1-2)改稿.2015/08/22...20130620...
今や法定速度は50キロが一般的だ。40キロなんてほとんど見ない。
昔は結構あったんだ。
子供の頃の記憶をたどるなら、20キロ‥30キロ‥の道路上表記が、
年とともに速度上昇して行ったのを覚えている。
> 普通に考えれば、世の中の需要と言えるのだろうが‥果たしてそれだけだろうか?
安全性を第一に考えれば、40キロが限界だと思う。(それ以上はどう見たって危なっかしい)
しかしこれがおもしろいことに、運転している側にはわからないのだ。
運転している側にとって、40キロはちんたら速度でしかない。
‥それでも40キロが50キロになると途端にカーブ対応が危うくなる。
一括りに法定速度を上げることで適正を見いだそうとも
安全の第一であるドライバーの状況判断と操縦テクニックは比例しない。
‥渋滞しがちならともかく、比較的少ない交通事情なら上げる意味に欠くばかりになる。
でもまぁ、エコロジーで考えるなら
40キロよりは50キロの方が燃費改善を示すのにはちょうど良い目安になるのだろう。
仕方がないといえば仕方がない。
それはそれで法定速度の方も合わせておかないと、宣伝にも説得力を欠くことになる。
1-2)1
> しかし、それで一番に潤うのが保険屋という形になっているとしたら‥どう思うのだろうか?
例えば、法定速度40キロと50キロの違いなら、嫌でも交通事故率は上がるだろう。
そうなると燃費も糞もない。それでもドライバーの側が50キロを望むのだろう。
それならそれで、安全第一も糞もない。だからこその保険需要と言う事になる。
でも
40キロで事故がぐっと減るなら
保険屋も随分と前から低姿勢の改革が進んでいたのではないかと思われる。
‥でもそういう流れにはなかった。
そもそも
保険屋は、加入者の支払うお金からマージンを頂いて飯を食うのだから、
事故が少なかったなら、戦時下にない自衛官の言われようになるだけだ。
‥税金泥棒もとい保険金泥棒だ。
> そこで、やっぱり50キロ規制ということになる
そこでようやくにして、競争原理が働き出す転換点を迎えたことになる。
しかし、実際に起こっていたのは
価格の安さよりも、霞ヶ関文学よろしくの契約内容だったりした。
それらが実に良く検討されていて、惜しいところで適応外だったりの話が多かった。
結果として保険に対する不信感が増大し、安心サービス対応が需要になってきた。
‥なんというのか、変な経緯を辿っている。
1-2)2
> 事故が増えれば、それはそのままに税負担だ。
スピード対応の道路工事をすれば、当然、法定速度も上がることになる。
それが巡り巡って、医療費の増加に繋がるというわけだ。
> どうして、増税負担に繋がるような法定速度が採用されているのだろうか?
> しかも自分たちで痛い思いをし合ってである。どこが安全第一にあるのだろうか?
仮に自分が、自動操縦を考案するプログラマーだとしよう。
自動操縦の第一が、法定速度を守ることなら、
渋滞は緩和に向かおうとも、事故率の低下には及ばないように思われる。
なぜなら、お互いのプログラムの安全基準の第一が違っていればそう考えられるからだ。
安全第一を取るのか、燃費改善を第一に取るのか、流通の効率を第一に取るのかで、
その自動操縦のプログラムの設計思想はずいぶんと違ってくるからだ。
> そりゃ、無事故が目標だってことに変わりはないだろう。
> でもそれなら、50キロを維持するメリットはどこにある?
どんなにセンサーを配置してみせた所で、ちゃんと止まるかどうかなんて怪しい限りだ。
プログラミングが、整備不良を前提にした数値を織り込んでいるとは限らない。
‥たぶんほとんどが皆無だろう。
織り込もうとしたら、それこそ‥逐一低スピード時の安定度を確認しつつ走らざるを得まい。
(しかし加速度が売りになっているならそうも行くまい)
‥すべてが自動操縦なら
緊急トラブル等における連携も自動でこなすことも可能に思われるところだが
そういうのは、規格から整えないことには始まらないのだ。
また、人の自由な操縦を絡み合わせた対応を迫られるとなれば、
人の側が見せる唐突な行動までを想定してプログラムしなければならない。
はっきり言ってそんなのは
似た経緯の事故が積み重ならないとなかなかに認知されない。
どれだけの犠牲を出した後で、まったくの0に至るのだろうか。
‥その時、一番に簡単なのは法定速度を下げることだ。
> しかし大衆の期待は
自動操縦だからこそ、法定速度を上げるべきだという思考をすることになる。
だってそうだろう。そういうものだ。
‥ところが
速度が上がれば上がるほど、相当な短時間での判断をAIに求めることになる。
そちらのパフォーマンスの適正を基準にした大衆認知が進まないのでは意味が無い。
‥そもそもにして私たちは
これからの車に対して、AIの中身を事細かに説明を受けた上で選択するという考えがまだ無い。
自動操縦車両を購入する時代というのは、そこを正す意識であらねばおかしい。