2013年11月15日

【参考】裏天皇八咫烏のここが謎

1-2)改稿.2015/09/25...20131115...

 表は八百万の神々による多神教にあるにも関わらず、
 裏は三位一体の一神教を宗とするらしい。

 そもそも、八咫烏の起源は定かではない。
 また、古神道のそれとは同起源ではない。
 ‥不気味なだけに怪しさは倍増する。

 なにはともあれ

 厳しい修行を積んでそこに坐する面々にしてみれば、
 巷に広がる陰謀論の邪まっ黒と同じにされては心外なのだろう。

 そこを読み違えていると、真相はまったく掴めない。



1-2)1

> 有史で知られる範囲での起源では、


 八咫烏に関連する一族として、秦氏と賀茂氏が登場する。
 双方共に渡来人と見られている。また、そのように判断する。
 ‥土着の一族の名が不透明にある点が、当時の支配・陰謀を漂わせている。

 そもそも、三位一体を宗とする組織にあるはずなのに、もう一つ無い点は不可解だ。

 ‥そこで、有史を参考に予想できるとすれば
 肝心の土着勢力は、滅んだ、途絶えちゃった‥
 そのきっかけとして南朝と北朝に分かれちゃった。(秦系支持と賀茂系支持)

 その時のごたごたで、百年もの間、とある儀式を経た即位天皇を得られなかった。

 裏返しにも、そのことが、今の天皇家の謂われとして次の代で途絶えるとの噂の原型になった。
 明治天皇崩御以降、とある儀式を経た即位は為されていないとの話。
 (現行法による表の辻褄での話。裏の判断がどうなるかは別。)

 で、問題視されてきた。
 (それにしても、なんだかんだで裏の御仁らは迷信深いんですね)


> 秦氏の系列は百済と言われている。さらに遡ると‥弓月なんとか。


 賀茂氏については目にできていないが‥歴史を見るに、

 秦系の勢力の方が、常に権力に貪欲かつ旺盛で、
 賀茂系は大きく一発逆転を狙った戦略を好むように思われる。

 ‥そこで、思うのは、

 公家の台頭に見られるのが秦系、
 武家の台頭に見られるのが賀茂系の息が絡んでいる模様。
 (かなり大ざっぱな感覚。武家の棟梁と言ったら賀茂系。)


> 双方ともに上の組織は戦が嫌いらしい。


 下になるほど、手段を問わない傾向を見せた。
 そもそもの表とは、下の強硬派のあぶり出しを狙った立ち位置にあるように思われる。

 また、組織として優秀な者を取り込む意図もあるように思われる。
 血族にこだわっていては、長く保たないのだから。
 ‥それの方向性は、往々にして検討されただろう。

 そこを示す話として、安倍晴明が存在する。

 なんでも安倍晴明は秘技の片方を伝授され、
 土御門氏を名乗る子孫がそれを受け継ぐに至った。
 その中途において、本家に位置する賀茂氏の方が途絶えてしまったという。
 ‥今や、土御門氏方が本家同然に収まっているとの話。


> 渡来系と言っても


 ‥ずっと日本に落ち着いていれば、土着系由来のそこと交わらざるを得ない。
 元の出自がなんだろうと、それが年月の流れというものだ。
 とくに昔の統治は現代とは異なり、地域に権限の多くが残っていた。
 土着の血なり民族文化なりも、それなりに流れていたと考えられる。



1-2)2

> さて、肝心なことだが


 八咫烏が単なる諜報機関との見方は正しくないように思う。
 もちろん、それに準じたこともするはずだ。

 「では、如何にして陰からの支配(?)統治(?)が成り立つかである?」

 ‥つまりそれこそが
 祈祷、結界等を駆使した儀式を、愚直に積み重ねた結果と言えるだろうか。

 「そこらがとても謎」

 私たち日本人は、なんだかんだと言って、それの恩恵を得ていることになる。
 「‥呪い‥まじないに因る統治・・・マジっすか、スゲー!!」

 しかし

 機械的に作動しまくる科学には勝てんだろう。いくら修行した面々でも体力には限界がある。
 ‥姿をさらせないという制限もある。
 ‥だから、黒船以降、民族の結束力に発破を掛けてきた。(そういう経緯はありそうだ)


> それにしても、キリスト教の原型の如し中身って、どういうことなのだろうか?


 「その中身とは何か?」
 そこのところが、八咫烏の特異性というか、渡来性を秘めた部分なんだろうと思う。

 そこで、異国懐かしさも手伝って、江戸時代の隠れキリシタンの元締めも八咫烏だった。
 ‥なんて次第を想像しちゃうわけだが、真相など知らん。

 そもそも、キリスト教にこだわる意味が不明だ。

 そこに出自があるというのなら、初めっから八咫烏は影の存在で
 天皇家の発祥とはまた別の物で、神武天皇の話がでっち上げって事にしかならない。
 神武天皇が征伐しちまったのが、古神道に所縁のあった土着の貴族だった。
 ‥その時、陰から手を貸したのが八咫烏のやり方の始まりだったとする見方にもなる。


> つまり


 八咫烏は組織として、始めから影の存在にこだわるとした哲学が有ったことになる。

 それには、隠れていなければならない理由があったと判断できる。
 その原因が日本に無く、外国にあったとすれば、辻褄は合うのだろう。

 ‥仮に当時

 外からやって来たなら、天文に裏打ちされた耕作ノウハウを要しただけでも、
 勢力としては最先端だったことになる。何はともあれ当時の戦は数だった。
 ‥その裏付けこそ糧食の確保。申し述べるまでも無い。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:41 | Comment(0) | 刮目/奴ら絡み | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。