2013年07月19日

【小説】かっ飛べ!!零式経済 NO.03 改訂20130719

1-6)0
 父親が出かけたその日、少年は奇しくも家の主同然だった。
 少なくとも、このとき11才の少年はそれを気取っていた。大胆にも家の財布を半分任された少年には、手渡された自分用の電帳カードを繰り返し眺めては、それを思った。
 それはこの時代、大人になれば誰しもに訪れる出来事だったせいもあっただろう。
 ‥少年はその本質を肌で感じとっていた。

 一方で、少年の父親にしても使い込まれてしまうような心配はあまりなかった。
 なぜなら、事ある度に我が家の買い物に付き合わせ、また、我が子を買い物に走らせて来たその成果が今そこにあったからだ。
 年末までに使い切りのラインに乗せれば良し。電帳カードに表示されていた金額は十分に思えた。それは、その時の少年にとって造作もないことだった。

 ‥それと、なぜ我が家の今年の家計予算額がいつもより多めだったのかの理解がそこにあった。
 自分がうかつにも使い込んでしまい、父親の就職活動の身動きが取れなくなるようなヘマだけはするまいと、少年は心に決めていた。また、少年には、いつまでも飲んだくれだけの父親の息子のままに居たくないという気持ちがあった。



1-6)1
 それでも蛙の子は蛙だった。
 日々、飲んだくれの生活を送る父親の飲みっぷりを目の前にまざまざと見せつけられ、その味を知ってしまったあの日以来、どんなに夢見たことだろうか‥

「父ちゃんのようにあの四合の酒瓶をまるまる一本飲み干してみたい‥」と。
それほどに、少年はどぶろくの味にしびれていた。

「仮にも、家の主になったからには、主としてあるべき特別なことをしておかなければならない。」少年はそう思った。
 電帳を手渡されたその瞬間に、その思いはもう止まらないでいた。
 誰も居ない家の中に置かれた名酒を前に、少年は手を付けずにはいられなかった。
 幸いにも、父親は飲み置きをすることがなかった。その日に開けた瓶は常に一時間足らずの内に空けていた。否三十分‥それよりも短い間の時だってざらだっただろう。
 だから一本や二本飲み干して、瓶の数が減っていたとしてもなんら問題にならない‥
 少年はそれを確信していた。
 それでなくても、上手く就職できればそれこそ大喜びで、少しぐらい本数が減ってたってどうって事のない話だと少年は思った。その代わり、もしダメだった時は多分‥父ちゃんは、もうこの酒を飲むことをしないのではないのか‥少年には、ふとそんな思いがよぎるのだった。

 ならば、飲むなら今しかなかった。大人になるまで待ってなんて居られないのだ。

 父親にできない体験をする意味でもそれは少年の好奇心をそそった。
 父ちゃんにできないこと‥「それは齢十一で本物を飲み干すことだ」と少年は思った。
 ‥あとで怒られそうになった場合のとっておきの屁理屈になると、その時の少年はいい加減にも、そんな事をちらっと考えてみたりした。

 少年は、未開封のどぶろくの酒瓶を前に、ちょっとだけ栓を回した。
 酒瓶の中は、みるみるうちに泡立ちはじめ、透明だった部分と白濁と沈んでいた部分が混ざり合いだした。少年は、泡立ちがほどよく落ち着くまで、少しずつの開けたり閉めたりを繰り返し、吹きこぼれないようになってから栓を完全に開封した。

 少年の目は踊っていた。

「それでは、父ちゃんの就職の成功を祝って乾杯!!」ゴクゴクゴク‥
「ぷはー、うめぇー♪、このシュワシュワと米の香しいのがたまんねー♪」

 少年は瞬く間にどぶろくの酒瓶を一本飲み干した。
 ‥そして、少年はそのままその場に酔いつぶれ夢心地の中だった。



1-6)2
> 少年はどんな夢を見ているのだろうか、すこしのぞいてみよう。

 夢の中では、集会が催されていた。数はそう‥100人、200人‥いや300人、それぐらいだろうか。どの顔もステージの人物に目を向けていた。
 ステージの真ん中には、それほどに背の高くはないが、恰幅の良い男が立っていた。
 どうやらこの男がその場を仕切っているようだ。


「‥皆さん、すでにおわかりのように、生活禄を年収一括型にする上で欠かせないのは、如何にして我々上流に成功した者が、成功したというステータスを保持して誇れるかです。

 生活禄の使い勝手を考慮して、使い切り精算ラインを労働分評価収入と同じにしました。早い話が、最低保障金額の金額の範囲をのりしろにして残せば合格です。
 しかしどうでしょう。困ったことが起きています。
 それは誰がどう見ても、易しい課題になってしまっているからです。
 百万円だけを残す。誰しもが難しいとは感じていないと思います。

 仮に働かざる者が一千万円を小槌して、百万円を残すとします。それが普通に成り立ってしまえば、どうして労働分保証額九百万円の人が頑張ろうと思うでしょうか。
 そこで、労働分保証額九百万円の人が無理に反発して、五千万円、一億円と小槌れば、今度は無駄に、労働分評価収入の金額内に的を絞ることの方が難しくなってしまうのです。

 悩ましい‥実に悩ましいルールです。
 これでは、まともな方々の労働意欲まで削いでしまい兼ねません。」


※(労働分評価収入=労働分保証額+最低保障金額)
※(生活禄=自己申請増分額+労働分評価収入(もしくは最低保障金額))


「あのう‥、Dr.BB、(※ステージに立つ男の名、通称名。)」
「はい、なんですか?」
「Dr.BBにはすでに改善案がお有りのはずです。まどろっこしい前置きは抜きにしてお願いします。」

「ふふふ、良いでしょう。君、アレをここに。」



1-6)3
 Dr.BBと呼ばれた男は、自分の横に待機させていた美人の助手に指示をすると、助手は舞台の裏から豪華な宝石で彩られた数々の宝飾品を収めたショー・ケースを運んできた。
 Dr.BBは、ショー・ケースの中から一つ、煌びやかなネックレスを手に取り、会場の客席の方に高々と掲げてこう言った。


「皆さん、ここに時価にして一千万円ほどのネックレスがあります。
 生活禄で買えるとなれば実にお手頃な価格です。そして値段は有って無いも同然です。
 ‥残念ですが、女性の誰もが欲しがります。一つや二つなんかじゃありません。そう、それはたぶん全部。誰しもが無駄にそれを思いつくでしょう。(会場内から笑い)
 その点において宝石の価値は無限になりえ、いくら積み上げてみても足りたもんじゃありません。値段が付かなくなるのです。
 ならばどうしますか?

 ‥えー、そこのあなた、あなたならどうしますか?」


 Dr.BBに指さされた女性は、考える間もなくすこし控え目にこう言った。


「わたしなら、オークションを提案すると思います。」
「はい、ありがとう。」

「そうです。オークションに掛けざるを得ません。
 そこで、誰しもがアフター・シンデレラを目指して軍資金を用立てることでしょう。
 しかし、その結果、多くのビフォー・シンデレラが発生してしまうのです。
 とてももどかしいことに、それが生活禄のルールだからです。
 残したらペナルティー、残った金額を前にうれしくなんてちっともありません。彼女が単身世帯者なら、来年にはビフォー・シンデレラの生活が待っています。
 それで良いわけがありません。せっかく治安が良くなるはずの生活禄の展望が、たったそれだけの愚かさのために一気に悪化してしまい兼ねないのでは困ります。
 私はそのような悲惨を生みだすために、発行権の万民自由化を提唱しようというのではありません。」


 オォー‥、会場から共感の声が漏れた。


「つまり、誰しもがアフター・シンデレラにはなれないということです。
 物理的に不可能なのです。
 では、女性の皆さん、公平を尊重しかつ安全を期して宝飾品を身に纏うことをあきらめますか?、日々、宝石美術館通いだけの暮らしで満足できますか?」


 ノー‥、会場から落胆の声が広がった。


「そうです、すべての女性からアフター・シンデレラになるための夢を取り上げてしまう権利なんて誰にもありません。アフター・シンデレラになる夢は、永遠に女性の憧れの的であり続けるべきです。」


 パチパチパチ‥、会場から氏を支持する拍手が控え目に響いた。



1-6)4
「そこで、私の提案は、一年の一定期間だけ、あえて、格差を身にしみて感じることのできる期間を設けるべきだというのが、結論としての意見です。

(ザワザワザワ‥会場は一瞬Dr.BBの言葉に耳を疑った。)

 働かざる者食うべからずの主張はもはや死語ではありますが、しかし、アリとキリギリスは演出されるべきだと考えます。
 なにゆえかと申せば、それもこれも、健全にアフター・シンデレラを讃え合うための習慣を保つべきと考えるからです。
 これは、誰が貴族的で、誰が庶民的であるかをはっきりさせる意味合いを含みます。混沌とするばかりでは、許されるところではありません。
 天国にしてみてもそうです。入れる者と入れぬ者がいるというのがお約束にあります。仮にそうでなかったら、誰がその教えに真摯になるというのでしょう。その点において、人類は教育的平等よりも、勝手気ままな自由の方が好きなのです。
 しかし、秩序は身にしみて保たれるべきかと存じます。


 具体的にはこうです。

 毎年の年末に生活禄の消化決算日を迎えます。
(※消化決算日:{その年度分の申請額から使った金額−年末に残した金額}={次年度に申請できる金額の上限}。

※(労働分評価収入=労働分保証額+最低保障金額)
※(生活禄=自己申請増分額+労働分評価収入(もしくは最低保障金額))

 ただし基本則として、消化決算日の日に労働分評価収入(もしくは最低保障金額)の範囲で残っていれば、次年度の申請額は一切自由、制限されない。はみ出ていた場合は上限が課される。
 年明けから見て前年の分の労働評価を有する者は、どんな些細な評価でも、最低保障金額を上回った金額が労働分評価収入として約束される。つまり上乗せ。次回生活禄ののりしろ幅もそれに応じて変わる。
 これは、よほどの違反が無い限り、次回分生活禄申請が不可になるような扱いをせず、働かざる者でも最低保障金額を下回ることはない。
 また、それとは別に、上限の課せられるルールはルールではあるが、{その年度分の申請額から使った金額−年末に残した金額}<0の者でも、{労働分保証額+最低保障金額}が認められる。最低保障金額だけにはならない。

> 労働の対価までが削られてしまうようなことだけはあり得ません。
> ここは絶対条件です。

 これの解釈を簡単に申し上げれば‥

 労働評価の金額にもよりますが、労働分保証額が丸々残っていれば不満は生じないわけですから、最低保障金額の金額枠をのりしろにしてもらうことで、労働分保証額が年明けからの三ヶ月間をやり過ごす上での蓄財にできる事になります。

 ‥零式経済下における個人向けに設けられた生活禄発行ルールは、全人類に適応され、法人向けにもまた似たような形でのルールが適応となります。)


 年末年始を区切りにして、前年の労働評価がはじまります。同時に、次の申請をするための期間として三ヶ月間が当てられます。
 その決算時間でもある新年ゼロ時になると、強制的に、生活禄の年末残金合計から労働分評価収入の金額を残して、申請して増やした分の生活禄がリセットされます。
 残された金額(労働分評価収入)で、一月・二月・三月の三ヶ月間を過ごして頂くことになります。
 その時点での残金が、労働分評価収入(もしくは最低保障金額)の範囲であればそのままです。

 ちょうど寒い時節です。アリとキリギリスの話でもそうですが、これは自然界の摂理に適った判断であり、格差としてあるべき妥当な許容にあると判断します。

 つまり、新しい生活禄の金額は、一月スタートではなく四月スタートです。四月から始まって十二月末にて自己申請増分額の使用を締め切るとするのがここでの私の見解です。
 評価は勿論、一月から十二月を通しての一年間です。そこは変わりません。

 結果、一月から三月末までの間、誰しもは、まるまる労働分保証額もしくは最低保障金額の範囲内での暮らしをして頂く形になります。
 誠勝手な言い分ではありますが、それを経過的な貯蓄の差と思えば、そこに貧富の差が現れて見えたとしても、何ら不公平を挟めるような余地はないと考えます。
 そして、誰しもがその期間に少しでも多めの金額を確保したいと思えば、ピタリと各自に許された金額に合わせていただくより他はありません。
 ‥自然とそれが流れになるかと思います。

 なぜそうであるべきかは、その年に自分発行した金額は、その年の内にご自分で始末していただくのが零式経済だからです。
 インフレかデフレかではありません、個人の欲する物を、欲する以上に市場の需要などあり得ません。ならば、その最大を満たせるルール理解から始めることで、マネーの供給に関する不公平を無くしてしまおうというのがそもそもの狙いです。
 本来マネーは道具です。道具は正しい使い方をしてこそ価値を有します。貯め込めるのがマネー最大の強みであると同時に、人類の腐敗、不公平の要因になってきました。
 なぜなら、マネーは空想的に造り出せてしまえる代物だからです。その事実を秘密裏に管理してきたのが国際金融資本(資本主義)でした。
 マネーだけを空想的に造り出せても、生活に必要な物は汗を流さない限り生まれません。その汗を誰かに掻かせるための権限が債権にありました。ほぼ中世の頃からそのカラクリは編み出され、その肝心なマネーを創造する権利のうんぬんを、民衆に隠し通して来たのです。
 その陰謀的な管理社会の中で、人類にとって消費活動は、薬物依存か何かに等しいほどの刺激を与えてきました。生産と技術伝承それから‥環境保全が伴わなければ消費もままならないというのに、マネーの魅力だけが先行し、なまじマネーを振りかざしている権利者を巨人に仕立て上げてきたのです。


 仮に、富の象徴の一基準にあたる一億円を小槌したとしましょう。
 その者は、年内残り九ヶ月でそれを消化しなければなりません。十二ヶ月で消化するより、ずっと難しくなるはずです。
 前々年に労働評価があれば、その分の労働分保証額を残して新年を迎えることが適いますが、そうでなかった場合は、残念‥最低保障金額、否、それを下回ってしまうばかりになるでしょう。
 その期間の間だけ、我々は盛大に社交パーティーを催そうと思います。
 働いた者とその家族しか足を踏み入れることのできない社交パーティーです。
 思う存分、年明けに手にしている金額を、その三ヶ月の間に有意義に使ってもらえばよろしいかと思います。

> これこそが新たな貯蓄の概念になるのです。

 従来の経済競争は、誰しもが立場を維持するために、貯め込むばかり貯め込んで、使われることがない貯蓄が当たり前でした。なにしろ使い切ってしまえば、自分が借り手になってしまいます。どうせなら貸し手になって一儲けしたいと思うばかりです。なんて不健康な形だったことでしょう。
 だってそうでしょう、我々の一番に欲する物が、おバカで従順な拝金奴隷ということになるのですから。
 だからこそ、債権と負債の関係がまかり通る世界が幅を利かせてきたのです。優位な立場を手放したくないという欲求がそうさせてきたのです。ところがそれは罠でした。そこには罠があったのです。
 資本競争などほぼ出来レースでした。なぜなら、発行の元締めがコントロールして来たからです。
 そこに見え隠れした陰謀に備える意味でも、マネーはタンス貯金が正論とされてきたのです。個人ばかりではありません。会社だってそうです。
 ‥であれば、薄給の雀の涙に、改善なんか得られるわけがありません。

 しかしこれからは違います。富である評価分をきっちり使い切ったとしても、四月になれば、また新たに申請した金額からの一年がスタートできるのです。
 そして、新たな一年の活動を年輪に刻むように、確実に個人の評価は太くなっていくはずです。終身雇用をどう考えるかは人それぞれですが、長きに渡り社会貢献をして行けば、短く細い人より、より積み重ねた人の方の評価が上になるように評価制度を整えれば善きことです。」


 パチパチパチ‥、会場から氏を支持する拍手が再び響いた。(先ほどより大きい)



1-6)5
「冬の社交パーティーには何が必要でしょう?

 それはご覧のように、ここにあるような高額評価の宝飾品です。いえ、それ以上のクラスの宝飾品が求められて然るべきだと思います。
 男性には必要にあらずとも、女性には要り用なのです。

 我々は、これら高額評価の宝飾品をレンタルに出そうと思います。
 そうですね、時価に換算して億単位の品々を出品して行かなくてはなりません。
 お売りするわけには参りませんが、身につけて頂く上での提案をしていく次第です。

 例え富豪がそれらを買うだけ買ってみたとしても、身につけることもほとんどなく、飾っておくならまだしも、蔵に入ったままになるのがほとんどです。それが、高額な宝飾品の日常でしかないのなら、売る意味も作る意味も薄いままです。
 高額な宝飾品の存在価値そのものが、伝説にしかなっていません。
 ですから、しっかりと身につけて楽しんでもらえるように、改善を提案したいのです。

> そうでなくて、いつ、煌びやかに宝石を身に纏ったアフター・シンデレラを讃えようというのでしょう。

 憂さ晴らしにも着飾って町に繰り出してみようにも、それに相応しき舞台が無いのでは意味がありません。
 仮に‥その舞台を、健気にも結婚式に思い描いたとて、それは人生の中でほんの一日だけの話です。幸せであればあるほどそれは一度きりが前提です。それのどこがシンデレラと言えるのでしょうか。
 一日で終わってしまうようなアフター・シンデレラは、まだまだ物語の中の夜中の十二時のままなのです。そこから先への展望が得られないシンデレラ像など不健康なだけです。
 もっと健康的にアフター・シンデレラを楽しめるべきだと思います。


 そこで、今からご説明するレンタルは、従来のレンタルとは少し違います。
 一月から三月までの間に、対象となる超高額の宝飾品を手にできるレンタル権利を、生活禄の資金でオークションをして戴こうと考えています。
 早い話が予約券の取得です。

 オークションは十二月の始め頃からを予定しております。
 レンタル料金の支払いは一月に入ってからです。つまり労働分保証額からの支払いです。
 労働分保証額の平均より上ぐらいの評価層に見合った、リーズナブルな金額でのご提供を考えております。

 繰り返しますが、オークションに用いるマネーは生活禄です。
 ‥ここが難しい。
 何しろ時期が十二月です。多くの生活禄が残っているなんて、考えたくもないスリル感に満ちています。それなりの、創意工夫の知恵が求められることでしょう。
 その時、すべてのチャンスに競り負ければ、準備して残しておいたせっかくの大量の生活禄と共に、来年度の参加が失われるのです。負ければ、それだけでもビフォー・シンデレラの気分です。
 是非、パートナーを組んでの共同戦線を張って頂ければと思います。

 レンタル金額は、貸出の直前までに支払いの完了をして頂きます。それぞれのレンタル料金は、オークションの段階で公表される段取りです。

 これにより、借り手一人にして見れば、少しばかりの間にしかなりえませんが、三ヶ月間に渡り、綱渡りでの貸し出しが繰り返されることになります。
 一つの超高額な宝飾品を身に纏う権利を手にした時、三ヶ月間を独占したい気持ちもわからなくはありませんが、世界中に居る女性の数を思うに、一人あたり一週間程度が貸出期間として適当かと思われます。
 オークションのチャンスもそれに乗じて程度増えるわけですから、適切かと思われます。

 どこで勝負を仕掛けるのか、上流女性の心を揺るがす激しい争奪戦が、新たな一つのエンターティナーショーになることでしょう。
 淑やかさを重んじて、ただ黙って眺めているだけなのか、それとも恥じらいもなく争奪戦に参加するのか、それとも彼氏に代わりに参加してもらい‥運を託すのか、このオークションに参加して勝利すること自体が、一つの成功のシンボルになること間違いありません。


 また一方で、一般的な日常価値の方の宝飾品は、数の確保が十分にございますから、平時からレンタルできるように配慮して参ります。
 無駄に買い求めてみた所で、管理に大変になるだけですし、持っているだけの範囲でしか楽しむことは叶いません。
 それでしたら、店内にて自由に閲覧したり、気兼ねなく手にして身につけてもらった方が、ずっと奥ゆかしく宝石の輝きを堪能できるかと思います。
 そこが販売とレンタルとの形の違いと申し上げてもよろしいでしょう。
 もちろんレンタルは会員制です。入会費等は生活禄から頂くことになります。


 結婚指輪の文化にしても、一年置きにチェンジして楽しんでもらえれば、より結婚への実感とシチューエーションをお楽しみいただけるかと思います。
 中には、年齢とともに指のサイズが変わってしまう方もおられます。それでしまっておくばかりとあっては、いささか盛り上がりに欠くばかりにありましょう。
 身につけていてこその象徴が、結婚指輪であれば、デザインを変えることなくサイズ変更をお手伝いしていくことも可能です。スリムなままであれば、そのまま同じ物をレンタルし続けて頂くことも可能です。
 また不幸にも不要になってしまった場合は、返却していただければ結構です。
 そしてパートナーが亡くなられた時には、慰めの代わりに‥最期に手にされていた指輪か、もしくは始まりのサイズ・同じデザインの指輪を進呈することも提案できるかと思います。

 ‥後付けになりますが、特に高額な宝飾品のレンタルには、雇用創出をかねて、24時間SPを付けさせて頂くことになります。
 レンタルと同時に身の上の安全も確保させて頂きます。
 そちらの方が安心して、いつもよりもお高めの宝飾品を身につけていただけることでしょう。また、そのような形にしておくことで、万一の紛失時や破損時に、お客様への一方的なご請求にならないように配慮できるかと思います。
 もっとも、その時の弁償の内訳を申し上げるなら、生活禄からの支払いには何の値打ちもございません。代償となる何かがなければ、その価値分だけ、その後の取引をお断りさせて頂くことになるかと思います。
 例えばそうですね、労働分保証額からの分割払いなどどうでしょう。
 同時に‥利息は禁止事項ですから、レンタルできる商品の金額に制限を設ける。そんな感じになるでしょうか。

 少なくとも、そのような絡みがある場合、十二月のオークション参加はお断りさせて頂くことになります。‥残念ですがそうなります。
 もっとも、大事に取り扱って貰えれば、それだけの話です。


 肝心の、新年開けの社交パーティーにしましても、毎年毎年同じ演出では飽きてしまいます。
 程度三ヶ月間が短いと思うか、年中通して通えた方が好いと思うかは、人それぞれの所もありますが、毎年毎年違った演出で新年の幕開けを迎えたいと思えば、開催期間は短くならざるを得ません。それが新年の祝いというものです。
 その代わり、盛大に催すためにも、パーティーの開かれない九ヶ月の間に模様替えをしておくことを約束する次第です。
 それはもう、夢のような時間の創出を皆様にお約束できるよう努力いたします。

 その時、そのような夢の会場にまで、働かざる者までが足を踏み入れる資格はありません。

 『ぼくが君をアフター・シンデレラにしてあげるよ♪』

 ‥男性が自身のステータスを上げるにしても、女性が自身のステータスを上げるにしても、宝石は永遠に輝かしいシンボルであり続けることでしょう。」


 パチパチパチ、パチパチパチパチ、パチパチパチパチ、「ブラボー!!」
 観客は一斉に立ち上がり、ステージに立つ男に賞賛の拍手を送っていた。
 賞賛の熱気は次第に止むところがなくなりだし、どこからともなく沸き起こったそのコールは、いつの間にか会場を覆い尽くしていた。
 「‥ブラボーBB!!、ブラボーBB!!、ブラボーBB!!、ブラボーBB!!」



1-6)6
 誰しもがこのDr.BBの提案に恍惚としていた。新しい時代の幕開けに夢を感じ始めたのだった。
 ‥それもこれも世界平和という意味合いでなく、自分たちが上に立つという意味での新しい在り方に対してだった。

 実際それは、無ければないでどうしようもないモチベーションだったのだ。

 会場を取り巻く黒服のSPたちも同じように賞賛の拍手を送らずにはいられなかった。
 なぜなら、生活禄が得られれば、どうしたって凶悪犯罪は減るだろう。とくに銀行強盗はその一つとされた。それだけに自分たちのシンボルである黒服姿に縁遠くなりそうな気配を時代に感じていた。しかし、Dr.BBの発言は、それを打消すに十分だった。

 そう、Dr.BBの発言は、これからの時代の在り方を先取って示唆していた。

 それは、年度毎に、労働評価の査定がされる毎年一月から三月の間に、上流を自負する自分たちの自尊心を満たすための商売が叶うことを意味していた。
 それが、従来通りの格差を演出するための内容提示でもあったからだ。

 まず、どんな宝石も値段以上の価値になることを意味した。それは、所持していること自体に価値を見いだせることになった。しいては、家宝の言葉が復活するのかもしれない。
 確かに、誰にでも買えてしまうことで収拾がつかないのであれば、レンタル制度にしてしまえば良い。理に適っていた。
 とびきりの事を始めるにしても、新しい商品やサービスを世に送り出すにしても、一月から三月の期間に集中させれば、上流と中流以下の客層の色分けが確実に適う。それでいて、十二月の商戦に影響が出ることはない。
 それが使い切らなければならない時期を意味した。それらを売上げ計画になぞらえれば、ほぼ年間を通して無駄のない計画を練ることができる商い上の形を模していた。
 1〜3月期は上流を対象に、4〜6月期は全層を対象に、7〜9月期はさすがに売上げは落ちるだろうが、それはそれで自分たちがバカンスに出かけるのに都合の良い理由付けになる。10〜12月は消化期間にあるが、それにしても安く売る必要がない。
 誰しもは皆、使い切るための資金を持てあまして年の瀬に向かうのだ。

> 採算を合わせるのが零式経済のルールであり、評価の基準に成り得た。

 どう転んだって、欲張って、売れない在庫を抱えでもしない限り、赤字ないしマイナス評価など出しようがない。
 何はともあれ、被災時の資材等の都合を備えておく上でも、ある程度の在庫確保は義務にあった。マネー第一主義では無いのだから、在庫を財産(黒字)と見なす考えが当然とされた。
 肝心なことは採算を合わせることである。それが零式経済の原則だった。その範囲でなら、在庫は財産としての評価を十分に得るに値した。

 ‥であれば、年度予算額を十分に消化できるだけの需要予想さえ的確であれば、それでとりあえずの課題はクリアーできる。欲しい物の価値単価が高くなるようなら、個人で生活禄を多く見積もってもらえればとりあえず間に合うのだ。法人向けにしたところで程度似たようなものとされた。
 それはそのままに、企業も大衆も、想定外な価格変動を嫌う要素に成り得た。
 ならば、無駄に割り引きなんかしなくて好い。ナイス零式経済だった。
 そこに居合わせていた誰しもは、それらを成し得るに十分な実力者ばかりだった。

 ‥しかし、まだまだ解決しなければならない理論上の課題は残っていた。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 05:00 | Comment(0) | …零戻経済思考の足跡 | 更新情報をチェックする
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