般にそれは、通常の教練よりも長い期間を有するため、国内で伝授させることを考えるよりは、同盟国から何かしらの未習得技術を学んだ方が、コマンドをダブらせずに済むことになる。

 といったところで、同盟国の武将に技術を習得中の最中に、同盟国が滅んだ場合だが‥
 同盟先が滅んだことで信用は今ひとつとなるが、その収得者に対して期間終了後に、家臣にならないかの誘いを掛けるイベントが自動的に発生するものとする。相手が断った場合、かの者は自動的に浪人になる。



1-8)8
> まぁこんなところだろうか‥

 コーエーの歴史シリーズの武将データーから魅力値の扱いが消えて久しいが、そもそもにおいて人徳の有する魅力とは何かを問うなら、それは民衆からの支持であり、それがどこから来て成り立っているのかと言えば、謎でしかない。
 その謎こそ宿命になるのだろうが、ゲーム中に運勢を表現しようなどとは無理からぬことなのだから、始めから主君と地元のセットで考えるのが適切になると考えた。

 そこにちょうど、国土が増えれば増えるほどに、持てる技術が無駄にマックスになって、マックス最強という結果はあまりにも個性に欠けると思っていた。
 だからといって、新たにたくさん設けるのもどうかと思うし、であれば、技術をストックできるけど、その採択には制限が課せられており、そこをクリアーしなければ技術の取り上げを増やすことは難しいとする考えに至ったのである。

 そのキーパーソンこそ民衆であり、民衆の支持であり、民衆の協力が得られなければ何も始まらないのが国であるという解釈である。
 技術を開発するのは特定人物のなし得るところだが、それを生産し増産し後進に伝え得るは民衆の持続如何である。

 どうも力任せのイケイケの戦略ゲームには、そこの所の概念が織り込まれておらず、人格形成上の汚物にしかならないとずっと思っていた。
 もちろんシューティングゲームや格闘ゲームは、イケイケのアクションで良いと思うのだが、この手の歴史概念を違う方向にねじ曲げてしまいかねないゲームルールのままというのは、俺の中で我慢ならないでいた。

> ただの大量殺人の首謀者に対してレッテルこそあれ、高評価などあり得んのだ。
> 戦略が優れているからすばらしいとか、如何に早く統治しただとか、ただの阿呆の視点である。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:37 | Comment(0) | 目の付け所をナス | 更新情報をチェックする
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