1-4)0
‥ここが発破の仕込み時だろうな。
今から綴る内容に絡んだいくつかの記事(【消費税反対】と明記)は、
零式経済にすんなりと移行はできないだろう前段階での、
間に合わせ論であるからして、アイデアと論点だけを、述べておくとする。
哲学の方の記事も進行中ゆえ、
お約束のようなうんちくを入れることは、避けるとする。あしからず。
‥これの論の連想には、
経済観念上の様々な盲点が発覚することになるので、学びを得ておつりが出るはずだ。
いや、おつりは出ないな、出ない話だからね、これは。
1-4)1
小切手とは、
{利用者の預金+収入からの信用+所有財産の担保価値が受け付ける範囲}において、
特定の用紙にサインと金額を書くことで、決済が行える信用払いの仕組みです。
簡単に申し上げれば、クレジットカードの扱い(定期的に審査が必要)そのものです。
また、小切手での支払いは、
貸付枠を得るための銀行商売ですので、
債務側の現金準備の点で、たまに足が出ることを了承される場合もございます。
(‥ただし、債務側個人の信用は落ちます。)
> 断っておきますが、ここで語らんとしている小切手は、実際的な小切手とは異なります。
実際的な小切手では、
手数料や金利を加えての支払いが求められる点が特徴になります。
一方、
ここで語らんとしている小切手の性質で重要なのは、
実体取引がされてはじめて小切手の金額が決する点と、
その支払いに使用される用紙にお釣りの概念が発生しないの二つになります。
消費活動が伴って、始めて小切手にはお金に相当する金額が刻まれます。
その結果、お金として扱われる事になります。
ゆえに、お釣りは出ません。つまりここがポイントです。
> この小切手の特性を[生活禄]の仕組みに用いるとどうなるでしょうか?
ここでの原則として、禄の流れを、
個人→消費→金慮(現金化処理・創造発行)→販売店口座入金の一方通行とします。
ただし、
信用払いのままの市場への出回り(個人→売り上げた生活禄小切手のままの二次流通)は、
正規認証中途のため不可とします。
ですが、
金慮内処理の中途にある売り上げ金額の一部、または全部を当て込んで、
新たに手形を切って、取引先への支払いに充てる分には、想定の範囲なら問題ないとします。
‥どちらにしても、
金慮を通す流れが前提にありますから、
その辺りの流れは、従来の在り方に準じた解釈でいいと思います。
1-4)2
では、順をおって説明いたしましょう。
まず、月末期限の小切手を一人あたり90枚ほど毎月ごとに配るとします。
支払いの財源は、難しく考えずに創造発行(国民主権発行)です。
これは一日に三回買い物ができる勘定にしてみての思考材料です。
なのでとりあえず、ここでの小切手に上限は設けないとしてみましょう。
ここでの特徴は、
書き込んだ値段の分だけの消費が行える点に尽きます。
後払いの精算、請け負ってくれるのが国民主権発行の金慮というわけです。
すると、
上限がないなら無いで、誰しもは、
一枚の小切手で、欲しい高額商品を買いまくろうとするでしょう。
また、売り切れ・品切れも予想されるため、
欲しい高額商品をどこまで手にできるかは別の話です。
米国流クレジットカードの様相に近い消費現象が、起こるだろう点は変わりないと思います。
ただし、ここでの話はクレジットカードではありません。
金額に制限のない小切手での想像体験です。
なので、人によっては的外れにも、もの凄いことを考えるかもしれません。
値段に制限がないなら無いで、
会社を買おうとか、国を丸ごと注文してやる‥そういうのは対象外です。
規制の論になるのは言うまでもありません。当然です。
それでもその一方で、
請求書が自分に回ってこないにも関わらず、
本命の日用品だけを、まとめて買う行動に駆られるはずです。
そうした方が、無駄にたくさんの買い物が可能だからです。誰しもがそう考えるでしょう。
> それが、買い物のできる回数に制限が課されているという内訳です。
> それが、お釣りが出ないという小切手ならではの特徴です。
‥なので、無駄にお得が続くわけではありません。
朝昼晩のレストラン通いでほぼ終了のイメージに、誰しもは気が付きはじめるでしょう。
それが、一日三回×30日で90枚の内訳の意になります。
これはこれで手枷足枷のルールです。
それで、たまに一日ぐらい頑張って、
まとめて食事を調達しておき、残った二枚分の蓄積を五度ほど繰り返せば、どうでしょう‥
それとなく、メリハリのもてそうな生活感が得られる所だと思います。
でも日常的なことを問えば、
毎日外に仕事に出かけるならいざしらず、
そうでない日々をすごすのに、一日三回の買い物を繰り返す必要はありません。
ちょっとした交通費にしても、
まとまったカード機能(電子マネー)の中にチャージしておけば事の足りる時代です。
1-4)3
ここで注目して欲しいのは、
欲しい商品だけを買うという行為が、
如何に贅沢を意味する使い方にあったかを理解してもらうことです。
‥そもそも、
お金だけの論理で生活支援した時点での問題点とは、
援助をお金のままの論理だけで渡してしまえば、
お金であるがゆえの自由度の点で、どうにも規制できなくなることに尽きます。
それゆえ、様々な問題点が後から付いて回り、ずさんさが目立つばかりに陥ります。
お金での解決策を考えざるを得ないにしても、そこにある意図は、
対象者の生活の乱れを手伝うことでも、まして、貯金して頂くことでもありません。
今や、そこに生じてしまう問題に対処しようと、
フードスタンプなどという劣等感の植え付けのような在り方も含めて、
様々な方法が世界中で取り組まれていますが、不便さの解消には到っていません。
> そこで小切手方式にして、買い物のできる回数に制限があるとすればどうでしょう?
> さらにそれらの小切手には金額の上限が決められているとします。
> この方法を[額枠生活禄]と呼ぶとします。
言うまでもなく、
まずは生活に必要な物から買わざるを得ません。
そうです。
必要な物から順に買う必要性を見いだしてもらう事が重要です。
それこそが支援における狙いとしてあるべき形です。
必要な物から先に買う心理を一番に突き付けて、
そこを理解し合った上での活用を無理なく行える仕組みが必要だったのです。
そういう形での生活補助です。
ですから、そこを理解をして頂くことになります。
必要な物も、欲しい物もあって、お金を渡すことを了承するのです。
それでも、基本的な生活必需品を中心に消費してもらいたいと思えば、
このような考え方がもたげるというわけです。
1-4)4
方や消費活動において、善意ある使われ方を期待しただけの現金支給。
方や消費活動の証を記すために授ける‥ひと月に使える枚数分に限定した額枠生活禄。
同じ支援でも、それの中身と質はまったく別物になるというわけです。
> どうして今まで、これだけのことに皆で気が付かなかったのかが不思議なぐらいです。
まさに、生活補助方式のコペルニクス的大転回になるのは疑いようがありません。
ただし、そこからどれだけのビジョンが見えたかがその先の展開を左右します。
例えば、
電子マネーに生活禄金額の全部がチャージできてしまったら無意味です。
それで喜ぶのは電子マネー会社です。
新たな金融システムの誕生にしかなりません。
―金慮ではなく、金融に逆戻りです。―
でも幸いなことに、
電子マネーでは一度にチャージできる限度額が決められています。
そしてその性格は、紛失時の全額保障に対応できない点に帰結します。
しかし、その前に‥
小切手は紙幣とは違うので、そのままではチャージできません。
そこの所の理解がいたずらに細かくなります。
チャージするだけなのに、
取り扱い上の性格から、人手が必要になって、
経費が膨大に成るようなら、銀行窓口と何ら変わらない負担になりかねないのです。
2013年10月04日
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