1-5)0
‥客単価千円の話に戻ります。
> 客単価の次はマージン平均です。
客単価が千円にて消化されると、始めから分かっていれば、
全体の生活禄から得られるマージン平均から、雇用期待の限界が割り出せます。
{額枠生活禄より発生するマージン総額}={生活禄による雇用期待効果の上限}です。
そう考えることで、
額枠生活禄のなりゆきが如何様にあれるのか‥誰にも単純計算ができてしまうのです。
1-5)1
例えば、こんな計算が可能です。
額枠生活禄の新機軸に絡んだ人口増加等うんぬんを見込んで‥
ざっくり、一億三千万人で計算するとします。
また、高齢化・長寿命化を考慮して‥
全体の65%が、色つきを利用するものと考えます。
(※ 年金は年金として、別に発行してでも有するべきと考えます。)
(※ 教育と医療は程度無料、それも必要でしょう。そう考えます。)
次に‥これまた大した根拠もありませんが、
色なしの利用者を全体の45%に見立てます。(※一人あたり四万五千円として計算。)
これら生活禄を、めい一杯に消費した場合のマージン平均を30%に見立てるとします。
> {¥45,000×0.3}×12ヶ月×{1億3千万人×(0.65+0.45)}
> ¥13,500×12×(述べ1億4300万人)=23兆1660億円
ざっと二十三兆円余りです。
これが額枠生活禄から生みだされる、雇用を増やせる(とりあえずの)最大予想上限額です。
さらにこれを、
その時点における新規採用の平均年収を三百万円(正規雇用?)として割れば、
想定最大772万2千人‥の雇用増の枠が見込まれることになります。
総額想定、77兆2200億円を支禄して、これが多いか少ないかはともかく‥
1-5)2
もう少し現実的な数値を入れてみましょう。
マージン平均10%、年収180万円(非正規雇用?)‥
今時であれば、こんな数値が思い浮かぶでしょうか‥
> {¥45,000×0.1}×12ヶ月×{1億3千万人×(0.65+0.45)}
> ¥4,500×12×(述べ1億4300万人)=7兆7220億円
> 7兆722億円÷180万円=429万人
ざっと、429万人になります。
しかし実際は、
増えた全体消費からの伸び率に対して、全体で均等に所得収入が上昇し、
それの雇用不足分からの新規採用になるでしょうから、
初年度に見込める雇用増は、そこからずっと低く見積もられて、
‥一割とか二割とか、そんなところになるように思われます。
雇用のミスマッチが解消できなければ、
既存採用にボーナスが出るようになるばかりで、
雇用に結びつかずに、据え置かれ気味に留まる可能性も十分に考えられるのです。
‥それにしても、ようやくにして百万人規模の雇用が期待できるのです。
非正規、年収180万円は、一見、何の変化も有さないように見えますが、
三人家族なら+162万円(禄)で、年収342万円と同等になり、
四人家族なら+216万円(禄)で、年収396万円と同等になる勘定です。
共働きを+180万円とすれば、それぞれ522万円、576万円程度には届きます。
1-5)3
‥では、もう少し羽振りよく、
マージン平均15%、新規採用年収240万円ぐらいで考えると‥
> {¥45,000×0.15}×12ヶ月×{1億3千万人×(0.65+0.45)}=11兆5830億円
> 11兆5830億円÷240万円=482万6250人
マージン平均15%、半給240万円(非正規雇用?)で、
想定最大482万人余りの雇用枠の拡大が、期待できる試算になります。
それにしても、482万人です。
これも断っておきますが、実際的には1割2割の枠に留まるものと思われます。
なぜなら、景気が良くなった分「給料をまず増やせ!」それが当然です。
新規採用は、その次です。
‥生活禄による雇用期待効果の上限とて、100%はあり得ません。
つまり、
生存権を主張して、どんなに公平になるように生活禄の在り方をいじってみようとも、
労働雇用枠の一気に、「一千万人雇用創出ドーン」とか、「二千万人ドーン」とか、
無尽蔵さが期待できそうなドカーンとしたインパクト感の得られる所がないのです。
そのような雇用創出は、なかなかに厳しい‥
‥と言う次第が、ここに示されたことになります。OTL
> ただし、正確的には‥急には無理の解釈になるように思われます。
十年二十年のスパンで見れば、
それの効果がどうなるかは今ひとつ確かなことは何も申し上げられませんが、
それでも伸びるだろうとの見解は、誰しもが想像する通りになるように思われます。
ならば‥翻して、
それでも上手く行かなかったとすれば、
‥今の時代のやり方は、もっとダメダメだったという落ちにございましょう。
1-5)4
‥まぁすでに、わかりきったことではありましたが、
決定的かつ現実的な数値を、誰も提示するに至らなかったがゆえに、
まだまだ昔ながらの経済うんちくで、
‥頑張ろう夢を、
‥万歳したき夢を、亡霊にも、語っていたいかのようにあるばかりだったのです。
‥とは言うものの、
そんな悠長には待ってられないとすれば、
次なる思考のステップに進むしかありません。
> それが、「半給雇用形態とは何か?」であります。
仮に、
一人あたりの一日の労働時間を五〜六時間にして、二交代制を想定してみましょう。
昼の休み時間を長めにして、その時間を利用して、
中継ぎの打ち合わせを行う感じでしょうか‥であれば、
想定残業時間を込みにした一人あたりの一日の労働を、二人でシェアする形態が生じます。
‥なんなら、二人組同士で、シェアしても良いと思います。
そう考えるほかありません。
当然、給与もそれに見合った形になる解釈です。
(しかしながら‥業種によっては厳しい話です。)
> その時、給与が減ってしまう分を「額枠生活禄」で補うとするのが、当方の考えです。
社会全体で、そこに同意が得られれば、
職場に求められる必要雇用枠を割り増しして、効率よく仕事をシェアして、
一人辺りに負担の懸からない‥社会構造に変えることができるように思われます。
半禄を不名誉に解釈せず、
有意義に捉えて活用し合えば、様々に、人生観向上の効果が期待できるはずです。
1-5)5
それにしてもそれは‥
ボーナスという賞与を廃して、その代わりに、
忙しさや、生活上の都合を、
お互いに、労働を分配して調整する次第になるのかも知れません。
> 家族と過ごす時間こそボーナス。
> 繋がりの確かさこそボーナス。そう考えざるを得ないでしょう。
そうでないからこそ、お金が幸せの拝金主義にしか至らないのです。
お金にしか興味の無い世界観ほど、窮屈で退屈な人間性の形成もありません。
‥だからその分、わが子が不器用にあるのかも知れません。
雇用のミスマッチにしても、根っこの部分は似たような形です。
親の意識が、子に伝わらない、
民族としての心意気も、グローバルがもてはやされるばかり、
それは他ならぬ、自分たちも同然です。
自分たちでさえ染まってしまっていて、何を以て、わが子に何を伝えたいというのでしょう?
伝えるべきが反省なら、
まずは自分たちからして、変わった姿を見せるべきが筋というものです。
親がそうに無いからこそ、
子にしたって、成人してみても、考えることのうんちくは、趣味からの受け売りの如しです。
> そこを振り返る慮りもなく、
> 老いも若きも、お互いに、幻想と葛藤を追いかけるばかりなら、
> 雇用のミスマッチは、ずるずるとするばかりで、解消される気配のないままかも知れません。
それはつまり、
世の中が額枠生活禄の仕組みを基に、如何なる改善を成そうとも、
職場によっては、いつでも人手不足‥なんて状況も考えられるのです。
‥その上で、ブラック企業なんてトラウマが、子に伝わろうなら、
良い会社と思われている所と、そうでない所の二極化と申しましょうか‥
スムーズにローテーションを回せる会社と、そうでない会社との相違が、
労働意欲の条件に、新たに加味されることになるのです。
雇用のミスマッチのそもそもは、
親の暮らしぶりを傍目に見ていて、幸せそうにない。
ただそれだけに尽きるのです。
その時、一番に幸せそうに見えるのは、
お馬鹿にも、テレビの中にあるように思うばかりです。
地に足の付いていない夢の見させ方を、許している勝手こそ、
そのように見せかけることしかできなくなった社会の勝手こそ、
―まこと以て、敗因。―
一朝一夕になど、取り返せるわけがありません。
時間が掛かるのです。
軽く見積もっても、二十年から四十年‥
切り替える意志を持たぬなら、ズルズルとするばかりです。
2013年10月10日
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