2013年10月16日

【消費税反対】禄電子レシートと禄電子小切手の違い

1-5)0
 額枠生活禄は、電子カードにて、その使い勝手の改善がもたらされます。
 しかし、電子カードを扱う上でつきまとう消費記録の保存の必要は、

 一歩間違えると、


> 政府・行政に、国民の買い物履歴が丸わかりになってしまうとの誤解に発展しかねません。


 理屈上、
 ビッグデータが分かることで、政府・行政としては、
 先手を取って対策を得やすい‥などという言い分を口にすることになります。

 ‥しかし、

 いつから政府・行政の頭脳が神の領域になったというのでしょうか?
 そこに生ずるうんちくは眉唾物です。


 分からないからこそ、
 創意工夫が、求められて発揮され、
 指導者の能力の差、組織の結束力の差、度量の差が表面化するのです。

 ‥切羽詰まった課題山積みの、その程度の冠の寄せ集まりで、
 ビッグデータを観察してみても、大した頭脳振りにはならないでしょう。


 ―そこで、きちんとした区分けが必要です。―


 残念ながら、私たちの文化はその程度です。まずは自覚しましょう。

 ‥ビッグデータを見たとて、
 政府・行政は何も動けない。何も能力アップせず。
 だからこその額枠生活禄からの再トライなのだと。



1-5)1
 ‥まず基本的な認証事項として、


 禄カードの使用時、顔認証をすることになりますが、
 それには二通りのやり方が必要としてあがります。

 一つは、オンラインを介した認証です。
 行政(金慮)に登録してある顔と、禄カードに登録してある顔と、使用者の顔の比較です。


> 平時はオンラインが想定されますが‥どうでしょう?


 もう一つは、
 オフラインでの認証です。
 これは、禄カードに納まっているデータと本人の顔の一致を確認するだけです。

 ‥非常時は、オフラインでのやり方で良しとします。

 なぜなら、
 非常時に偽造の物を用意してまで利用できる余裕など、誰にも無いからです。


 仮に、
 ここぞとばかりに偽造の用意ができていたとするなら、かなりの知能犯であり、
 非常時のそれの期日を予見できていなければ成り立ちません。
 ‥それはそれで、
 大いなる闇の絡んだ事件性を帯びるところではありますが、
 それは、個人の大多数が勘違いにもやりかねない使い勝手の筒抜けとは、意味が異なります。


 ‥別の見方として


 先に示した、オンラインでの認証は、どちらかと言えば大げさです。
 何も日々日常、そこまで厳密にチェックせずとも、
 オフラインのそれと逆にしても良いと思います。

 オフラインで成り立てば、処理も速い分、会計でもたつく要因にはなり得ません。

 その場合は、
 禄の売り上げ分は、手動送信にて、金慮の集計センターに送る次第になります。

 ※‥最悪、非常時のマニュアルとしては、記憶媒体に出力して郵送または持参でしょうか。
 ※‥被災状況にも因りますが、最終的には見なし期間を設けるのが適切です。
 ※ 半禄の金額をそのまま配給ポイントの扱いにして、配給物は全部、国家の支払い‥
 ‥それが一番に手っ取り早いかと。(微妙な言い方をするなら「千円分セット詰め」です。)


 ‥通常、送信されてくる情報の統計から、
 使い勝手の怪しい使用番号を見つけた時点を以て、捜査が開始される形になります。
 ‥つまり、番号指名手配です。
 マークされた番号の禄カードが使用された時、
 オンライン認証が求められて作動することになります。


 ‥どちらを適切とするかですが、

 ここの判断に絡んでくるのが、
 オフラインで動作しているという基本が理解されていればこそ、
 買い物履歴も丸わかりにならないとして、国民の理解に至るかどうかであります。



1-5)2
 ネット販売における買い物の記録は、
 通常、購入先には、リストがしっかり残ります。
 誰が、いつ、自分の店で何を買ったかの統計が全部出ます。
 ‥メールでの再確認が、そもそものそれを意味します。
 ‥信用ゆえの買い物ですから、割り切って買う限り問題ありません。


> ところが、


 どこに繋がって広まるともわからない大手コンビニ、スーパーともなると、
 途端に、違和感を唱えるのです。

 日常に近いせいもありますが、
 ‥矛盾していると言えば矛盾しているのです。
 遠ければ良いとする意味合いなど、今のネット事情においてどこにもありません。


 ‥そこはさておき、そのような事情から、

 ポイント等は、
 カード番号だけで管理しているに留まっているのが、日常に見られる形です。
 渡されるレシートにしても、身元確認されて記録されているわけではありません。

 ‥その点、
 会員制で、住所氏名を明記することになるなんて話になる方が怪しいばかりです。
 ネットでは普通にありふれているのに、地元店舗では嫌だとの顔ぶればかりです。


 「‥何かが変です。そうは思いませんか?」


 それでも、
 私たちの日常において、すでに、そのように線引きがされています。
 禄の電子カード利用でも、そこが成り立たなければなりません。

 ‥もっとも、

 禄の支払いは、ネット通販に適応されません。
 ネット通販を利用するなら、現金から支払われるべきです。
 そうでなければ、殿給、半給の理解も薄れてしまいます。個人輸入なんか以ての外です。
 ‥禄で買う場合に求められるのは、地元店舗で買う。これが鉄則です。
 (※ 国内旅行は程度可。)



1-5)3
 禄カードで買い物をする場合、

 払った記録として、
 レジ側から、禄電子レシートが発行されて禄カードに記録されます。

 禄電子レシートには、
 禄番号、いつ、どこで、どのレジで、何を、数量、値段が記録されます。
 ―禄カードに溜まる禄電子レシートは、個人で勝手に消すことはできせん。―


> しかし、レジ側にもそれと同様の形で禄電子レシートが残るようでは問題です。


 そこで、この段階で線引きが始まります。

 レジには、通常の売り上げとして、
 店名、いつ、何が、数量、どのレジで、値段の範囲で情報を記すとします。
 ‥ビッグデータの参照上、年齢(年代?)と性別ぐらいは記しても良いように思います。
 ―レジには、禄の番号は記録しない。残さない。―


 一方で、

 金慮に提出するための電子記録が必要です。
 これを[禄電子レシート]に対して、[禄電子小切手]と呼称しておきます。


 禄電子小切手に求められる情報は、
 どの禄番号が、いつ、どこで、どのレジで、いくら使ったかです。
 禄電子小切手を回収した後に、
 番号あたりの禄合計が定額内に納まっている限り、偽造の疑いは生じません。
 ‥つまり、
 ―禄電子小切手には、購入品目を記録しない。要求しない。―


> 非常にまぎわらしい境目にありますが、
> ここが成り立たないと、国民からの賛同は得られようもありません。


 そこで、
 禄電子レシートと禄電子小切手の両方には、暗号が施された上での発行に成ります。
 特に、禄電子小切手の方には強固な暗号が求められます。

 禄電子レシートを見るときの鍵は、
 そのままに、本人の顔と言うことになります。
 (※ 禄番号が刻まれていないと話になりません。)



1-5)4
 異常を検知して捜査を始める場合、

 疑うべきは二点に及びます。
 個人の持つ禄カード、小売りの持つ禄レジです。


> まず、個人の禄カードへの疑いです。


 偽造の疑いは、
 金慮の集計センターにて、合計金額の不可解な痕跡から始まります。
 ‥とある番号の合計金額に、越えてはならない合計金額を得た場合です。

 その時の偽造の疑いは、
 ‥オフラインの認証ゆえに、犯人によって偽造された他人の番号が、複数枚出回っている。
 ‥犯人は本人であり、自分の番号のそれに対して、なんらかの偽造をしている。
 個人の禄カードに限っては、この二つのどちらかです。


 ‥情報の統計から、偽造使用の発生を月単位で割り出せることになりますが、

 経過を見る上でも、泳がすという手法は当然にして用いられるでしょう。
 その時、すぐに収束を見たからと言っても、見逃しはありえません。
 そのような番号は、ブラックリスト入りとなり監視されることになります。

 (※ 番号指名手配となる該当の度合いは、ここでは検討しません。)

 それにしても、
 現場を押さえて捕まえるのが、鉄則です。
 ‥証拠として、禄カードを押さえる必要があるからです。


> 次に、禄レジへの疑いです。


 例えば、
 疑わしき禄カードと人物を押さえて尚、疑わしき証拠が得られなかった場合です。
 その時、怪しくなってくるのがレジ偽造です。


 レジ偽造と言っても、

 個人の禄番号が特定できないのでは、
 水増し請求用の禄電子小切手の偽造送信には至りません。

 ‥そこで、
 精算時(送信時)に、禄電子小切手の情報を書き換える手立てが想定されます。

 方法としては、他にやりようがございません。
 ですから、それの理屈として、禄レジにも禄電子小切手のコピーが求められる事になります。
 同時に、正規認証用に識別番号が割り当てられて、禄電子小切手に記されるべきとなります。


> その時の偽造には、二通りの違いが考えられます。


 a.禄電子小切手を送信する段階で、偽造した禄電子小切手を送信する場合。
 b.ICチップごと改造品に置き換えて、なりすましている場合。

 もっともありがちに想定されるのはaです。
 凄腕のハッカーが、
 ロックを解除して、中身を書き換え、暗号を再び掛けて、
 何食わぬ顔で、その改造禄電子小切手を送信した。
 ‥もしくは、同時に自分の禄カードに、細工を施す。


 ―aもbも、製造側の機密が完全に流失している疑いがあります。―


 ‥aを防ぐには、
 禄電子小切手を発行した段階で、即座に送信させることではありますが、

 ‥何分にも、
 買い物が混む時間というのは、全国的に見ても似通っており、
 その時間になると、毎日のように集計センターに回線の負荷が掛かるようでは、
 捜査もままならない状況に陥りかねません。

 そもそもにして、送信しないことには、
 売り上げを得られないのが禄電子小切手の性格にあります。
 何もリアルタイムにこだわる必要は特にありません。

 それから、
 会計上の手違い等の修正も、現場にて対応できるべきであります。

 ‥修正する場合、
 禄電子レシートと禄電子小切手に対して、上書きはできないにせよ、
 追加修正を付け加えて、
 特に、禄カードの残金を変更するように、再計算させることは可能です。
 金慮においても同様に、その追加修正分を処理することになります。
 ‥ただし、月締めですから、それ以降の修正は無理です。送信した後でも無理に思います。

 ‥こうなってきますと、偽造のもっぱらは、
 両方に、追加修正を手品して、上限を押し広げる‥なんて趣向ももたげてきます。
 そこは、追加修正が多すぎると思えば、リスト入りということになります。


 a・bともにそうですが、

 最終的に偽造される禄電子小切手の対象番号が、
 ランダムに割り振られているのか、それとも、特定番号だけに偏るのか、
 その違いを兼ねて、疑わしき番号の出回りの程度を追跡することになります。

 つまり、
 それら疑わしき番号の頻繁に出入りする場所に、共通点が得られればその店舗が黒になります。
 共通点がなければ、それはカード自体の方の偽造が考えられます。
 しかし、
 そこに残されている禄電子小切手だけでは証拠にはなりません。
 すでに書き換えられている禄電子小切手だけを溜め込んでいると思われるからです。


> ‥そこで、住民協力の必要となります。


 対象となった番号の禄電子レシートとを比較するのです。

 この場合、該当期間の範囲で、
 対象となる禄電子レシートを、禄電子小切手の形式に変換してからバックアップを形成し、
 調査を進める次第になります。

 そうでなければ、捜査協力は得られません。

 ‥比較して、ボロが出れば、怪しい禄レジの黒は確定です。


 しかし、bである時、

 正規の禄電子小切手を保存してあり、
 転送する小切手の情報を消して煙に巻くことが考えられます。
 ‥その場合、禄電子レシートと禄電子小切手の比較は成り立たない可能性を有します。

 結果として、
 転送情報との相違から、禄レジの押収になりますが、
 bである以上、
 最中に禄カードの偽造も紛れている場合も考えられます。

 それの目的が、
 (責任者の失墜)店舗の信用を落とすための仕掛けだったり、
 偽造した禄カードを売りさばく前段階での実験だったり、
 bである以上、怪しさ倍増です。

 ―そもそもにしてそれらの責任は、守秘義務を犯した製造元に及びます。―



1-5)5
 ‥それにしても、冤罪容疑の発生は、如何とも防ぎようがありません。


 悪意は、犯人より発せられますが、
 どうしたって、その煽りを受けて疑われるのが、第三者になる確率はゼロにありません。

 そもそもにして、
 完全犯罪を考えない犯行(ダミーを用意していない犯行)は、
 高度な技術を要すれば要するほどに有り得ません。

 それに対して、

 「武士に二言は無い」の如く、役人がプライドばかりを気にしていては、
 公平な立場は成り行きません。


> ‥もっとも、現在の法律制度では、


 検察側と弁護側の決闘こそが裁判であり、
 罪を如何にして被せることができるか、釈明を勝ちうるか、
 そのようにしかなく、また、そのようにあるのが、民主主義の裁判と言わんばかりです。

 「疑惑即犯人扱い」のどこが民主的にあるというのでしょう‥
 間違えて捕まえたのであれば、その誤認を処罰する論もあるべきです。
 そこに公平が無いから、怪しいばかりです。

 その辺りの心理が、また、医者の不祥事と同じでして、
 誤認を気にする余りに、検察が機能しない‥なんて事にも繋がってきます。

 「腹を据えられない者は、役人をするべからず。」
 ‥そのように思います。


> 「武士に二言は無い」の本来は、「覚悟において二言が無い」の意味であり、


 言葉の意味に置いて「虚言の撤回をせず」などと、どうして履き違えるようになったのか‥
 ‥恥の何たるかを理解できていない器の戯言にしか映りません。

 ‥また国民にしても、
 そのように揚げ足を取るばかりともなれば、
 共に、辱めの音頭を取っているとしか言いようがありません。

 所詮、私たちの文化の程度はその程度なのです。
 自覚こそが寛容に繋がるのです。心掛けるべきがどちらかなんて、述べるまでもありません。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:35 | Comment(0) | 額枠生活禄方式の論 | 更新情報をチェックする
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